She never looks back
『分隊長と別の班なのは残念ですが、ご教授して頂いたものに恥じぬよう全力に努めてみせます!!』
そう言った彼は強ばる顔を崩すと赤らむ頬を掻き、伏し目がちに彼女を見やると微笑み言葉を紡いだ。
『いつか必ず、俺のことを壁外で一緒に戦える人間だと貴方が認めてくれるまで――』
最後は激励の声によってかき消されたが、彼女の耳に確かに届いた。
自分を慕い信頼してくれていた彼。ここまで文句も言わずついてきてくれた、それがとても嬉しくて。
『……楽しみにしてる』
そう期待を込め彼の左胸を拳で小突くと、何が嬉しいのか彼は締りのない口元を一層緩ませた。
門が上がる。その先には希望か絶望か、朝日はどこまでも平等に降り注ぐ。そして彼女たちは壁の外へと飛び出した。
act:final
壁を出て数時間後。今回はウォール・マリア領内を南に進んだ所に位置する村の補給拠点の物資を調整及び交換、設置する為の遠征であり、ウォール・ローゼからはあまり離れていない為正午には到着できた。
天気は晴れ。これで巨人さえ居なければ絶好のピクニック気分を味わえたであろう、穏やかな気候に恵まれたそんな日だった。
不思議と巨人の出現も少なく、荷運びが終われば帰還するだけとあって些か気の緩んだ新兵も見受けられる。そして必ず班長や分隊長らに叱咤される光景も目撃するのだが。
ウォール・マリアが破られてから何度か来たことがあるはしょうがないよねと心の中で思う。視界の端で巨人がーと浮かれているハンジはさて置いて。
「おいそこのクソぼっち……索敵班は煙弾上げていたが、どうだった」
エルヴィンらが居る建物の外をひとり寂しくぶらぶらとしていたに気だるそうな声がかけられた。振り向かなくとも分かる、ぼっちなどと失礼な事を言うのはリヴァイしかいない。
彼は特に表情を作って無くとも凶悪面になってしまっている顔をこちらに向けの数歩後ろに立っている。
いつからか彼の中で定着してしまったぼっち発言はいただけないが、この人はこの人でいつも通り警戒心を怠らないなと感心すると共には緩んだ気を引き締めた。
「奇行種と通常種両方来ましたが幸いにも数体だったので軽症者だけで済みました」
「そうか。どうせ突っ走ったんだろ、ガスの補充は怠るなよ」
数体と言えど1や2ではないだろう、その数を相手にして軽症だけで済んだのは我さきにと躍り出るのお陰だという事は、誰よりも嫌というほど理解できてしまうリヴァイ。
ガスの消費も人一倍激しいだろう。いくら彼女がガスの使い方に定評があるとしても、だ。そう推測するリヴァイを余所にはあぁ、と思い出したように声を上げた。
「知ってます? 装備用ボンベも大型と一緒に予備が用意されるようになったのを」
「知ってるか? 誰かさんのお陰らしいぞ」
「誰でしょうね」
「誰だろうな」
爽やかな風がふたりの間を吹き抜けていく。午後の陽気も相まってまた気が緩みそうになるのは致し方ないだろう。
しかしこの男の前でそんな素振りをしてみろ、冷静且つ剣呑に、迅速且つ非情に項を削がれること間違いない。
それだけは御免だと鉢巻を締めてかかろうと思っていた矢先の出来事である。曰く「人間の生理現象はしょうがないよね」だそうだが、どうやら腹の虫の事を言っているらしい。
間抜けともとれる音に羞恥心をひた隠しながらはいつもの無表情を崩すことなく宣う。
「へーちょ……お腹空きました。集中するとエネルギーが根こそぎ持って行かれますよね」
「てめぇ……ちっとは壁外だという事を認識しろ。いつまた現れるか分からねぇんだぞ」
