She never looks back
―はた迷惑な寝起きドッキリ―
の執務室。相変わらず何もない室内は閑散としており、片付いているというより必要最低限の家具しかないだけで、薄暗い事により一層生活感が気薄になっていた。
よく使用するカップでさえ食器棚にインテリアのように飾られているのだから呆れる。几帳面で潔癖症の彼は満足する清潔さだろうがそれにしてもとは思う。は潔癖症ではないのだからもう少し隙があっても良いのではないか、と。
仕事をする執務室に生活感が見えすぎなのもどうかとは思うも、備品さえも無さすぎるのだ。この部屋は。
冬目前にし肌寒さが襲う早朝、リヴァイは主の許可もなく室内に踏み入れた。そこには人の気配はなく、分かっていたのだろう迷わず奥の私室に向かうと再び許可を取ることなくドアを開け放つ。
執務室とは違いカーテンが付けられていない私室は朝日が眩しい。
普通プライベートな部屋にカーテンを付けるものではないのか。着替え時など外から丸見えだ。ここが2階であろうと曲がりなりにも女なのだから気を使えと言いたい。
リヴァイは母性本能という新たな一面を引き出されながらも窓際に備え付けられたベットへと進む。
最初に目に付いたのは真っ白な掛布から覗く生足だった。頭隠してなんとやら、掛布は上半身を覆い下半身が曝け出されている。とても寒そうだが身じろぎひとつしないところを見ると無用な心配らしい。
女が下半身を冷やすのは如何なものか。きっと表面は冷たいに違いないが流石に触って確認することはできなんだ。
の寝間着はロングシャツ一枚だった。流石に下着は履いているだろうが腰から下、足の付け根までの短い範囲に見えるシャツ越しからは確認することは出来ない。それよりも見えそうで見えない際どさがリヴァイの何かを煽る。
思わず額に手を当て嘆息。鍵をかけずになんとだらしない醜態をさらしているのか、とは思うものの態度とは裏腹にしかと目で堪能しつつリヴァイは頭まで覆う掛布を剥ぎ取った。生足はもう見えない。
「ん…」
寒さからなのか光を唐突に浴びたからなのか艶かしい声が上がる。乱れた髪から覗く露出した項部分が更に煽ってくるも頭を振るう事で邪念を振り払う事に成功した。
「おい、起きろ」
このままでは色々ともたない。ならばさっさと起こせば良いのだが目に付くもの全てが思考を鈍らせる障害となり思ったより時間が掛かってしまったのだ、と言い訳する。
「…ふぁ……?」
掠れた声は吐息にも聞こえたが疑問形なので意識は浮上したらしく、の指も反応を示した。再び夢の中に行かないよう今一度声を掛け更なる追撃を試みる。
「起きろ、寝坊助…襲うぞ」
些か物騒だが効果は抜群では疑問符を頭上に浮かばせながら目を開けた。そして。
「何故ゆえ…へーちょーが居らっしゃるのでしょうか…?」
寝起きで舌っ足らずではあるが意識は完全に覚醒したらしい。上半身を起こすと顔を手で覆いつつ前かがみに座った。顔を洗いたいのだとの頭の中が手に取るように分かる。
リヴァイは質問に答えるよりも先に洗顔を促す事にした。すると急いでベットを降り洗面所へ向かう。シャツ越しにあるはずの凹凸が見当たらない背中が朝日を反射して眩しかった。上は着けない派か。邪念を振り払う。
「……で?何でここにいるんです。乙女の部屋に無断で入るなんて不躾だとは思いませんか」
戻ってきたは着替えまで済ませており、リヴァイを睨みつけるとごもっともな不平不満を容赦なく浴びせた。嫌味ったらしく敬語になってしまうのは当然だろう。
