怒涛の初日スタートです。














 君と雑巾と act:3















早朝。ノック音で起きる。時刻は午前4時。昨日の(というか今日なのだが)就寝時間、午前3時。
普段の生活リズムが逆転していたにとっては慣れない重労働(そうでもない)と新境地への緊張も相まって早く寝た方だ。
しかし無情にもアルバイト初日は容赦してはくれないらしい。


さん、起きてください。お仕事ですよ。」


一応女性の部屋だからだろうか、無闇にドアを開けない気遣いが素晴らしい八戒のモーニングコールが微睡みの中に居る耳に届く。
霞む視界に映るのは1時間しか経ってないと知らせる時計の針。そういえば何時から就業時刻なのか聞き忘れていた。
お陰で寝起きのブサい顔を八戒に晒すことになってしまった。


「すみません、お伝えするのを忘れてしまいましたね。ちょっと早めに来たんですが・・・おやおや、顔を洗ってきましょうか。」


そう優しく促す様子はまるで母親のよう・・・ガミガミ怒るばかりの上司でなくて良かったと心底思うである。

早朝ともあって真夏でもいくらか肌寒い。日が昇るのも早く、外はうっすらと明るくなっていた。
板張りの廊下と相まっていつもより目が覚めるのが早く、顔を洗うと冷たい地下水ということもありお陰で完全に起きる事ができた。


「これから一緒にやってみて覚えていきましょう。オリエンテーションも出来なくて申し訳ありませんが、まぁ人間体で覚えるのが手っ取り早いですしね。」


ニッコリと色々と含みを持った笑顔が辛い。社会経験ゼロのだが何かが間違っているという事は察せた。
ひょこひょこと金魚の糞よろしく後をつけ、仕事内容について説明を受けながら大事なところはメモを取る。
昨日食事を作っているのを見てても思っていた事だが、今日八戒の言動を間近に見て再確認させられる手さばきの良さ。
効率もよく、教えながらだというのに流れるように仕事は進んでいく。説明も丁寧でわかりやすくスラスラと海馬に記憶されていった。


「ではそろそろ鬼も起きてくることですし朝食の支度をしてしまいましょう。料理の経験はおありですか?」

「一応・・・今までほぼ一人暮らしのようなものでしたので初心者ではないです・・・。」

「それは良かった。では気をつけて頂きたいのはチーズ使用禁止。それとマヨネーズ常備という点です。」

「え?」

「弱点と好物です。まぁ、腹が立った時には満遍なくチーズ料理を出すのもひとつの技、ですね。」


そんな恐れ多い・・・果たして喧嘩するまでの仲になれるのかどうかも怪しいのに、突拍子のない事を言う八戒の微笑みは相変わらずだ。


「あと、料理をこの上なく冒涜されますが別にさんの料理がマズイってわけではないので気にしないように。」


の手のひらサイズのノートにはでかでかと『マヨラー』の4文字が追加されたとか、なんとか。(その下に”極度の”が書き足される日もそう遠くはない)

その後、寝起き最悪の鬼がのそのそと起床し大変居心地の悪い中、朝食を終える。
昨晩は八戒の巧みな話術によってその場を凌いだが、これから二人きりだと思うと身の毛がよだつ。
針のむしろ?蛇に睨まれたカエル?・・・否、言うなれば鬼に囚われた大罪人。地獄の釜が見えそうだ。
の考えが読めたのか八戒は苦笑を浮かべる他ない。心中お察し、ご愁傷様です。そんな声が聞こえてきそうだ。


「これで一通りできましたね。朝はこんな感じです。ほぼ決まった時間帯ですが、手順などはさんのお好きなようになさってくださいね。
 気をつける点は少ないですし、それさえ守っていればやりやすいように。もし何かあれば僕に言ってくださいね。」