「そうは言っても腹が減ってはなんとやらですよ。昼食にしましょ。ほらみんな食べてますし」
が指差す方向にはそろそろ賞味期限が怪しくなってきた保存食を味見する団員が居る。いくら酵母に包まれていたからと言っても遠慮したい光景だ。
「早く食ってこいよ」と凶悪面で意地悪く言うリヴァイに「あの人が大丈夫そうだったら食べます」と薄情な返答をする。ある意味での緊張感がその場を襲う。
「腹はうるせぇしぼっちだし減らず口も治らねぇ。どうやらお前に威厳というものは無いらしい」
「全部何も言い返せないから辛い」
「少しは反省しろ。働かざる者なんとやらだ……あいつらを見習え」
と言って横に視線をやったリヴァイの目線の先を追うとロニ、そしてその同期らが談笑しながら街の一角で物資の荷運びをしていた。
働いてて偉いなと他人事のような呟きに対する対価は後頭部の痛みで支払われたという。
「お前の部下は人気者みてぇだな」
「あの隣の子とか絶対ロニに気がありますよね」
「嫉妬か?」
「……何故そうなります?」
「俺やハンジ達以外に親しそうにしてるからだろうが」
「あぁ……そりゃあ毎日顔合わせてればそうなりますよ……あの子は人見知りの壁を嫌味なく超えて喋りかけてきますからねぇ」
「お前みたいな無口には丁度良いだろうな」
「初めての部下があぁいういい子で良かったです」
「人事も考えたんだろう」
「本当に申し訳ない……」
さすがエルヴィン策士。そこら辺は抜かりない。もしとんでもない人選だったら途中で投げはしないが、文句のひとつやふたつみっつよっつ言ってやろうかと考えていただ。
だがそれはロニの誠実さや健気さ、親しみやすさに触れていく内にいつの間にか頭から消失していったのだが。
「分隊長だ! お疲れ様です!! お腹空いてませんか? 大丈夫ですか!?」
「……真面目に働いている部下を差し置いて一足先に昼食にしようなんて思ってないです」
「どの口が言ってんだ……そのうすら寒い敬語はやめとけ気持ち悪い」
「流石隊長! 部下思いな所も尊敬します!!」
「はは、は……すみません」
「オイ……これはどういう冗談だ?」
これぞ混沌。付き合ってられるか、とリヴァイは踵を返し去ってゆく。そうなりますよね、とは置いて行かれた切なさに恨みがましく一瞥するに留まる他ない。
自分で撒いた種とはいえ居たたまれない状況なのだが、リヴァイの様子を特に気にするでもなくロニは相変わらずにこにこと好青年スマイルを浮かべているのだから毒気はさらりと抜けていく。
本当に申し訳ない。本日二度目の謝罪を心の中で呟き、は「そろそろ帰還ですよね?」とか「初陣なのに巨人が少なくてラッキーです」とか絶えず話しかけてきてくれるロニとの会話に興じる事にした。
二方向から視線を浴びているなど露ほど思わず。
「巨人だ!! 東から七体!」
スンッと鼻を鳴らしていたミケが屋根の上から叫ぶ。一気に緊張感に包まれる調査兵団。あまり見ないと思っていたらそのしわ寄せかの様に大量に現れたらしい。
話し合いをしていたのだろうエルヴィンが建物から瞬時に出てくると戦闘態勢にはいるよう指示をする。全員で迎え撃つ訳ではないが、総員抜かりなく指示に従った。
「兵長、七体は流石にきついので援護よろしくお願いします」
「チッ……期待を裏切らねぇなお前は」
は我先にと馬に跨り、同じく馬を走らせ合流するリヴァイに援護要請をする。皆の撤退を支援するために何人かは巨人に向かわなくてはならない。
それは自分の仕事だと言外に訴える彼女にリヴァイは想定の範囲内だ、と舌打ちする口とは裏腹に人一倍早く臨戦態勢を整えて来るのだからお察しだろう。
