この世界の空気は澱んでいる。













 生を望む誓い

















逢魔が時。真っ赤に染まった世界は宵闇に飲み込まれようとしていた。
冷たい風がの髪を揺らし、冬が近い事もあってか少し肌寒い。
カラリと渇いた肌触りとは裏腹に、空気はどんよりと澱んでいる。暗く、深く、重苦しいほどに。
まばゆい夕日なぞ意に返さぬ不気味な雰囲気だった。


「――。」


その場を浄化するような、心地よく響く声。背後を振り返れば声の主、三蔵が剣呑な眼光を携えこちらを見据えていた。


「怖い顔、してる。」


窓から差し込む光も届かない部屋の一角。そこに佇む男には己を棚に上げ指摘する。
同じ表情をしているに違いない。眇められた瞳を見るにそれだけは理解できた。


「何をしている。この部屋だけ異様に寒い。」

「換気をしてた。…息が詰まるから。でも、外の空気も澱んでるから意味なかった。」

「残念だったな。まぁいい、そのままにしておけ。」


そういうと三蔵は取り出した煙草に火を点け、紫煙を吐き出した。
人の部屋で悠々と一服し始める事に咎める者は居ない。主であるは気にも留めず薄暗い中で灯った火種を見つめていた。

この世界は紫煙よりも息苦しい。目の前の男のように中毒になってしまいそうなほど紫煙が恋しいとさえ思う時がある。
だからといって煙草を吸う気にはならなかった。ただ、自分で吸うより三蔵が吸うからこそ意味があるのだと最近気がついただけで。


「やっぱり、窓を閉める。」

「あ?換気してんだろ。意味ねぇだろうが。」

「……。」


紫煙で充満させたい、なぞ言える訳もなくは口を噤む。閉めようと窓に体を向けたのだが断念せざるをえまい。
三蔵は肩を落とすの行動に怪訝な表情を浮かべ、ため息にも似た紫煙混じりの息を吐き出す。
背を向ける彼女の心境を理解できるはずもなく気まずい沈黙が落ちる。
だが、静かに窓枠に肘をついたがか細い声で言葉を発し、それは破られた。


「人が死ぬのに理由があるのか、考えたことはある?」


夕日がを照らしている。その光景がひどく痛々しくて、同時に愛おしくて。
こちらを背にしている為、表情は窺い知れないがなにとなく理解はできた。

彼女はこの世界の空気は澱んでいると言った。息が詰まると嘆いていた。
誰もが死に向かう時代。生き残る為と豪語していたのは安穏と暮す富裕層、そして上層部だけだ。
軍人も一般人もいつ死ぬかわからない現状に畏怖し眠れぬ日々を送っているというのに、なんたる残酷なことか。

そんな世界に辟易しているのだ、は。不条理だと憤怒の念に駆られているのだ。


――己が安穏と暮す上層部に属しているのだから尚の事。


「…今朝方、部下が瀕死の状態で帰還した。彼は栄誉賞も貰うほどの実力者だ。だけど、上の人間は彼を反逆者だと罵った。処罰すると宣言した。」


ただ憐れと嘆くのか。悲しみに満ち満ちた顔を僅かに覗かせは嗤う。
その横顔だけで三蔵は悟るのだ。彼女自身への自嘲の意味を。

気休めだとわかっていた。紫煙の香りを嗅ぐ度に安寧に浸るなどそんなもの、ただの思い込みに過ぎなかったと。
現実から逃避していただけなのだと猿でもわかる滑稽さだ。よくもまあこんな醜態を晒せたものか。

何らかの方法で溺れるほど中毒になるのも、記憶を無くす程、何もかも分からなくなる程狂う事が出来ればと何度思った事だろう。
だが出来なかった。出来る出来ないではなく、許されなかった。何より己自身が許すことを拒絶していたのだ。
部下を死地に向かわせる立場の者が何もかも忘れて快楽に溺れるなどと、神や周りが許しても己だけはけして許してはイケナイのだ。


「お前のような上官を持って部下も報われることだろう。」


黙していた三蔵が静かに言葉を紡ぐ。やけに緩やかに。声帯から発せられる低音はの鼓膜を粛として震わせる。
切なくも物静かな余韻嫋嫋たる響きだった。だがそれは言いさし歩を進める足音にかき消される。


「だが、憐れむことは死者への冒涜だ。」


一歩一歩と近づくにつれ、その全貌が照らし出されていく。
靴音が静寂な部屋に響き聴覚を支配されるのに不思議と不快ではなかった。は只管一点だけを見据える。
その鋭い眼光を。睨みつけるように真っ直ぐと射止める紫暗の瞳を。


「お前は――」


足音が、止まる。


「死ぬことを許されてはいないのだからな。」


夕日に照らされた眼光は、暗闇で反射するより一層煌めきを携えの視覚を眩ませた。
怯んでいる暇はない。脳内で反響するその言葉の意味を、嫌というほどわかっているのだから。


「――そう。私は死ねない。死んだら、それこそ部下を犬死させることになる。」


無意味な死になどさせない。させてたまるか。たとえ反逆者だと罵られても、は突き進まなければならない。
生き残るための戦略を搾り出し部下に栄誉を与えるために。ただ死に向かわせるだけの無謀な指揮を執る狂人は五万といる。
この国の人間は、狂っているのだ。そんな奴らに大切な部下を任せるなぞ想像しただけでも吐き気がする。


「私はこれ以上、部下に無駄死にはさせない。貴方も、生き延びさせてみせる。だから。」


振り返れば僅か数歩程度の距離。躊躇う事はしない。は三蔵の胸に飛び込むと回す腕に力を籠め、縋り付くようにつぶやいた。
それは命令なのか、はたまた。


「三蔵、生きる覚悟をして。…死なないで。」


鋭い眼光を伏せの言葉を聞き届けた三蔵は、己の胸に頬を寄せるその小さな頭と華奢な体を掻き抱く。
狂おしいほどの愛欲を隠すことなく、まるで全身で答えるかのように。視覚も嗅覚も触覚も臭覚も独占して。
追い討ちをかけるように聴覚を犯すのだ。これで満足かと言わんばかりに。


「死なねぇよ。お前が生きてる限り、な。」


燃え尽きた灰が重力に抗えず墜ちてゆく。それを追うように指から離れた煙草が床を焦がした。
己の存在を主張するかのように。生きた証を残すように――。








それは運命への反逆

(死に抗う私たちはどこへ行くのか)









ATOGAKI
このサイトに良くある意味不明な単発もの。深く考えたら負け。
大まかな階級:国王→重鎮→ヒロイン→三蔵→その他部下

「掻き抱く」は萌えポイント。

write:20140823