「で、でも八戒さんがお休みの日はこんな早朝にお電話するのは・・・」

「ご安心ください、僕も早起きなのでこの時間帯は大抵起きてますよ。たまにこの役割をする事もありますし、生活リズムは完全に染まっちゃってるんです。」

「医学生なのに大変ですね・・・心の底から尊敬します。」

「早起きは三文の得。健康的でもありますし思ったより苦じゃないんですよ?さんも慣れればきっと清々しくなります。」


八戒のさわやかな笑顔を見ると本当の事のようだ。つい先日まではこの時間帯はむしろ寝る時間なのだが、いやはや。いつ慣れる事やら。
だが、本当の地獄はこれからであり早くも早起きが身につくことになるとは想像もしていないであった。


朝食後、一服と新聞を同時進行する鬼にアツアツのお茶を出し、食器を片付け洗濯と掃除を終えたに与えられた休憩時間。
身体を動かしている時には引っ込んでいた睡魔が一気に押し寄せる魔の時間。
コクン、と船を漕ぎ出すを横目に八戒はひとり思考に耽る。

(元引きこもりのバイトデビューは想像以上に大変な事なんでしょうね。寝る時間も真逆・・・それとは別の憂慮する事もあるんでしょうけど。)

いきないの住み込みバイト。きっと想像を絶する程の負担がかかっているに違いない。見知らぬ土地、全員が知らない人、環境の違い。
心を許した人間が居ない場所で味わう孤独感。全てが初体験による焦り。この数時間、ただ普通の家事をやるだけなのに必死さが見て取れた。

ある程度、今までの経緯は心得ているつもりだ。紹介元の大僧正から大方の事は聞いている。
ビックリするくらいの大雑把な説明だったが、いつか彼女の口から聞けるだろうか。そこまで親しくなれるだろうか。
ちょっと面白い子だが、決して悪い子ではない。それは共に仕事をする中で十分に分かる。

ズバ抜けたセンスがあるわけでもないが、不器用なわけではないと思う。ただ思考と身体が噛み合ってないだけ。
慣れればソツなくこなすようになるだろう。自分が思っている以上にと言う人間は普通に及第点。

(心配する気も理解できますが、想像以上にしっかりとしていますよ大僧正。きっと彼も・・・受け入れてくれる筈です。)

普段でも気を許さない鬼も、流石に初対面のに対していつも以上に神経を尖らせてるのは手に取るようにわかった。
まだ時間にして半日足らずしか交流(?)していない他人なのだから致し方ないだろう。
お互いにいつ心を開くのか。

(きっと、そう遠くはないと思いますけどね。)

確信にも似た手応え。相性は悪くはないと思う。
しかし、まだ情報が少ない。もう少しという人間を知り、それに合わせたフォローと対応を心がけないと。

(きっと楽しくなりますよ、三蔵。)

不機嫌面の鬼を思い浮かべ人知れず微笑みを深めた八戒は、そろそろ休憩時間も終りだと時計を確認し空を仰ぐ。
きっとこの縁側を、も気に入るだろう。休憩時間だけではなくて昼も夜も居心地がいいのだから。
今度花火大会をしようか。赤い髪の青年にお使いを頼んでみんなを集めてそして。

(僕の夏休みは、有意義に過ごせそうですねぇ。)

ある程度の自由が効くタイムスケジュールを心ゆくまで堪能し、そろそろ隣で夢を見ているであろうを起こそうと八戒は手を伸ばした――。






 ♂♀





私は肉体労働を強いられているんだっ!!だがここでめげていてはあのイヤラシイ笑みを浮かべる狸妖怪に虐げられる!!嘲笑される!!!

朝7時ちょっと前くらい。寝こけてしまった休憩時間から脱する為に今一度洗顔をし、お仕事はお寺の本堂へと場所を移した。
数少ないお坊さんが日点掃除(文字通り掃除)をしている中、も例外ではなく雑巾を絞ってゆく。
人数にしては広い本堂。手馴れているお坊さんも一苦労である。その負担軽減も兼ねて廊下の拭き掃除の任に就いているのだ。

長い長い板張りの廊下。ハタキを持ったお坊さんの邪魔にならないように鈍足で駆け抜ける。
記憶の中では雑巾がけなぞ小学生以来だ。そして極度の運動不足。
音痴ではないが弛んだ筋肉はいう事を聞いてくれるはずもなく、とってもお見苦しい事になっていた。