がひとりで一気に巨人を漏らさず討伐できるのは五体がギリギリだ。それも必ず成功するとも限らない。しかも七体とくれば、もし逃げ遅れる者が居れば守れる確率は大いに下がるだろう。
それを瞬時に判断し駆け付けられるのは彼曰く「どんだけあいつのお守りをしてきたと思ってんだ」だそうだ。
私の方が兵団内では先輩なのに忝いと感じるは己の技量もリヴァイの実力も理解しているからこそ。
これでは本当に威厳なんてないなと心の中で苦笑するのであった。
「ロニ、君も早く撤退してください」
「俺も行きます!!」
「それは許可できない。君は同期の皆を誘導し守ってください。できますね?」
「……! わかり、ました……健闘を祈ります!!」
聞き分けのいい自分には勿体ない程、本当によくできた部下だと感動すら覚える。
傍から見ていたリヴァイには彼の言わんとする事が理解できたのだが、は気付くことなく早々に馬を走らせるのであった。
その顔は先ほどとは打って変わって真剣そのものだ。
村に出た巨人を一掃し終え、隊列に合流するために走り抜ける。背後に巨人の影はなく追走されている心配はないだろう。前方では緑の信煙弾が二人を導くかのように打ち上がっており、お陰ですぐに合流することができた。
その途中でロニの姿を確認するとは安堵の胸をおろす。彼はに言われたことを確と成し遂げたようだ。偉い。
それにしても、とは思う。未だ索敵陣形は展開されておらず隊列は乱れつつあった。視界が悪いわけでもないのだが妙だ。それもそのはず、いたるところから赤の信煙弾が上がっていた。
尽く巨人に行く手を阻まれているのだ。行きでは静かだった癖に意地の悪い、と知能のへったくれもない敵に対して悪態をつきたくなるのも致し方ないことだろう。
隊列の先頭は右へと進路をずらしていく中、たちは不安を隠し切れない団員たちの横を通り過ぎて行く。
「この先には街があったか」
「さほど大きいものではありませんが……何事も無く通り過ぎられるとは思えませんね」
進路を変更せざるを得ない状況に立たされた調査兵団一行は迂回路に街中を突破する事を選ぶらしい。言い知れぬ不安を抱きながらは先陣切るエルヴィンの元へと速度を上げる。
「ご苦労だったふたりとも。ガスの補給を済ませたら戻ってくるんだ」
進路を判断しながら先頭を行くエルヴィンは横目でふたりを確認すると滞りなく指示を出す。
巨人の予想外の進撃にまごついている場合ではない。頼もしいふたりが合流したとなれば戦局も変わることだろう。今後の行動を思案しながら作戦を組み立て続けた。
「オイ、エルヴィン……このままどう行くつもりだ」
「隊列も乱れているうえにやつらの数が多い。無理やり陣形を展開しても兵士たちを危険に晒すことになる。ならばこのまま街を突破し帰還しようと判断した」
「私はガスを補給したら後方に回りたいのですが」
「……いいだろう。には後方支援及び殿を頼む」
「了解です」
「リヴァイはミケ達と共に退路の確保だ」
「了解だ」
街が見えてきた。数年前の惨劇から無人になったそれは、不穏な空気を漂わせながら調査兵団一行を飲み込むように迎い入れる――。
♂♀
ロニは後方で突如として現れた巨人と対峙していた。班員はいつの間にか姿が見えなくなってしまった。だが彼は新兵にしては怯むことなく的確に対処し、の下で培われた技術を大いに発揮していく。
教わった事は幾度となく復習し思考と体に叩き込んだつもりだ。だがしかし、やはり初の実戦と言うのは意識に埋めようのない隙を生む。気付いたときにはすでに遅く、背後に迫りくる巨人の進行を許してしまう。
立ちはだかる巨体。頭上で光を遮る足裏。踏みつぶされる、そう思った瞬間。
