She never looks back
―重なり合う偶然―
ローゼ領内のとある山中。静寂を切り裂き蹄を響かせる一頭の馬。馬上には暗闇をものともしない様子で手綱を操るの姿。彼女は単独任務の帰り道、近道にと選んだ山道を駆け抜けていた。
唯一の頼りである月の光さえ射さない山奥は季節ゆえか虫の声さえも聞こえない。頬を打つ冷たい風が馬の速さと比例しての体温を無情にも奪ってゆく。
雪が降るにはまだ早い時期ではあるが冬の匂いは鬱蒼と生い茂る木々達を嘲笑うかのように漂っていた。
「……」
寒い。その一言を洩らしてしまえば後戻りはできまい。小柄な体躯を更に縮こまらせ一秒でも早く本部に戻ることに尽力するは数刻前から感覚を失っている指に力を込めた。
と、その時。視界の端に小さな明かりを捉えた。
目を凝らさなければ見落としてしまいそうなほど遠く、僅かな木々の間合いから垣間見れる程度のものだったが流石は度重なる壁外調査を生き延びてきた兵士、その微々たる光でさえ見落としはしない。
「…こんな夜更けに誰」
己を棚にあげ訝しむは馬の速度を緩め警戒しながらもその明かりを目指す。
ちょっとした好奇心であった。もしかしたら森で迷った人間かもしれないという心配もあったのだろう。焚き火なら少し温まりたいという欲もあったのかもしれない。
草木を掻き分け次第に明かりの全貌が見える頃には後悔しても時すでに遅し、やまびこが聴こえそうな程大きな怒鳴り声を浴びせられ身を竦めさせたは焦燥感に駆られる事となる。
「何者だ!!」
懐かしい声だ。数年ぶりに聞く身を震え上がらせる程の怒声に声の主を視認すると安堵の胸をおろした。
「団っ…キース、さん。お久しぶりです」
「…お前…か?」
数年前まで調査兵団の団長を努めていた己の元上官、キースがそこに居た。彼は髪の毛を剃りおっかない顔つきでこちらを警戒していたが、だと分かると緊張を解く。
良く見れば周りには数人の訓練兵団の教官が佇んでおり、キースが優しげな微笑みを浮かべるので驚いていた。
「こんなところで奇遇だな。単独任務中か?」
「はい。帰路の途中で。キースさんたちは…野外訓練です?」
「そうだ。訓練兵達は少し離れたところで晩飯にありついている頃だろう。時間に余裕はあるなら少し温まっていけ。今宵は良く冷える」
「ありがとうございます…お言葉に甘えて」
焚き火の前に招かれたはこちらを不審な目で見つめる教官達の視線に内心戸惑いながら冷えきった指を火に翳す。暖かい。まるで氷が溶けていくような感覚を一心に受け心ゆくまで堪能した。
背後ではキースが他の教官達に軽く説明を施し納得した彼らは持ち場に戻っていく。瞬く間に不審な目は向けられなくなっていた。
「悪名高いお前も私服であればただの女だな」
「か弱い、と付けてください」
「冗談なら真夏にしてくれ。こんな寒い夜では心まで凍ってしまう」
「あなたの頭の方が薄ら寒いです」
「その生意気な口は相変わらずだな。リヴァイに躾し直してもらわねばならんようだ」
「それこそご冗談を」
は調査兵団以外でも名の馳せた兵士だ。もちろん、悪い意味でも。
英雄と称えられたリヴァイとは真逆の冷酷人間という悪名高いレッテル、反対に異例の単独部隊隊長という一目置かれる名誉ある地位に対する評価。
どちらも良くも悪くも目立つ彼女だが意外にも本名まで知る者は少なく、顔すら見たことがないという兵士が大半である。
その為、現在私服のを不審に思う教官達の視線は当然のものだろう。こんな夜更けに一般人である女ひとり何事だ、と。
彼女は故意的に公の場へ出ないようにしているのだから計画通りと言ったところか、キースもあえての正体を明かさず彼らに説明していた。
「任務は順調か?」
「そうですね…朝までに報告を済まして次は北に行く予定です」
「お前の単独任務における信頼は並大抵のものではないからな。エルヴィンも頼りにしてるだろう」
「正直負担が大きくもあります…今回の件が終わったら連休でも頂こうと考えさせる程に」
「結構なことだ。存分に休んでまた馬車馬のように働くんだぞ」
「何それひどい。何度もいいますけど私はか弱い一兵士ですよ」
「お前は巨人の討伐数を覚えているか? 」
