She never looks back
act:04
「何をモタモタしてんだ、あのグズ」
後方の巨人を殲滅し馬に跨るリヴァイは、負傷した団員が乗馬したのを確認すると忌々しそうに前方へ目を向ける。
悠長にガスを補給する程は気性が穏やかな人間ではあるまい。今回もさぞかし我先にと討伐しに向かいたかった事だろう。
そんな事を思っていると視界に霧散し始める黒い煙を捉えた。どうやら戦闘中に上がっていたらしい。
「チッ……次から次へと来やがって……」
まばらに立ち並ぶ木々を避けがまだ居るであろう補給部隊に戻ろうと馬を走らせる。
視界を木に遮られながらも途中、近くで黒の信煙弾が打ち上がった。恐らく補給部隊のものだろう、という事は直ぐ追いつく筈。
奥には緑の煙が左翼側へと向かって伸びているから巨人を躱して行く可能性もある。
このまま真っ直ぐ向かうか、左に進路を取るべきか、そう考えている時、前方から全力で駆けてくる馬とそれにまたがる団員の姿を捉えた。
「伝達、です! が…!」
「落ち着け、何があった」
切羽詰る団員は弾む息をそのままに事のあらましを説明する。内容を聞いた瞬間、リヴァイに戦慄が走った。
通常種ならいざ知らず、奇行種に対して片側だけの装備で挑むなど無謀にも程がある。
苦々しそうに舌打ちする彼に余裕は見えない。いくらあのが単独戦闘を得意としても嫌な予感がする、そう言うように。
間に合ってくれと右翼側へ駆ける。木々を掻い潜り開けた場所にでた瞬間、目にした光景とは。
「あの馬鹿が……!!」
巨人に捕食される寸前だった。ゆっくりと口元に運ばれる項垂れた様子の。
――何、諦めてやがんだ。
心の中で叫ぶ。折角自由を手に入れるチャンスだろうと。ここで諦めたら全てが無かったことになるんだぞ、と。
悔しくもこの距離では到底間に合わないだろう。数字にして1km、この45秒がもどかしかった。
こうなるなら、否。こうなる事は予想できたはずだ。所詮、複数でも単数でも危険な事に変わりはない。
ただ己は、自由に飛ぶが見たかった。その無表情を崩すほど喜び飛び回る彼女を見ていたいと、そう思っていたのだ。
巨人が大口を開ける。もう終いだ。これでの自由への道は潰える。リヴァイの胸に後悔が押し寄せた。
だがしかし――あと少しという所で徐ろにが腕を掲げる。そして柄を逆手に持ち変えると一気に振り下ろした。
「……ったく、俺が諦めちまうところだったじゃねぇか……」
これが彼女の真価なのだろう。どんな状況下でも生き残ることに固執し反射的に活路を見出す人並み外れた能力。
馬を止め見上げると、が項を一閃したところで。それを確認してリヴァイは操作装置の引鉄にかける指に力を籠めた。
♂♀
わけがわからない。片手で抱き上げられた己の状況、それをが理解するのはリヴァイが地面に滑り込み土煙が舞う地に着地した後だった。
「自分の判断に従えとは言ったが……無謀すぎんだろうが」
心底呆れたと言わんばかりに眉を寄せるリヴァイ。その顔の何という凶悪な事か。
は間近で対面する気迫に圧倒され何も言えなくなった。まさか心配されているとは夢にも思うまい。
「だが……良くやった、。お前の判断は正しかった。……詰めの甘さは否定できねぇがな」
優しく頭を叩き撫ぜられた。そこで漸く、己が命の危機に直面していたのだと知る。
彼女にしてみれば単独部隊の事は危惧していたものの、死ぬなど露程も思って居なかったのだが。
しかし顔はさておき、この暖かな手から伝わる慈しみに触れるのも悪くはない。そう思い、は気持ちよさげに瞼を閉じた。
「……まだ未熟なもので仕方ありません。ですが……お褒めに預かり光栄です」
「胸を張って言うところじゃねぇだろうが。やはりその生意気な口、削ぎ落としておくか?」
「……それだけはご勘弁を」
こうして壁外遠征も終え、報告を聞いたキースとエルヴィンに召集されたは緊張の面持ちで2人の視線を一身に受ける。
隣にはリヴァイも居た。以前見た横顔はそこには無く、かと言って感情を表に出している様子もない。