「分隊長……!」
既のところでロニはに救出された。
「もっとこう、認識する前に反射的に避けろと教えたでしょうに」
建物の屋根に飛び移ると周りに巨人が居ないことを確認しはロニに向き直る。
聊か無茶な教えではあるが巨人を目の前にすれば項を削ぐより生存確率は上がる教訓だろう、それは今まさに身に染みたロニは素直に聞き入れた。
訓練中幾度となく言われた教訓。それを生かすか殺すかはロニ自身にかかっているのは明白だが、いざ窮地に立たされると足が竦んでしまうものなのかと不甲斐なさが襲う。
こんな事では隊長と共闘するなど、おこがましい。彼女にご指名されるリヴァイには到底適わないとは言葉にせず唇を噛みしめた。
「すみません……俺、動けなくて……助けてくれてありがとうございました」
彼女に責める気はないのだが、落ち込んだ様子を見るにちょっと言い方がきつかったか、と。後悔はするもののフォローの仕方がわからず苦し紛れにギリギリ手の届く頭を撫ぜる事にしたらしい。
ロニは訓練時にもこうやっていつも励ましてくれたなと思い出しつつも、つま先立ちで必死に手を伸ばす様はこんな時に不謹慎だが上から見下ろすととても可愛らしいと思った。
「あの……初陣では誰もが通る道だと思う……でも君は、その前に巨人を倒しているので良いと、思います」
だからそう卑下しないで。そう言外に告げる彼女の不器用な優しさが身に染みわたる。不謹慎な事を思った自分を恥じると共に、この人の下に就けて本当に良かったとそう再確認できた。
最初こそ無口なに四苦八苦したものの、時が経つにつれ雑談できるようになり下らない冗談でも律儀にツッコミを入れてくれる本当はノリのいい性格で。
訓練中は生真面目で真摯に戦闘時における役立つ知識を教えてくれた。如何に生き残るか、それが彼女の信条なのかもしれない。それとも別の想いが込められているのかもしれない。
自分にはその心中を推し量る事はついぞ出来なかったが、いつか教えてくれるだろうか。他の上官が教えなさそうな戦法も惜しげもなく開示するくらいだ。きっと教えてくれるに違いない。
同期との合同訓練での教育がいかに特殊なものなのだと気付いたのはいつだったか。不満に思いながらも黒板に描かれた図が分かりにくく、そのうえ説明不足な講義に頭を悩ませたのは記憶に新しい。
それでも、そんな可笑しな訓練も講義も必死に理解しようと足掻いたのは何故なのか。
落ち込んだ時、時たまこうやって必死に背伸びして頭を撫ぜてくれた手が噂とは裏腹に優しかったから。そのギャップに胸を打たれてしまったから。
それが一番の理由だなんて、初の教育に必死なの様子を見てるからこそ口が裂けても言えなかった。
「分隊長……俺……っ!」
自嘲の笑みと体の底から湧き上がる感情がくしゃりと顔を歪ませた。きっと不細工な顔になっているに違いない。でも元に戻すにはあまりにも困難で。
泣いてしまうのではないかとハラハラする彼女を見たら更に歪みが酷くなってしまう。あぁ、この人の前では少しでも格好よく映りたいのに。
でもこんな態度を見せるのは己の前くらいなのかなと思うと嬉しくてそれどころではなくなった。
「な、泣くな! 怒っている訳じゃないんだ、謝るから……!」
人を励ますなんて慣れないことはするもんじゃない。それに自分は人に何だかんだと言えるほど出来た人間でもない。
そう思いながら彼の表情の意味を勘違いするは不甲斐なさを悔やむロニよりも沈んだという。これではどっちが上官だかわかるまい。だが必死に嬉しかったんですと弁解するロニはのこういう所が愛らしいと思うのだ。
