She never looks back
act:05
とある兵団内の一室。わかりやすいともわかりにくいとも取れる図が描かれた黒板に背を向け、は口数少ないもののちゃんと講義をしていた。
生徒はただひとり、最近の元に配属された新米兵のロニだ。彼はノートとペンを手元に真剣な面持ちで聴き耽っている。偉い。
は与えられた任務を放棄できるわけもなく殊勝に教育を全うしていた。それは彼女の反射神経と経験に基づくものであったができる限り叩き込んだ。
実技では他の兵士が訓練しているのを横目に森の傍らで勤しむ姿も見られた。
周りからは「あいつに教育など」やらなんやら囁かれたものだ。ロニも共に好奇な目にあてられるのではと危惧し申し訳ないと思う。
だが日に日に訓練の様子を見ていく内に、周囲は口を噤んで行くのだった。
「最近えらくまともにやってるらしいじゃねぇか」
食堂の一角。そこが指定席だと言わんばかりにいつもの如く同じ席に座るの前にリヴァイがやってきた。
彼は食器を乗せたトレイを机に置くとガタリと音をたて座る。一緒に食事するなど久しぶりだな、とは頭の片隅で思う。
「……手を抜いて後悔……したくありませんからね。と言うか私はいつもまともです」
匙を置き答える。どうやら久しぶりの雑談に興じることにしたようだ。
「殊勝な心がけだな。周りも大層驚いてやがる……結構向いてんのかもな」
体を机とは横斜めに構え頬杖をつくリヴァイのその態度と顔が腹立たしい事この上ない。蹴ってやりたいが届かないのは重々承知している為、宙吊りの足は椅子の足掛けに大人しく収めた。
リヴァイはの心境が手に取るように分かるのだろう、嘲笑うかのように鼻を鳴らし食事に手をつけ始めるのである。
「……興味ないです」
「だろうよ。だが周りの反応は兎も角、お前の部下の成長には目を見張るものがある……正当な評価ぐらい受け入れても罰はあたらんだろ」
リヴァイのそれは己の目、そして周囲の噂を耳にした上での発言だ。壁外調査では単独行動をしているの勇姿を目にしている者は少なく、通常任務では無口な彼女を気味悪がる輩が多い。
それが相まって今まで陰口や噂があとを絶たなかった。だがしかし、最近になって周囲に見直されている様子を良く見るようになったのだと言う。
嬉しいやらなんやら。当の本人はどんな境遇でも全く意に介していないのだからやはり馬耳東風なのかもしれない。
「昔へーちょう直々に教えて頂いた甲斐あってのものです。正直言って教育なんて二度と御免ですよ……頭使うのは苦手ですし」
「当然だ。しかしあのワケ分からん図解説はいただけねぇな。あれじゃ逆に混乱を招く」
「講義を盗み見しないでください。恥ずかしいじゃないですか」
「ならもっと工夫をこらせ。説明も言葉足らずで……理解できた部下が奇跡そのものだ」
「いい加減殴るよ?」
心なしかジト目で見つめてくるに気をよくしたのか、否、からかい甲斐のある奴だとこの状況を楽しんでいるようにも見て取れる彼はやれるもんならやってみろと挑発する。
大衆の面前で乗るわけにもいくまい、は後で覚えてろと睨む瞳で訴えるのであった。
そんなふたりの冷戦を周囲はハラハラと見守って居たのだが、果敢な勇者がひとり間に割って入ってきた。
「隊長酷いですよ置いて行くなんて! あ、リヴァイ兵長同席失礼します!」
ニコニコと微笑む彼は特になにも気にしていない、というよりを見つけて駆け寄る犬の様だとリヴァイは思った。
の隣に腰掛けて何を話していたんですかと問う様子に、どうやらこの短期間で随分と懐かれたものだと感心する程だ。
「……君と食事するといつになっても食べ終わらない」
「隊長ってば喋らないですからね! あれ? でも今喋ってませんでした?」
「上官を目の前にしてシカトできるわけないでしょうに……」
よく言う。いつもなら食事を終えるまで無言を貫き通す癖に。とは突っ込まず珍妙なやりとりを静観することに決めた。
あのがハンジ達以外の人間と仲良さげに会話をしている。リヴァイは胸になんだか穴があいたような気分である。
「あ、腕章解れてる」
「気づきませんでした! 裁縫苦手なんだよなぁ……」
いつの間にか名前呼びだし、些か距離が近くないか。まぁこれもにとっては進歩だ、と己に言い聞かせ湧き上がる感情に蓋をする。
「兵長! お隣いいですか?」
「おいペトラよ、兵長の隣は俺に決まってるだろうが」
と、そこにペトラとオルオも加わり一層騒がしくなる食卓。ペトラの登場で心なしか眼を輝かせるはさて置き、彼女らは各々交流に精を出すのだ。
一向に進まない匙に気づくのはそれから数十分後だとは露ほど思わず、今この時を大いに謳歌する。
♂♀
夕刻。団長執務室で書類の整理をしていたエルヴィンはノック音に顔を上げ、訪問者の名を聞き招き入れた。