滑って転けて顔面強打は一往復中5回(平均)。同時に身体の所々が痛い。ついでに節々も辛い。
様子を見ていた八戒とお坊さんも唖然としていたとか、なんとか。


さん、あまり無理はしないように・・・あぁ、そろそろ壁がっ」


八戒の忠告も虚しく鈍い音は本堂の中まで響き渡った。


8時過ぎ。のお手伝いは役に立ったのかは甚だ疑問だが一通り終わり、次の仕事までお坊さんは自由時間を思い思いに過ごす。
「も、もう大丈夫だよ!ありがとう凄く綺麗になったね!うん!完璧だ!よく頑張ったよ!」という励ましの言葉がかけられたのは数分前。我ながらに情けない。
何度かバケツをひっくり返してお坊さんの手を煩わせてしまったにも関わらずなんと寛容なことか。大変さよりも感動が勝る。反省しなさい。


「では、僕らは事務のお仕事です。身体を休めながらゆったりやっていきましょう。」


日点掃除の最中にある程度片付け終わっては居るが、休息を兼ねてやるにはちょうど良い。
残り少ない仕事を教わりながら眠くなるのを堪え必死に海馬に叩き込む。
帳簿整理など大事な事はまた明日に、とのことでがやる事は説明を聞くことと記入欄の確認などである。
たまに八戒の指に沿って書く事もあったが本当にごくわずかだった。
説明を聞いていてもわかるくらい結構な仕事量。しかし八戒はあの1時間足らずで片付けてしまうあたり、やはり手際が良いのだろう。


「今日は塔婆の依頼が多いですね。そろそろお盆ですしこの時期で良かったです。もうそろそろ本格的に大忙しになりますよ。」


さんは物覚えも良いですし十分お盆に間に合いますよ。とプレッシャーを掛けてくるあたりいい性格してらっしゃる。
一種の脅しにも似た言葉に冷や汗が止まらない。これは明らかに肉体労働したあとの汗ではない。絶対に。


「そろそろ鬼を呼んできますか。さん、よろしくお願いします。多分縁側に居ますから襟首引っ張って連行してきてください。」

「殺されに行けと・・・?」

「意外に意気地なしですから大丈夫ですよ。えぇ本当に、情けない程に・・・。」


今までとは違う含んだ物言いに違和感を感じたが、理解できるほどのモノを持ち合わせていないにはチンプンカンプンだった。
知らない何か。それはまだ、踏み込んではいけない領域なのだと察するのが精一杯で。
ただならなぬ一抹の不安を感じつつもは言われたとおり住居へと歩を進めた。





「あ、あのー・・・。」

八戒の予想通り目的の人物は縁側で寛いでいた。どこか意識を遠くへ飛ばしているらしくの声は聞こえていないようだ。
警戒?しすぎてか細い声だったというのもあるだろうが。

何を、考えているのだろうか。流石にただぼーっとしているわけでもあるまい。
過ごした時間は短いが、キャラ的にも纏う空気もそんな雰囲気ではないと汲み取れた。

縁側に座る背中はどことなく哀愁を漂わせているようにも感じられる。
はたまた、ご隠居にも・・・


「今失礼な事を思っただろ。」

「いいいいいいいいえめめめめ滅相もございません!!ご隠居などとそんな恐れ多い事など思っておりませぬ!!!」

「ほぅ・・・素直なこった。」

「やっべやっちまったテヘペロ。」

「ぶっ殺すぞ。」


とんでもなく物騒な台詞が聞こえたが、彼は意外にもアクションを起こす事はなかった。
睨まれても良い状況だったにも関わらず、背を向けたまま徐ろに煙草に火をつける。
というか気づいていたなら返事ぐらいしてくれたって・・・とは思うが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
この庭を眺める姿を、雰囲気を壊したくない。何故だろう。初めて来た時と同じく、ここには神秘的な空気があったから、なのか。