敬愛し憧れた彼女の姿。そして意外な一面を垣間見る瞬間が何よりも幸福で、一生着いていきたいとそう思った。この感情は紛う事なき――。
「行きますよ、ロニ。背中は君に任せます」
新たな巨人が顔を出す。未だ隊列の後方は巨人に妨害され街を突破しきれていない状況。もうひと踏ん張りだ、が言い振り返った顔が微笑んでいて、初めて見るもロニの瞳に頼もしく映った。
瞬時に臨戦態勢に入るに続き気を引き締め操作装置のトリガーを引く。認めて貰えたと、そう捉えても良いのだろうか。もうなんでもいい、共に戦える喜びがロニの士気を震い立たせる。
視認できる範囲には五体。その内動きが速い奇行種が一体、残り通常種と思われるのが四体。は奇行種の足止めを宣言しロニにとどめの指示を出す。
「サポートを必要としない訳ですよ……こりゃあ……」
初めての実戦を目の当たりにしたが、訓練時に嫌というほど見てきた飛び方の筈なのにこれほどまでとはと目を見張る。
まるで宙を舞う羽根だ。掴もうとしても手のひらから逃げ舞う軽やかな身のこなし。はまさにそれだった。
巨人の手が迫ろうとも、足がその身を蹴り上げようとしてもまるで風が味方するように体を翻し躱していく。
そうか、これが配属前に団長が言っていたものなのかと。ロニはエルヴィンがの事を翼から舞い飛ぶ『羽根』と比喩していたのを思い出した。
自由の翼なのだからせめて鳥ではないのかと疑問に感じたものだが今ならわかる。なぜ彼女が翼ではなく羽根と称されるのか理解するには十分な光景だったのだ。
「今です!」
巨人の動きが止まる。腱という部分を根こそぎ切り刻まれたその巨体が地面にひれ伏すと共にロニが項を削ぎ巨人は蒸気を発しながらこと切れた。
実はこそサポートに向いてるんじゃないかと思わざるを得まい。だがこれは彼女の真価ではないと言われているのだから驚きだ。
「あとは私が殲滅しますので万が一漏れが出たらお願いします」
前言撤回。サポートに向いてるだなんてとんでもない。『漏れが出たら』などただの社交辞令だ。『万が一』と豪語するだけのことはある。
その証拠に目にもとまらぬ速さで通常種を四体を倒してしまった。まるで強風に吹き飛ぶ羽根。はたして彼女が巨人の手に捕まる時が来るのだろうか。
「隊長……本当に俺の事を認めてくれたんですか?」
思わず口に出てしまった。だが、確認したくなる気持ちはわからんでもないだろう。瞬殺だ。彼が出るまでもなかった、一歩も動けなかったのだ。
ロニは本当にこの人に今まで教わっていたのかと考えると足元から鳥肌が立つのを感じた。もう何も怖いものなどないかもしれない。やっぱり巨人は怖いけども。
唖然と佇むロニには何を言っているんだ、と次いで口をひらく。
「当たり前じゃないですか。じゃなきゃ背中を任せるだなんてガスを切らしても言わない」
「そう……ですか」
が肯定するのだから嘘ではないのだろう。嬉しいやら複雑やらで頭がおかしくなりそうだ。
だが、これだけは分かる。この人の下にもっと着いていき色んな事を教わりたい。そしてもっと学びたいと。そう改めて決意するのだ。
ガスを切らすという例え話の真意はよくわからなかったが。
「撤退も完了したみたいですし、行きますよ。壁は目前です」
結構な距離はあるが、確かに視認できる壁。平原を超えればたどり着ける距離にいるという事実はロニを安堵させるには十分だった。
決して気を抜いたわけではないが、喜んでしまうのも致し方あるまい。周囲に敵が居ない今この一瞬だけでも胸を撫で下ろそうが誰も咎めることはできないのだから。
「はい! 俺、帰ったら隊長に伝えたいことが――」
でもここで終わりじゃない。帰って、そしてこの感動を伝えて懇願するのだ。