「いいえ。毎度両手両足じゃ数え切れ無いほど増えるもので5度目の遠征から数えることを辞めました」
「…どの口が『か弱い』と申す」
「そろそろ兵長に削がれそうなこの口ですかね」
「早く削がれれた方がいいかもしれんな…」
「本当に私の扱いひどい」
愉快そうに笑うキースが忌々しくもあり、調査兵団の団長をやっていた頃よりどことなく雰囲気の違う彼には目を細めた。
彼はその厳つい出で立ちで訓練兵に鞭を打つのだろう、だがその心はいつでも暖かく切なさを孕んでいる。
それは自身の一方的な見解だ。彼の本心を知る事はどんなに時を重ねても出来ないのだろう。それは互いに望みはしない。
だからこそ今こうして世間話に興じることができるのだとは思う。彼はどんな役職に就こうがにとっては上官であり、尊敬する兵士。
それ以上でもそれ以下でもない。その距離感がとてつもなく心地よかった。
「…さてと。そろそろ出発しないと朝に間に合いませんね。普通のお馬さんなのでいささか時間が掛かりますし」
半刻が過ぎた頃だろうか、は懐から取り出した懐中時計を確認すると徐ろに立ち上がった。
それに続くキースはに向き直ると慈愛を込めた瞳を携え微笑む。訓練兵が見れば驚きに目を見開く光景であろう。
「そうだな。久しぶりに話せて楽しかったぞ、。暇があれば訓練兵に混じり基礎を見つめ直しに来るといい。歓迎する」
は差し出されたキースの右手を握り一礼をするとつい、と目を逸らしキッパリと断言する。
「キースさん怖いから嫌です」
「なに、手心を加えてやらんでもない」
「…その手には引っかかりませんからね。まぁ…気が向いたら顔を出しに行きます。新兵の青田買いに」
ツンと拒否したかと思えば渋々ではあるがデレるに目を丸くするキース。やれやれ、と苦笑を漏らせばジト目が返ってきた。
可愛い奴め。団長という地位を降りた身ではあるが未だに慕ってくれていると受け取っていいものか考えあぐねるも、この不器用な彼女の本質を知る数少ない人間のひとりと自負し甘んじることにする。
「今年はなかなかに骨のあるやつが多いぞ」
「期待しておきます。調査兵団に入るかは期待しませんけど」
「後ろ向きな奴め。率先して勧誘したらどうだ」
「それは団長がやる事なので一兵士である私の預かり知らぬ事です」
「…相変わらず辛辣な奴だな」
人間そうコロコロ変わってたまるか、そんな悪態を胸中に隠すもバレているのは重々承知だと言わんばかりに頬をかく。
キースの笑がニヒルに変わる瞬間を目撃しまい冷や汗が流れるであった。
「ではまた。キースさんのご健勝をお祈り申し上げます」
そう言うと敬意を含めた敬礼をしは馬にまたがると騎乗しているにも関わらず対して身長差が対して縮んでいないキースを一瞥する。
「お前の活躍を今までと変わりなく期待しているぞ、」
それは信頼ゆえか、真摯な眼差しがを射抜く。ふたりの間には昔の面影が見えた。しかし、は戻りたいとは思わない。振り返ることもしない。
どんなに距離があろうと、顔を合わせることが無くとも目に見えぬ信頼は確かに息づいているのだから。
「あぁ、そうだ…ひと班だけ未だに戻ってないんだが…見つけたらそこはかとなく導いてやってくれ。あいつらはお前との再会に免じて大目に見てやる」
「その分明日扱くんですね、わかります」
「よろしく頼む。ではな。道中気をつけるんだぞ」
「面倒を押し付けやがって…ハゲが」
「何か…言ったか?」
「さよーならー」
そそくさと馬を走らせるの姿は直ぐに木々に阻まれ見えなくなる。最後に垣間見た背中はキースの瞳に数年前よりも頼もしく映ったという。
小さいながらも軽快な破裂音が薪から聞こえる。いつの間にか蹄の音は聞こえなくなっていた。
♂♀
申しわけ程度に舗装されている道を逸れ獣道を緩やかな速度で入り辺りを見渡すは、キースの『お願い』を律儀にこなすべく遠回りになる道を進む。
温まっていた体は既に冷え切り暖をとる代償にしては些か酷なのでは、と思い至るのは今さらである。
「…うおっ!だ、誰だ!?」
草木を掻き分け横たわる大木を飛び越えようとしたその時、大木の向こう側に人影が見えた。ランタンを持つその人物の服装からするに訓練兵で間違いない。
