She never looks back
―立ち位置―
分隊長という地位に就いてからには執務室が与えられている。特殊で異例な昇進ではあったが、頂けるものは頂く精神なので素直に甘んじているという。
というよりの周囲からの反応を見るに、兵士達との同室はかなり居心地が悪くそれを味わう事がなくなったのでホッとしたというのが本音だった。
女兵士が雑談に興じているところに入室した時の反応。が同じ空間に居るというだけで妙な緊張が走る室内。数年間も互い良く耐えてこれたものだ。
きっとが居なくなった事で同室だった兵士達も喜んでいるに違いない。彼女も申し訳ないと思っていたから心より安堵した。
そんな事をリヴァイに話した事があった気がする。ついうっかり口を突いて出てしまったのだ。お陰で盛大なため息を頂戴したのだが、そこまで呆れなくともと思う。
もうなんだか本当にしょうもないのだとは自覚できていないのだからしょうもないあぁしょうもない。性格を治せと言われても人間そう簡単に治すことができないのだから更にしょうもない、ではなく仕方ないのだが。
という訳での執務室に訪れる人間は限られてくる。後輩が言伝を預かって来てもすぐに出て行ってしまうし、先輩方も極力近寄ろうとしない。
親しい間柄である極一部の人間のひとりエルヴィンは忙しい身ゆえ滅多に来ないし来るとしたらハンジか、この目の前の来客用ソファに座っているリヴァイぐらいだ。たまにニケが匂いを嗅ぎに来るが気にしないことにしている。
「…悪くない」
人様の紅茶を勝手に淹れ飲み始めたかと思えば不意に彼なりの賛辞を呈する。ニケのようにスルー出来ないからタチが悪い。この部屋の主は書類を片付けているというのにどうしてこうも態々鼻につく言動をするのか。
は表情を変えず、とりあえず気が散る原因の男を睨むと嘆息を忘れず口を開いた。
「貴方は何しに来たんですか」
「…見て分かれ、手が空いたから一服しているところだ」
「えぇそうですね見りゃわかりますよそんな事。そうじゃなくてなんで態々ここで一服しているのか聞いているんです」
「滅多に人が来なくて静かだからな」
「嫌味かこんちくしょう」
「ついでに忙しそうなぼっちに紅茶を淹れに来てやった」
「そう言う割には私の分のティーカップが見当たりませんが」
「ばか言え、あるだろう…そこの棚に」
「明らか淹れる気無いじゃんそれ。貴重な紅茶を貪るだけなら帰ってどうぞ」
「暇だ。構え」
「兵長ともあろう者が暇であってたまるか。笑えない冗談は結構ですのでお帰りください」
「随分つれねぇ事言うようになったなよ。昔はもっと俺に忠実だったろう」
「うん、それはないかな。私の方が先輩だし。妄想は大概にしてください私は昔からこんな感じでした」
「チッ…」
「コラそこ騙されなかったからといって舌打ちやめい」
本当に何しに来たんだこの男は。唐突に扉が開いたと思ったら顔を覗かせただ匂いを嗅ぎ鼻をならして帰っていく男よりも不可解だ。あろう事か真顔で冗談めいた事を言ってくるというおまけ付き。
混乱さえするものの会話の途中からの視線は書類を捉え手は忙しなく動いている。内務仕事が得意ではないと外で訓練に耽っていたのが仇となり今日中に終わらせなければならない書類が山積みなのだ。
会話をしながら作業をするという器用さがここで役に立つとは思いもよらぬ。だが一点集中型のの事だ、書類の不備がごまんと出てくるに違いない。それが分かっていてリヴァイを無視することができないのは気心知れた弱みなのか。
はたまた自身単純に話し相手ができて嬉しいのかは神のみぞ知る。なんちゃって。
「…そろそろいい加減にしないと怒られちゃいますよ。団長に」
「何故エルヴィンが出てくる。俺はお前と違ってやるべき事は片付けてあるから叱られる謂れはねぇよ」
「本当に暇なんですね…」
この潔癖症な男の事だ、仕事を放っておく訳がない。という事は仕事が片付いているのは本気と書いてマジと読むに違いないのだろう。誰だこんな頭のキレる傍若無人を野放しにしているのは。タチが悪いったらありゃしない。