足を踏み入れてはイケナイ聖域、心の距離を表している様で。


「八戒さんがお呼びです・・・三蔵、さま。」

「・・・・・・(様付け?)」


来てからというものの、一応言葉を交わしたと思う。多分。いやきっと。
「よろしくお願いします!」「あぁ。」これだけで会話を交わしたと言えるのなら、だが。

思ったことを表情に出すことも、言葉にすることも無い三蔵。何を考えているのか、何が嫌で何が嬉しいのか。
常人ならば会ったばかりでもいくらか把握することはできただろう。しかしこの男に限っては全く読めなかった。
褒められた察する能力もこの男の前では無力。でも蜘蛛の糸を手繰るような繊細な作業をして漸く1本だけ、察することはできた。

拒絶の感情。

それは意図的になのか無意識なのかまでは分からなかったが、研ぎ澄ませた神経に伝わる音色。
きっとこの琴線に触れれば忽ち不快感をあらわすのだろう。
八戒から伝わる緊張感はこの事を指していて、彼も無意識に発してしまった感情。

本当に些細なものだったに違いない。しかしの育ってきた環境ゆえに気づいてしまった。
悟られてはいないだろうが、見て見ぬふりをしなければならないのだろう。今は、まだ。

妙な緊張感が辺りを包む。これは不味い。お互いに探りを入れている空気だ。
間違ってもが察しの良い人間だと悟られては、今後の関係をこじらせかねない。
まだ、だめだ。自分は何も知らない、わからない。そうでなくては何時まで経っても警戒心は解けないだろう。
気を取り直してそう言えばまだ録な挨拶もしていないと思い至り、空気を変えるため些かぎこちないが声を張り言葉を発した。


「あ、あの!私、録な社会経験も知識もありませんし、気分を害されるかもしれませんが、精一杯頑張ります!!これからよろしくお願いします!!!」


背筋を伸ばし、紫煙を漂わせる背中に見えないだろうが頭を垂れる。


「・・・あぁ。」


暫しの沈黙の後に返される短い一言。流石に誤魔化せてはいないだろうがの思惑を流れるように、されど無碍にせず意図を汲みながら知らぬふりをする。
態度も表情も言葉も尊大で横暴な三蔵だが、根本的にはきっと優しい人間なのだろう。それが分かっただけでも大きな収穫だ。
ここに来て良かったと、心から思える日が近いうちに来るだろうことは明白だった。


「そ、それでは私は業務に戻ります!お早い到着をお待ちしております!!」


そう言って元きた道を戻っていく足音を聞きながら、三蔵は自然と広角が上がっていたとは知る由もない。


――変な奴が来やがった。あの狸妖怪の人選はどうなってやがる。


『可愛くてのー、元気でのー、健気でのぉ〜。お主にはピッタリの人材じゃよ。おそらくきっとたぶん。』


適当なことをほざきやがってとんだ人材だ。あれのどこか”ピッタリ”だというのか。
少しは察知能力が優れているようだが隠しきれてないにも程がある。一体どこまで感づいているのやら。
もしかしたらそれは氷山の一角に過ぎないのかもしれない。だが・・・不快ではないと思う自分が居る。

三蔵自身、にわかに信じがたい感情ではあったが、どうやらこれはコントロールするのは難しいものだと同時に悟る。
一体何を考えいるのか、にもお馴染みのあの独特の髭面笑顔が思い浮かんではすぐさまかき消す三蔵であった。


「それにしても・・・『様付け』は気色わりぃな。」


誰の耳にも届かない独り言は、清浄な朝の空気に霧散した。










To be continued.









ATOGAKI
あんまり意図せず書いてきたケド真夏で良かったなぁ。医学生にも夏休みはあるらしいので丁度いい教育係が(強制終了)
書きながら不安になって医学生にも夏休みはあるのかと調べたのはここだけの秘密です。
お寺についても調べながらの作業は結構楽しい。後々矛盾が生じて泣く羽目になるのはそう遠くはない未来。


補足:朱泱は御札をもってどこか修行に出かけています(アカン)
基本ギャグなのでみんな平和ですキリッ