彼は目深にフードを被るが不審者丸出しで驚きの声を上げ警戒し、今にも切りかからんとしている。どう宥めるか思案するもにはその顔に見覚えがあった。
「ジャン坊……あ」
名前を呼んでから「やっべ」と口を押さえるも時すでに遅し。は騎乗している為見下ろす形になっているのだ。
いくら目深にフードを被っていても見上げられれば丸見えで。ランタンの灯りに目を眇め腕で隠すも手遅れであった。
「、姉…?本当に姉か!?」
嘘だろ、と信じられない様子のジャン。彼は刃を収めると大木を超え足元に駆け寄り無言のままでいるのフードを下ろした。
「や、やぁジャン坊。久しぶりだね…?」
「久しぶりも何もあるかよ!最近顔出さねぇし何してたんだ?俺たちがどんだけ心配してると思ってる!」
「まぁまぁ落ち着いて。私にも色々と事情が――」
「ふざっけんなよてめぇ!!しかもこんな真夜中に女ひとりでふらついてんじゃねぇよ!!」
「――じ、事情が…聞いてください…あの、ジャン坊よ……」
有無も言わさず畳み掛けるように叱咤し続けるジャンにはたじたじである。まさかこんなに怒られるとは思わなんだ。
疎遠になりがちだったのは自業自得という事もあり甘んじてお叱りを受けよう。は馬から降りるタイミングを失いながらも詰め寄るジャンから逃げることなく口を閉じるのであった。
彼とは兵士になる前からの付き合いだ。は一時期城壁都市であるトロスト区に住んでいた事があり、その時ジャンママには大変世話になったという。
それからと言うものの色々あったが調査兵団に入隊してから疎遠になりがちで。理由は怒られるのがわかりきっているからだ。実のところ兵士なのも隠しており心底私服で良かったと胸を撫で下ろしたり。
彼が訓練兵に志願したことは知っている。前々から憲兵団に入って云々聞かされていた。だがまさか今期に入団、その上こんなところで出くわすとは思いもよらぬ。
暫くして満足したらしいジャンの様子を伺いつつは馬を降りると口を開いた。
「ちょっとお使い中なんだよねぇ。帰路の途中だったんだけど灯りが見えたから気になって来てみただけ」
「危ねぇだろうが!もし窃盗団とかだったらどうすんだ!!」
「そうだね、うんうんそうだよねごめんね私が悪かったよ」
「その棒読みやめろ!本当に反省してんのか!?」
「…はい。申し訳ございませんでした…以後気をつけます…」
小さい頃はあんなに可愛かったのにいつの間にかこんな凶悪面で説教する子になったなんてお姉さん切ないです。とは思うものの彼の言っている事は正しいので素直に謝罪する。
その姿は冷酷人間の『れ』の字も見受けられなかったという。
「そ、そう言えば向こうに訓練兵団の団体さんが居た。ジャン坊は合流しなくていいの」
「それは本当か?…ま、まぁ今からそっちに行くつもりだったからよ。…なんか言ってたか?」
意地でも道に迷ったとは言わないのだろう。どうにかこうにか取り繕うとしているのが見て取れる彼には相変わらずだな、と内心微笑みながら存じぬ旨を伝えると再び馬に跨った。
「じゃあ夜が明けちゃうと怒られるから私は行く。道中気をつけるんだよ…お月様の方向に進めば合流できると思うから」
「あ、ありがとよ。姉も灯りが見えたからって迂闊に近寄るんじゃねぇぞ。わかったか?」
「…肝に銘じておく」
「お袋の奴寂しがってるからよ、たまには顔見せてやってくれ。じゃあな」
本当に大丈夫か。お互い訝しみながら別れは帰路につく。生い茂る葉の合間から冬間近な空を見上げ、懐かしい顔を思い出しては冷え切った指に力を籠めた。
懐かしい人間、しかも2人にも会えるなんて今日はいい日だ。帰ったらエルヴィンに報告ついでに話そう。
申しわけ程度に舗装された山道に出て目深にフードをかぶり直すとは一気に馬を走らせた。
風に靡く外套は心なしか楽しげに揺れていたという。
END.
ATOGAKI
過去が固まったので漸く書き終えることができました。3ヶ月ぐらい放置してあったっぽい。
携帯に書いてあった下書きなんですけど仮のタイトルが『山道のハゲ』で申し訳ない気持ちになったとはここだけの秘密。
限定版OVAの話とは別です。
多分ジャンとは今後あと2回コンタクトがあります。まさかの三段構え。笑