「ちなみに半休だ。昼飯食ったら出かけるぞ」
「どうぞお好きに」
「お前も行くに決まってんだろうが」
「それ知らない。聞いてない」
「今言った」
「減らず口を…第一私は仕事が終わっていません。ひとりで行くのが淋しいなら誰か違う人を誘ってください」
申告しただけかと思えばを巻き込むと言う。はた迷惑極まりない。真意はどうであれ本当に仕事が文字通り山積みなのだ。
この光景が見えていないわけではないだろう彼には真摯に無理だと訴えるも帰ってきた言葉に思考を停止させられることとなった。
「寝ぼけてんのか?お前も半休だろうが」
何言ってんだコイツ、とでも言うように――言外では明らかに言っているが――器用に片眉を上げる顔が憎たらしい事この上ない。
それより今この男はなんと言ったか、全く身に覚えのない己の予定には僅かばかりに目を見開かせた。
「…え?それこそマジで知りませんでしたけど?言われた覚えもありませんよ…?」
「あぁ、さっきエルヴィンに申請出しておいたばかりだからな。伝わって無いのは当たり前だろう…言伝は俺が預かってきてやった」
「良かった私は寝ぼけていたわけではないんですねってか何勝手な事しちゃってんの!?仕事終わってないって団長に怒られるのは私ですね!?」
何故それを先に言わないのか。そう思う前には咄嗟に声を荒げ、すまし顔で紅茶を啜るリヴァイのその飄々とした横顔を睨みつけた。
己は休む気もこれ以上仕事を溜める気も更々無いのに、と焦る。以前書類を溜めに溜めて締切に間に合わなかった時、エルヴィンから自主規制も辞さない笑顔を真っ向から受け取って思わず失禁しそうになったのは記憶に新しい。
あんな過ちは二度と犯してはならない。あれは笑顔による教育ではなく教訓だ。だからも必死である。今現在進行形で溜めている点については学習能力が足りないと自負しているが、締切に間に合わせれば良いとタカをくくっているのだからしょうもない。
「お前…さっきから敬語とタメ口が混ざってて気持ち悪い。統一させろ」
「論点そこ!?それ今言う流れでした!?」
こちとらこれからの人生が掛かっている(失禁的な意味で)と言うのになに食わぬ顔で論点をずらしてくるリヴァイに殺意を覚えざるをえない。
彼の不可解な言動を問い詰めたいのにとうの本人は口をわる気はないらしく、本日2杯目の紅茶を空になたったティーカップに注いでいる。
これはもう諦めたほうがいいかもしれない。望まぬ申請を出されてあろうことか受理されてしまったのだからもうしょうがない。一気に思考回路がショート寸前にまで陥ってしまったは考えることをやめた。
「気持ち悪いっつてんだろうがお前の耳にはクソでも詰まってんのか」
「なにこれ凄く理不尽…へーちょうの身長が早く縮みますように」
「縮み始める年齢にはまだ早ぇよ」
「正論でボケ殺しはやめて」
うららかな春の日差しがなんとやら。背後から感じる温もりが椅子の背もたれを通して伝わってくる。脱力したように上半身を投げ出したはもう好きにしてくれ、と項垂れるのであった。
「あと1時間だ…ふたりでやれば余裕だろう」
「手伝ってくれるんですか」
「お前みたいなグズひとりでやっても午後に間に合わねぇのは目に見えてる」
「えぇそうですね急用が出来なければひとりでも余裕だったんですけどまさかタイムリミットがこんな短くなるとは思っていませんでしたし予定外の事で気が滅入りそうです」
「無駄口叩いてる暇があったら手を動かせこのグズ野郎」
「…ホント理不尽極まりないです」
どうやら手伝ってくれるらしい。その為に来ていたのかと思うともの好きにも程があるとしか言い様がない。
ひとりでやったら5時間もかかるところを1時間で終わらせてしまった悔しさに歯噛みしながらも最終的に紅茶を淹れてくれた優しさに全てがどうでもよくなったである。
ちなみにリヴァイはの3倍早かったという。さすが出来る男は違いますな。
そして何故か食堂ではなく外に連れ出されたは久しぶりの外食に感動しつつ、何だかんだ楽しんでしまっている己に我ながらに現金な奴だなと呆れる他ない。