いくら気心知れていると言ってもプライベートに足を踏み入れられるのを許可した覚えはない。璧外遠征中ならともかく、ここはが唯一無防備な姿を曝け出せる言ってしまえば聖域のような場所だ。
まぁ口酸っぱく部屋に入るなとは言わない。構わないのだが寝起きを見られるなんて相当堪えるシチュエーションではないか。そう訴える。だがリヴァイは腕を組み悪びれもなく言った。
「一丁前に恥じらいを持ち合わせているとはな…盲点だった」
「謝罪を要求する」
間髪入れぬの発言は虚しくも室内に散った。
「今日は非番だ」
「そうですね、私もです」
「敬語はやめろと再三言い聞かせたはずだ…学習能力はないのか」
「ぶっ飛ばすぞクソ野郎」
「なんだ、怒っているのか。機嫌を直せ」
「貴方が謝罪したら考えなくもないです」
「不本意だが悪かった。これで気は済んだか?」
「お願いだから素直に謝って。私の堪忍袋の緒が何本あっても足りない。そろそろ心のジャックナイフが貴方を貫きそう」
「受けて立つが」
「帰れ」
つれねぇな、なんて呟きは聞かないことにして必然と耳につくように嘆息したはプライベートで買ったふたり掛けのソファに力なく座る。肘掛に凭れ掛かり項垂れると寝癖がついた頭を掻いた。
先程も言った通りたまの休日、しかも朝っぱらから見たくもない顔を拝んで腹の立つ会話を繰り広げられなくてはならないのか。とてつもなく面倒くさい。折角心ゆくまで睡眠を貪れると思ったのに、と言外に告げる。
「まぁ…なんだ…悪かった。いい加減機嫌を直せ」
の態度に焦燥を感じたのか隣に腰掛けたリヴァイは全うに謝罪した。背もたれに乗せられた腕が躊躇いがちに動き最終的にはの頭に行き着く。
この男は卑怯だ。頭を撫でれば良いと思っているからタチが悪い。頬ずえをつきながらは心の中で悪態ついた。
「仕方ないから許すけど理由を10文字で」
「『暇だから遊びに来た。』」
「早朝から迷惑極まりないこっちの都合も考えて」
「いつもは起きてる時間帯だろうが。寝てるとは思わなかった」
「だからって起こすことないでしょうに…任務明けだからたまにはゆっくり寝るの私は」
「おはよう」
「おはよう」
「寝てもいいぞ」
「いいの」
「俺が暇に逆戻るだけだ…好きにしろ」
「その発言は卑怯。余計寝れない」
「お優しいこって」
「ひとりで暇に苦しめばいい」
「冗談だ。構え」
「すいません寝かせてください……」
完全に遅起きすると決めていた手前予想外の睡眠妨害に体がついていかないは、頭で上から下に絶え間なく撫ぜる手の感覚も相まって眠気が引き出され瞼が重くなっていく。
流石に耐えきれず床につくのを懇願してしまう程に。この男は分かっててやってるんじゃないか、そう疑わずには居られまい。
「寝間着に着替えてこい。今回は下着をつけろよ」
「セクハラで訴えるよこのスケベオヤジ」
前かがみになってバレないようにしたのにいつ気付いたんだ。まさか背中越しに見ただけで察したとは思いもよらぬ。
「そうか着替えさせて欲しいのか待っていろ今脱がす」
本当に脱がそうとするこの変態をどうにかしてください。胸倉のボタンに伸ばされた手を素早く叩き落とした。
「知ってた?私の部屋の至る所に武器が隠されてるんだよ」
「マジかよ物騒だな」
「マジだよ見せてあげる」
何処からともなく取り出したナイフが握られているのを視認するとリヴァイは静かに手を膝の上に乗せる。備わってて良かった危機感。
「本当に寝るけど」
憂いげな瞳が向けられもしかして誘っているのか、などと場違いな考えが脳裏をよぎるも視界の端で光るナイフが煩悩を脅してくる。これ以上ふざけていると本当に刺されかねないので二度寝を促す事にした。