唐突にどうしたのだろう。疑問に思うが彼女の顔は深刻そうな眼光を携えている。
「エルヴィン団長、次の壁外調査の事でお話があります」
彼女の言葉に心当たりがあった。部隊の編成会議が終わった後に話した件だ。
「……決めたのか」
「はい」
他の隊と同様に新米兵の教育を任され、壁外調査に同行させるか否か。彼女はその結論を言いに来たのだろう。
当日まであと二週間。合同演習も控えそろそろかと考えていたところだ。エルヴィンは壁外での陣形を思い浮かべながらの話しに耳を傾けた。
「彼は壁外調査に参加させます。これは彼達ての希望でもあります」
「という事は、君に同行させるという事かな」
これは想定の範囲内だ。訓練を間近に見て賞賛する声を聞いたことがある。今まで数々の遠征を生き残ったその術を叩き込んだというの事だ。
さぞかし彼も腕の立つ兵士に仕上げられたに違いない。のサポートも申し分ないだろう。エルヴィンはそう期待を込め問う、のだが。
「……いえ、違う班にしていただきたい」
これは予想外だった。否、彼女らしいといえばらしいかもしれない。
「それは何故だ? 君との連携は素晴らしいものだと聞く……真価は発揮できなくとも君程の実力者ならば彼が居ても問題はないだろう」
「私自身の問題ではないのです。彼は私と共に戦うより他の多数で行動した方がやりやすいと判断しました。少しでも生き残る確率が多い方に委ねようかと」
直接間近で見てきたからこその考えだった。単独部隊に配属されたとはいえ、訓練は他の兵士と共にする機会は多い。
はロニの処遇をどうするか悩みながらその様子を見ていたという。彼は他の兵士と連携をこなし、に叩き込まれた知識と経験を存分に活かして魅せた。
嬉しいと思った。そして同時に彼を自分のサポートに回すには役不足だと思った。の特殊な行動に着いていくだけでは彼は本領を発揮出来ないと、連携に長けた兵士と共にしたほうが良いのだとそう感じたのだ。
そして出た結論は彼が一番戦いやすいだろうと結論づけた、他の兵士との連携の場。
「なるほどな……では彼は伝達班に配置しよう」
エルヴィンはやはりらしい判断だと思った。サポートする彼の、いつぞやの自分を重ね見たのかもしれない。
それがどんなに歯がゆい事なのか、自身が一番良く分かっているのだろう。
「お願いします。……それと私はその周辺にまわってもよろしいでしょうか」
「やはり心配かな?」
「他の班に預けますけど面倒は最後までみたいと思います」
という事は、次の壁外調査を終えたらまたひとりに戻るという事か。単独とは言え『部隊』と名のつくものだ、そろそろ人数を増やしたいと考えていたエルヴィンだが彼女が否というなら致し方あるまい。
それに以外に務まる人間が居るとは到底思えない。彼女は特殊な人材だ、リヴァイには及ばないまでも単独での巨人討伐における実力は群を抜きん出ている。生き残るという点ではもはや信頼という言葉では収まらず心配する必要が皆無に近かった。
ともあれ試しに育成を試みたもののなかなかどうして彼女の眼鏡に適う人材は不在らしく、今後も見つかるものか皆目見当もつかない。彼女は彼女なりに教育を全うしたようだが、いやはや。
「……随分と教育係が板についてきたようじゃないか」
「そんなんじゃありませんよ。私が教えた事を実戦でちゃんと活かすのか見届けたいだけです」
そういう彼女は目線をそらしたのだが、これはどういうことだろうか。照れていると思っていいのだろうか。エルヴィンは悩むも緩む口元を抑えきれなかった。
どうやら今回の件は彼女に大きな進化を齎したらしい。傍から見れば小さいまでも彼女にしてみれば砲弾の飛距離ぐらい距離のある一歩だろう。
考えが顔に出ていたらしくの剣呑な視線に気づき口元に手を当ててみたがやはり抑えきれていなかったらしい、一層細められる瞳にエルヴィンは緩まった口元を引き締めた。
「いいだろう、許可する」
「ありがとうございます」
訝しむ瞳をそのままに退室していく彼女の後ろ姿を見送るとエルヴィンは椅子の背もたれにもたれ掛かった。
言葉選びの不器用さは相変わらずだが、以前のならば自分の事を優先してしていただろう。己の戦いやすさ、そして自己犠牲からなる発言。
『足でまといは必要ありません』
そう言い放った彼女の真意は人を蔑んでのものではない。彼女自身の事は彼女が一番良く分かっているからこその発言だ。
あの時はまだ些か利己的な思考を優先させていたが、今はどうだろう。部下の事を想い、考慮した上で決断を下した。
これが彼女にとって吉と出るか凶と出るか分からないが、今はただ喜びを感じていても許されるだろう。
進歩というものは良くも悪くも変革を齎すのだから。
To be continued.
ATOGAKI
見え透いたフラグと共に次回、最終回。