ぶらりと街を散策して掃除用品店に付き合わされたり雑貨屋や洋服屋に入ってみたりと極々普通のショッピングを堪能した。
「腹巻暖かそう」
「なんだ、クソでも詰まってんのか」
「便秘じゃないですただそろそろ寒くなる季節なんで用心しておこうかと思っただけです」
「…プルーンが効果的らしいぞ」
「いやだから便秘じゃ無いって言ってるじゃん?」
たまにはこう言う気晴らしもいいかもしれない。誰の目も気にせず、訓練に没頭していた疲れも癒し休日を謳歌する。なんて素晴らしいのだろうか。
いつもなら休日と言えばもっぱら自室に篭もり寝てるか外に出たと思えば訓練をする、そんな色気もへったくれも無い干物女代表の様な日々。
街に出てぶらぶらするなんて忘れていた娯楽だった。微塵も浮かばなかったのだから必要ないと脳内が判断していたのかもしれない。だが現に今体感してみて楽しいと感じるのだから本当に忘れていただけだろう。
「薬局行きたいです。包帯の消費が激しくてストック欲しいです」
「好きにしろ」
他の兵士が見たらなんて言うだろうか。こんなに饒舌で楽しそうななんて滅多にお目にかかれまい。しかもあのリヴァイを振り回し始めているなど貴重にも程がある。
普段何も言わないので勘違いされがちだが、は気心知れた人間以外にも元々結構自分の意見は持っている。必要に迫られれば口に出す方だ。ただ世間一般的の口数で言えばやはり無口に分類されるのだが。
それも相まって今日のは異様に映るだろう。本人は特に意識をしているわけではないのだが、この意外な一面が広まれば冷酷人間のレッテルはいとも容易く崩れ去るかもしれない。
やはり中身は普通の女なのだとリヴァイは思った。相変わらずの無表情と抑揚のなさは健在するもこれがなければ普通の人間と変わりなく過ごせていただろうとも。
訓練兵団に在籍していた頃からこの調子だったと聞いたことがある。ならば生まれつきなのか、はたまた過去に何かあったのか。考えても答えは出ないので早々に打ち切った。
「そろそろ夕飯だ…戻るぞ」
「ホントだ。ありがとうございました…今日は楽しかったです」
「勘違いするな、俺は俺の用事を済ましたかっただけだ」
「……そういう事にしておきますよ」
飽くまでも白を切るリヴァイの本心に探り入れるなど無粋な事はしないが、なんとなく気を使ってくれているというのはわかってしまうのだから非常に照れくさくなってしまう。
些か強引ではあったけれど、元を正せば最近のを考えての事なのだ。娯楽も嗜むこともなく、訓練に明け暮れ疲労を回復させる気配も無いその様子を見て気晴らしにと考えたのだろう。
貴重な己の休日を使ってまで面倒を見てくれる、そんなリヴァイに感動すら覚えた。
非番の兵士が少ない日を選んでくれているという配慮も含め、どれだけ彼が偉大なのか思い知らされる一日だった。
「いい加減、敬語かタメ口かどっちかに絞れ。聞いてて気持ち悪い」
不意に振り返り失礼な事を抜かすリヴァイ。午前中にも聞いた指摘に思わず面食らう。
「これは酷い。敬語は元から癖なんですけどねぇ…ツッコミとかはついタメ口になっちゃうんですよ」
無意識な事だったので若干傷ついたは、ついと視線を横にずらし頬を掻いた。気持ち悪いって。気持ち悪いって言ったよこの人。
「タメ口が素なんじゃねぇのか?」
「いや、敬語がデフォです。ツッコミとかは不意にタメ口を口走ってしまいますが…いやはやノリで生きてきた感じなのでそれで制裁くらった事もありましたなぁ…」
訓練兵時代に怖いお姉さんやチャラチャラしたお兄さん達に寄って集って兵舎裏に呼び出されたのはいい思い出です。今の今まで忘れていたのだが。
それからと言うもののは目上の人には極力敬語を使うように徹したという。律儀なものである。
「くだらん」
当時も特に気にしていなかったが、やはり一蹴されると清々しい。くだらない。まさにその通りだ。あの頃は目立ちたくなかったし人から客観的に生意気だと映ってしまっていたのだから波風立てずに済めばそれでいいと自衛も兼ねてそうしたまでで。