「早く寝ろ…もう邪魔はしねぇよ」
「なんだか理不尽を受けている気がしますがお言葉に甘えて」
そう言うと再び洗面所に行きふらつく足取りで戻ってくる。本当に眠いらしい、リヴァイの存在を忘れモゾモゾとベットに潜ると冷たくなったシーツから身を守るように丸くなる。小さい体が更に縮こまりまるで小動物のようだと思った。
「何…してんのさ…」
「侘びの印に暖代わりになってやるだけだ」
「…そう」
拒否されると思ったがどうやら温もりには勝てなかったらしい。我が物顔でベットに入ったリヴァイを一瞥しただけで突っ撥ねる事もしなかったは数分もしないうちに夢の中へ旅立ち則正しい寝息をたて始める。頬を引っ張っても反応はない。
一度寝始めると起きないタイプなのか安心しきっているのか分からないが気を良くしたリヴァイは丸まったの体を伸ばし己の方に向き直させ足を絡めると腰を抱く為に手を添えた。
体制を変えたせいで捲れてしまったブラウスの弛んだ部分が直せと主張するも放っておく。枕と首の間にできた隙間に左腕を慎重にねじ込むと躊躇う事なく抱き寄せた。嗅覚から肺まで満たされるの香りに安堵し睡魔が襲う。
興奮すれば本当に変態になり兼ねないが、幸いにも眠気の方が勝り煩悩は眠りについたようで。
起こすのは流石にやりすぎたか、と反省しつつの後を追うようにリヴァイも夢の中へ旅立つのであった。
夢を見た。度重なる璧外調査で次々と失われる命の夢を。仲の良い同期、喧嘩腰に軽口を言い合った先輩、嫌悪し恐れられた後輩、出来すぎた初めての部下。
最後は血だらけだったり五体満足にも関わらず巨人の口に飲み込まれていったりと様々な死に際だ。なんと残酷な光景か。
断末魔の叫びが重なり合い絶えず反芻する。耳鳴りのように木霊し耳を塞いでも鳴り止むことはないそれは鮮明に響き鼓膜を破らんとする声音で訴え掛けてきた。
助けて。誰か。嫌だ。死にたくない。やめて。死にたくない。怖い。死にたくない。助けて。
何度も、何度も、何人も、どこからともなく方向感覚さえも麻痺させるほど全身の至るところから浴びる呵責。延々と続く無限のループ。
それでも私は立ちすくむ。声だけの世界でただひとり何も言えず目を閉じた。
死にゆく者全てを看取った訳ではない。与り知らぬ所で死んでいった者は数え切れない程いる。数多の守りきれなかった兵士たち。掌からこぼれ落ちてゆく彼らの生。それに比例して彼らの意思は確実に引き継がれているのだと思わずにはいられない。
彼らは勇敢なる兵士だ。何人たりとも無駄死にだとは言わせない。公に心臓を捧げた立派な兵士であり生を全うしたのだと慟哭する。
私は無力だ。死を目の当たりにする度に思い知らされた。いくら戦う場を与えられても、自由に飛ぶ術を手に入れても、伸ばした手に掴めた命は失われた命の数より比べられ無い程少ない。その度に心は苦い後悔に染まる。
それでも己は振り返ることを許さない。何度も目の前で命が失われようとも、後悔を抱いても、遺品を受け取っても。立ち止まることは許せなかった。振り返って過去に思い馳せる事も、死に未練を残す事も、彼らへの冒涜だと信じて疑わない。
己にできることは彼らの意思を受け継ぎ前へ進むことだ。そう思ったから。
きっと己は弱い人間なのだろう。振り返ってしまったら後戻りできないと確信にも似た予感に恐れ目を背けているだけなのだと。裏を返せばそう言う事で否定できない事実に殊更虚勢を重ねてゆく事しか出来ずにいる。