つらつらと報告書片手に喋る団長の声は耳に届いているんだろうか、とはそんな事を思った。
「……も負傷し単独部隊は暫し見送ろうと思うが、異論はないな?」
「はい、己の判断で動いた結果です。異論は――」
団長の結論を聞き内心肩を落としながらは肯定する。やっぱり駄目だったか、そう口には出さず。
だがの発言を遮る声が横から発せられた。言うまでもなく今回の監査官でもあったリヴァイだ。
彼はを一瞥すると睨みつけるように団長を見据え陳ずる。
「これは俺個人の見解だが、こいつにはまだ伸びしろがある……その芽を摘み取るのは早計だ」
確かには無謀な判断をし負傷した。しかしそれだけを取り上げ否決を掲げるのは論外も甚だしいと言外に告げるリヴァイ。
直接間近で戦いぶりを見ていた彼だからこその意見だろう。彼は彼女の真価を確かに目撃した。
危機に直面しているにも関わらずそれを差し置いて死ぬわけにはいかないと足掻く確たる姿勢。それを実現させる戦闘能力、そしてずば抜けた資質。
はあの後も腕の痛みさえおくびに出すことなく遠征中の危機を想い帰還するまで立派に戦った。
救われた仲間も居ただろう。これは立派な功績だ。
「単独部隊の結成を認めろと、そう言いたいのだな?」
「飽くまでひとつの意見だ……俺に決める権利はないからな。だがどんな判断がくだされようとも異議を唱えるつもりはない」
「それが既に異議だと思うがね」
「……お前は黙っていろ、エルヴィン」
の目の前で繰り広げられる会話。彼女もこれは流石に理解できる。
リヴァイは自由を与えようとしているのだと。例え危険を冒してでも戦うを心配こそすれど、自由を与える価値はあると。
先の戦いで垣間見た実現性をここで潰えさすには反対だ。そう、暗に告げていた。
「……良いだろう。単独部隊の正式な結成を今ここで認めるとする。詳しい事は後ほど知らせよう、発表は手続きの後だ」
重く、されど高らかに団長が宣言する。は目をむき団長を見返しエルヴィンへ、そして隣のリヴァイを見上げた。
信じられないといった面持ちで今一度団長に視線を戻すと肯定の意を示す頷きが返され、湧き上がる衝動に心躍らせる。
――本当に、嬉しい。
次いで異論はないかと今一度問われれば彼女はそれに二つ返事で肯定すると3人に対して謝辞を述べた。
大空をありがとう、と。調査兵団という舞台で舞飛ぶ権利を与えてくれて。
そして兵団の為に、人類のために全力を尽くすと誓いを新たにするのだ。
希望となる一翼。否、翼から落ちた舞い上がる羽根。吹きすさぶ風に乗ればどこまででも飛べる一枚のそれに彼女はなり得た。
だが羽根はひとりでは飛べない。だから個は折り重なり翼になる。エルヴィンは説く。その真摯な瞳に喜びを感じながら。
「君は脆い。だがその脆さはやがて我々を凌駕する程の戦力となるだろう」
君という存在で有り続ける限り何度でも放とう、調査兵団という翼から1枚の羽根を。通常ならひとりで飛ぶことが出来ないだろうが、にはそれを覆す力がある。
作戦の駒として、兵団の戦力としてこれから真価を大いに発揮するために。
どうやら彼らは博打に勝ったようだ。今後の活躍に期待すると共にいつまで飛んでいられるか見守るのだろう。
そして落ちても尚、風に乗り舞い上がるその確固たる意思が導く先を見てみたいと。
執務室を出るとリヴァイが徐ろに口を開いた。視線が交わる。その瞳は心なしか優しさを帯びていて。
「……これから戦う時はひとりだ」
監視もサポートもなく、己の判断のみで戦うことになる。些か危なっかしいところもある彼女だが、生きることに妥協を許さないその意思は確かなものだ。
だが、と続く。いつか必ず、どうしようもなくなった時が必ず訪れるだろう。ひとりと言うのはそれ程までに危うい。たとえ彼女が望んだ事だとしても。
「選択肢に俺を入れろ。ひとつの判断材料として俺を思い出せ」
雁字搦めになって、途方も無くなって。それでも尚、生きる意志があるならば――力を貸してやる。
「……貴方なら、かなり心強いですね」
「当然だ。伊達にお前と特訓してねぇよ」
「頼りにしています……リヴァイさん」