仲良くなったからと言って年上にタメ口はダメだと思い知らされただけだ。同期や後輩にはタメ口になる時もあるが基本は敬語である。
「へーちょうは一応兵団内では私の後輩ですし…でも年上で…イマイチ立場が確立されていないというか中途半端と言うか…」
「仲は良いと受け取ってもいいのか」
「まぁあれだけ一緒に居ましたからね。仲良くないと言う方が失礼かと。貴方も特に嫌がる素振りはしてないと自負しているんですがどうでしょう」
「…今更だな。確認するまでもない」
「いや確認してきたのそっちじゃん」
リヴァイには引っかかるところがあった。そうだ、何故ハンジにはタメ口なのかと。あいつも先輩で年上だった筈である。そう疑問を口にすればはサラリと答えた。
「あの人は基本ツッコミしか言わせてくれませんしね。それと以前『君のタメ口は嬉しいからそのままで居てくれ』って言ってもらえましたしそれに甘えている次第です」
道理である。すんなり納得してしまったのだからハンジという人間はリヴァイの中でも『ボケ』に分類されているのかもしれない。
という事はリヴァイはの中で少しは『ボケ』だと思われているが、それだけではないという事になる。一体どう思われているのか疑問ではあるが聞く勇気はなかった。
どう言われようが決して己の望む返答は期待できないからだ。まさに愚問。なら下手に藪をつっつくよりかは謎のままにしておいた方が利口だと判断した。
「なら俺に対してもタメ口にしておけ。…『仲は良い方』なんだろう?」
「いやーでもみんなの前でへいーちょうにタメ口とか…目立ちますからねぇ…勘弁して欲しいです」
単独部隊を確立させた後に許した呼び捨てもリヴァイが兵士長という立場になった瞬間階級で呼ぶようになったのはこれが真相か。
目立ちたくない、と。十分悪目立ちしている冷徹人間が聞いて呆れる。納得いかない。
「……」
なんだかとてもイラっと来た。物凄くイラッときた。期待した己が馬鹿だったのだ。この鈍感女にあっさりと勇気を突っぱねられるなど予想できただろうに、己の自尊心は瞬く間に粉々である。
一言で表すと、恥ずかしい。それにつきる。
「…もういいお前なんぞぼっちがお似合いだ」
こうなれば自棄だ。知らん。もう知らん。友達なんぞやめてやる。仲がいいだと?片腹痛い。
「拗ねないでくださいよ…貴方何歳だと思ってるんですか。いい年こいたおっさんが見苦しい…よ」
あぁもうこれだから友達やめられない、なんて現金な事を思ったり。前言撤回だ。己はこいつの見守り役で良き理解者であって仲のいい友人だ。それでいい。
チラリと隣を盗み見れば、は再び恥ずかしそうに頬を掻いていた。顔が赤いのは夕日の所為なのか定かではないが珍しい部類の中でもかなり希少価値のある表情で。
可愛いところもあるじゃねぇか、そうリヴァイは口には出さず心の中に留めるのであった。
「あ、でもみんなの前ではいつも通りですからね。だからね」
ジト目で主張してくる言葉も、ついと外される視線も引き締めた口元も愛らしい、そう思った。これで名前も普段から呼び捨てだったら完璧なのだが。
いやしかし、とリヴァイは考える。高望みはダメだ。また自尊心を粉々にされかねない。今は鈍感な彼女のまだ小さいながらも3歩分にもなりえる進歩を噛み締める事にしよう。そう決めた。
「…悪くない」
「貴方は少し素直になった方がいい。私の勇気返して」
それは数分前の俺の台詞だ、とは言わないが満足したからどんな不満も無礼も許そう。微妙にふたりの間に流れる気恥ずかしい雰囲気はなんだかとても心地が良かった。
いい歳こいてガキみたいだなんて思いながらも帰路に着くリヴァイは鈍感すぎるが悪いと責任を転嫁して、反対にはこれから使い分けが大変だなと色気のへったくれも無い事を思ったりして。
各々思うところはあるけれど、今はこれでいいと納得しているので悪い気はしなかったという。
END.
ATOGAKI
ただ敬語をとっぱらおうという話でした。何度も言いますが仲のいい人には無口ではなくなるのです。
実際ふたりの時に無口だったら話し進まないじゃんとかメタらめぇ。