だから、己を痛めつけることで気を紛らわせようとしているのか。人から忌み嫌われ負の感情を受け止めて、己の弱い部分を叱咤する。とんだ卑怯者だ。最低な人間だ。そう知りつつもこの状況に甘んじているのだからタチが悪い。
それでも己は突き進まなければならない。でないと全てが崩れ落ちてしまうから。意思を残してくれた彼らや己を庇い賭した部下の命でさえ無駄になってしまうから。せめて己が死ぬまで言い訳に使うことを許して欲しい。
なんと罵られようとも己は胸に刻んだ想いと共に戦わなければならないのだ。生き残るために。儚くも僅かな生を繋ぐ為に。己が出来ることは限られているが、卑怯な己が殉死した兵士に報いる事を今しばらく許してはくれまいか。
鳴り止まぬ阿鼻叫喚にそう、切に願う。
「…起きたか」
瞼を開ければ見慣れた凶悪ヅラが視界に映る。何故に居るのか考えてるうちに、そう言えばそんな流れがあった気がすると寝ぼけた頭で記憶を呼び起こした。
「格闘技の練習台にしないで下さい」
「色気もへったくれもない事をほざくなバカ」
身動きが取れないからと言って関節技をかけられていると発想に行き着くのはどうかと思う。リヴァイの呆れた嘆息は吐かれて当然であった。
「…これはどういう状況だろうか。寝ぼけ頭に辛辣すぎる」
「あったかいだろうが」
「暑苦しいの間違い」
「心のジャックナイフを仕舞え。俺は傷心した」
「嘘コケ。楽しんでるって顔に書いてある」
「チッ…バレたか」
「せめて隠そうとして。ニヤニヤしないで気持ち悪い」
「俺は元からこういう顔だ」
「それは知らなかった。今度から態度を改めますね…」
「引くな。冗談に決まってるだろうが」
「わかってるよ」
「なら良い」
嗚呼、寝覚めの悪い夢を見ていたと思っていたのに。
「目覚めにへーちょうの顔を見たらなんか…気が抜けた」
は知らない。これが安堵からくる脱力感だとは微塵も思わなかった。
「…風呂に入ってその汚ねぇ寝汗を洗い流してこい」
リヴァイは知っている。過剰な寝汗は夢のせいだと。暑さからくるものだけではない、魘される彼女を見たからこそ確信する。
「汚いとは如何に。貴方も寝汗掻いてるでしょうに失礼な」
「なんだ、一緒に入りたいのか」
「いい加減帰れよ変態」
するりと寝技から抜け出したが洗面所に姿を消すまで早かったという。汚いと言われたのが堪えたらしく、ブラウスが捲れ下着が顕になっていた事にも気付かずそのまま闊歩していた。白か。沈まれ変態の煩悩。
「チッ…魘されてんじゃねぇよ…」
己と共に寝て魘されるなんていい気はしない。まるで俺のせいみたいじゃねぇか、とありもしない事に柄にも無く被害妄想に陥るリヴァイ。しかし。
「だらしねぇ顔しやがって…ときめいちまうじゃねぇか…」
リヴァイを見た時の顔と言ったら。
『気が抜けた。』
その言葉通り、の表情は緩んでいた。僅かなものだったが微笑んでいたと記憶している。見間違いではないはずだ。確かに垣間見た微笑みが脳裏に焼き付いて離れないリヴァイは枕に顔をうずめ目を閉じた。
アホらし。ガキの恋愛か。己を叱咤するように嘆息すると午後の陽気に誘われるがままに意識を手放す。お風呂から上がったに起こされるまで深い眠りについたという事実に驚くのは数分後の話。
END.
ATOGAKI
信頼関係を極めすぎもどうかと思うという教訓を学ぶ話(嘘)歳を食ってそう簡単に理性が決壊する事は難しい、そんな兵長です(嘘)
常時敬語でツッコミ時にタメ口というスタンスが変化して常時タメ口でツッコミ時に口が悪くなってしまいました。すみません。
自分は弱いと客観的に理解できるようになったのは兵長のお陰なんだろうな、と後付けを考えてみました。すみません。