もっとの傍に居たいと。もっともっと見ていたいのだと。告白じみてしまうかもしれない。だがそれは紛う事なき本心なのだから、どう受け取ってもらおうが構わない。
恋、だなんてそんな大層なものでは――とロニは自身を抑制する。しかし無自覚でも確実に彼のへの恋心は本物で。
「――っロニ! 避けろ!!」
そしてこれも本物の現実だ。
「……!?」
ロニは認識する前に体が勝手に動いていた。皮肉にも教訓を元に動けたのは、この時が最初で最後だった。
飛び散る鮮血。それが自身のものだと理解した時には激痛が襲ってきた。痛い。すごく、痛い。気が遠のきそうなくらい、痛くて。
痛みをたどって右を確認してみれば肩が見当たらなかった。
「ロ、ニ……」
突き飛ばされる事によって庇われたがすぐさま立体機動で駆けつける。だが横たわる彼の息は浅く、儚かった。
大量に溢れ出る赤が屋根を伝い地面に滴り落ちてゆく音が遠くで聞こえた気がした。
「すごく、痛いです、ね……肩がな、きゃ戦えないで、すよ……。折角認めてっもらえたの、に……」
「ロニ、喋らないで。今止血をします」
はロニの姿を認識した瞬間こそ動揺したが、瞬き目を閉じ開いた時には元の無表情に戻っていた。
『冷酷人間』その言葉がロニの脳裏を過ぎる。しかし、一瞬見せたあの瞳の揺らぎは紛う事なき本心なのだろう。そう確信できる。
きっとかつて看取られ戦死していった兵士達も気付いたに違いない。死ぬ間際にようやく彼女の本質を理解できるなど、なんて悲しい事か。
「もう、良いんです……最初で最後でしたけど……一緒に戦えて嬉しかった、です」
ロニは笑う。痛みよりも嬉しさが勝り心の底から無意識の内に浮かんだ表情だった。
「そんな事を言わないで。守れなくて、すみません」
「俺は、隊長を守れて……嬉しいです……。すみませんっこんな悲しい最期を、見せてしま、って……」
あぁ、貴方は何度この光景を目にしてきたのだろうか。ロニは自分がと親しくなったと自負している。それ故に、亡くした時の悲しみは大きいだろうとも理解できた。
自惚れかもしれない。だけど、傷口を抑えるその手の震えは信じることが出来た。
「今までありがとう、ございまし……た……。貴方の下に就けた事を、誇りに……思います」
もっともっと一緒に居たかったのに。もっともっとたくさん伝えたい事があったのに。でもそれは、今の彼女にとってはとてつもなく重いものになってしまうのだろう。
だからこれは、言わない。言えない。言いたくなかった。好きでした、なぞと言えるわけがない。
少し残念だけど彼女の痛みを思えばどうということはなかった。決して同等など大それた事は思ってもいないけれど、せめて最期だけでも己の言えないそれと彼女の背負うその痛みを共有したかった。
我ながらに歪んでいる愛だと自覚しているから手に負えない、そう自嘲する。
「こちらこそ……ありがとう、ロニ」
貴方はそうして己の感情を押し殺し、瞳を揺らす事さえ押さえようと足掻くのだろう。死にゆく者にしか分からないその確固たる姿勢は周囲からしてみれば様々な誤解をうむわけだ。
でも、と。ロニは理解する。貴方はそのままでいいのだと。その清々しいまでの冷酷さは、死にゆく者をとても安堵させるから。
「俺の分まで……長生きし、て……くださ……いね……」
視界が霞む。ゆっくりと瞬きまるで割れ物を扱うような手つきでロニの頭をひと撫でしたは立ち上がる。
ロニが最期に見た光景は何度も敬愛し憧れた彼女の、マントを飜えし巨人に立ち向かっていく頼もしい後姿だった。
fin.
ATOGAKI
状況補完は次回のエピローグにて。