いつかの時みたいに撫ぜてくれるその手が心地よかった。同様、彼も喜んでいるに違いない。
1ヶ月という短い期間の中で、2人の信頼は十分すぎるほど培われたとそう思えるのだから不思議だ。
花が咲く。自然とこぼれ落ちた微笑みはリヴァイだけに見せる貴重なものだった。
「それと……さん付けはやめろ。お前のほうが兵団内では先輩だろうが。呼び捨てでいい」
「リヴァイ、先輩を敬え」
「早速調子に乗るなバカ」
「ノリが悪い男ですねぇ」
かくしてリヴァイの口添えもあり無事に単独部隊隊長という肩書きを与えられ新たな一歩を踏み出した。
その後も兵団に大いに貢献しその地位を確立させる事ができた。そして現在に至る。
――まるで白昼夢。ぽかぽかと差し込む陽の光にあてられていたのだとははたと気付く。
随分と懐かしい過去の夢だった。それは一瞬のものだったかもしれない。だけど今でも鮮明に思い出せるということは、これ以上にない喜びだ。
ふぅ、と短く息を吐けば霞がかった意識がはっきりと覚醒する。いけない、今は大事なお話の途中だ。集中しなければ。
そんなの様子を見て、説明していたエルヴィンが不思議そうに首をかしげた。まさか同じ回想をしていたなどと夢にも思わず。
「君には飽くまでも教育を任せる。壁外調査の際は普段通りで構わない……君が一緒に行動を共にしたいと言うなら別だがね」
「……それは恐らく有り得ません。兵長程の者ならいざ知らず、足でまといなら必要ありませんから」
「言うじゃねぇか。その達者な口は変わらねぇな……」
「普段喋らないので言葉選びが得意ではないのです。お褒めに預かり――」
「やはり削ぎ落としておくべきだった」
「痴話喧嘩はさて置き、。君のその戦闘能力を新たな戦略として他の兵士に広げてみようと考えたんだ。まずはその一貫として新米兵士に教える……やってみてはくれないか?」
「私のこれは生まれ持っての資質です。いくら教えようとしても無理だとは思いますが……やるだけやってみます。それと痴話喧嘩ではありません」
横から口を挟むリヴァイにいつも通りの受け答えをし、茶化すように窘めるエルヴィンにキッチリ否定を忘れない。この3人が集まるといつもこうだ。
まるで親子みたい、と表現したのは誰だったか。鼻を鳴らすミケだったか、それとも喧しいハンジだったか。もしかしたら両人ともだったかもしれない。
何はともあれ、だ。今回の件は無事に可決しへの任は会議の翌日から開始されるのであった。
そして翌朝。広場に召集され隊ごとに整列している兵士一同はエルヴィンの説明に耳を傾け、発表を待つ。
単独部隊という異彩を放つは一番端っこだ。なんらかの手違いで新米兵など配属されなければ良いのに、とは思うものの昨日納得した事だろうと自身を叱咤する。
そんなをよそにエルヴィンの命令でやってきたのは好青年と呼べる類の新米兵だった。
「噂の隊長の元に就けるなんて光栄です! よろしくおねがいします!!」
それはどう言う意味だ、嫌味か。と言いそうになるが視界の端でエルヴィンがあからさまな咳払いをしたので飲み込んだ。
好青年――名をロニ。彼はニコリと微笑むとの毒気を簡単に抜いてみせた。そして無垢な瞳を輝かせ問う。
「隊長はリヴァイ兵長に憧れて入団したんですか!?」
何を言っているんだ、この子は。言っておくがリヴァイは年上だがそれ以前にの方が兵団内では先輩にあたる。
普段は敬語を使っている為誤解される事が多いのだが、ロニは新米兵だ。知る由もないだろう。ならばどこを基準にそう思ったのだろうか。
それにしても、と。この子は良く舌の回る人間らしい。話を聞くのは慣れている彼女――主にハンジの所為でだ――が初対面ではどうだろう。
ちゃんとコミュニケーションを取れるのだろうか。
「――いや、別に」
前途多難である。は見た目通り?人見知りだ。しかもこんな眼を向けてくる輩など無に等しい。
どうしたものかとは悩まされる日々を送る事を余儀なくされるのであった。
To be continued.
ATOGAKI
時速80km×距離1km=時間45秒。間違ってたらすみません。
回想終了。