She never looks back





エルヴィンの伝である男が目を細め見極めるように視線を投げる。


「エルヴィンからの依頼だ…信用してない訳ではないが本当に君は腕が立つのかい?」


は細く小柄な体躯で彼には心もとなく映り手練とは到底思えまい。 そんな彼の訝しむ視線に気を害した様子もなくは背を向けたまま答える。


「……それなりに」


真黒なジャケットに袖を通しの任務は始まりを告げた。








 ―問うに落ちず語るに落ちる:前―









、君は救えるはずの命を切り捨てる事ができるか』


真摯な視線。淡々とした声音。彼は守るべき人類の内の少数を切り捨てこれからの調査兵団の為に、守るべき人類の内の多数の生を選んだ。 それが分からないではない。彼女もまた目を閉じ覚悟を決める。

――愚問だ。

僅かな時間を置き、開かれる瞼から現れた瞳に迷いはなく。


『できます』


交じり合う視線。これ以上の言葉は不要だった。









「どうだ?上玉揃いだろう…今夜の夜会は盛り上がるに違いない」

「……そうですね」


この世界は残酷だ。そして己もまた――。

煌びやかな装飾品。目が眩む程の輝き。噎せ返りそうになる甘美な香り。その全てに吐き気がする。ステージ袖から忌々しげに室内を一望しは仮面をかけ直した。 今宵はただの夜会ではない。そう称したオークションであり、売りに出されるのは人間だ。女子供にジャンルは多岐にわたる。 盗み見たリストにはどの子がどのような趣向に合うか、それに加えて身元も書かれていたと記憶している。

親に売られた者、地下街からの掘り出し物、拉致者。活字を追うだけでも不快感が全身に駆け巡り私利私欲にまみれた人間の醜悪さが彼女の心を揺さぶった。

ふと視線を感じ目を向ければ光のない瞳がを射抜く。何もかも諦めた姿はなんと残酷なものか。 彼女達の視線を一心に受けながら逸らせない目が乾きその光景が焼き付くのを感じた。同時に暫くは魘されそうだ、そう心無いことを思う。


「…たす…け、て」


助けて。掠れ声でそう嘆願を口にしたのはどの子だったか。見渡せど特定することは終ぞできなかった。

もし任務内容が潜入捜査でなければ助けることも彼女らの願いを叶えることもその鳥籠の形を模造した檻から解き放つ事だってできただろう。 だがそれは許されない。何より任務を遂行する事がの最優先事項でありエルヴィンへの裏切り行為は己が許さない。 現状に何も思わない訳ではないが仕事は仕事と割り切っていると言うよりも己が選んだ道。背こうなぞと毛頭なかった。

調査兵団の為になるならばどんな任務でもこなしてみせる。それがの意思だ。例え人殺しを命令されようとも、今のように救える命を切り捨てろと命令されようとも。 壁外では救いたくとも救えない命もあるのになんと皮肉なことか。彼女らを見下ろしてただただ自嘲する。 許しは請わない。してしまえば、それは彼女たちへの冒涜になる。


「発言は慎んでください。痛い思いはしたくないでしょう」


皆が最初からこのように口を噤んでいたわけではない。反抗する者は尽く力で捩じ伏せられ助からないと悟ったまでだ。 真新しい痣が残る娘は目に付くだけでも半数以上は居る。手当てなんぞまるで唾をつけた程度に等しく、高価な売り物とは言うものの扱いはぞんざいだ。 奥に控える強面の大男が手を上げ、制裁を加えるのは何度も見てきた。いくらが先手を打って彼女たちに叱咤しようともその手が止まることはなかったという。

今回はオークション前だということもあり大男の眉がわずかに反応を示しただけに留まったようだ。 許されるならば彼の両手両足を切り落としてやりたいと思うのは自由だろう。


「長らくお待たせいたしました。これから今宵のメインディッシュとなるオークションを始めます」


司会者の声が大きく響き、招待客の邪な期待と欲望が室内を覆い尽す。仮面の孔から覗く瞳はギラギラと光りステージを見据えていた。 簡略な説明とともにひとりずつステージに運ばれてくるのを食い入るように見つめては手を挙げ数を示す。それの繰り返しだ。 は雇い主の傍に戻ると同じようにステージに目を向け、その悪趣味な光景に心を殺していくのだった。


「今回も大盛況だ。欲望に駆られた蛆虫どもが大金を落としていく様は見ていて気持ちがいい」

「…そうですね」


蛆虫はあんただ、という言葉は飲み込んだ。いつものならば息をするように出てきていただろう。だが今は大事な任務中、失言は許されない。 無口も相まって任務での身の振り方には抜かりが無い。これがが単独任務を任せられる所以でもあった。 ポーカーフェイスを崩すことも態度に出すこともない。必要とあらば演技だってこなしてみせる、潜入捜査にはうってつけの人材といえよう。


「おお、あの娘は地下街のピン商会から買い取った上玉だ」


よく喋るな豚野郎、どっかの誰かさんならそう言うに違いない。雇い主は聞いてもいないことを喋り、勝手に情報を語りはじめる。 証拠を集めるにあたり紙面上では入手できずにいた情報がこうも簡単に舞い込んでくるとは。 内心でほくそ笑むは適当な相槌をしつつ彼の言葉を一句一文字も洩らすことなく海馬に叩き込んでいった。


そしてオークションは中盤に差し掛かり雇い主の得意気な語りも落ち着いてきた頃、滞りなく催されていた舞台は暗転する。 割られる窓ガラス。切り裂かれた暗幕。何事かと動揺した招待客達の空気を揺るがす絶叫。次々に破壊されていくランプ。室内は闇に包まれた。


「誰だ!すぐに明かりを持ってこい!!」


雇い主が声を張り上げ、命令に従う執事たちは一斉に駆け出すと扉から出て行った。 それを見届ける前にワイヤーの擦れる音とガスが噴射される音がざわめきに乗じて聞こえてくるのを確認すればは即座に臨戦態勢に移る。 今は依頼主専属のボディーガードだ。侵入者が居たとなれば真っ先に守らなくてはならない。


「どっかのゴロツキが金の匂いを嗅ぎつけて来たみたいですね」

「死ぬ気でワシを守れ!」

「……仰せのままに」


目の前に降り立つ人影は割られた窓から差し込む月の光を浴び姿を現した。真っ黒なマントのフードを深くかぶり顔を窺い知る事はできなんだがその正体は瞬時に分かる。

――よりにもよってリヴァイですか…これは骨が折れるなぁ。

エルヴィンから聞いていた作戦内容には『潜入3日目、襲撃するための兵士を送る』とのことでさして気にもとめなかった。 より多く情報を聞き出すにあたり、信用を大いに確立させるため雇い主を身を呈して守り襲撃犯を撃退する。 というシナリオの一部なのだがまさかその襲撃犯にリヴァイを選ぶなんて人が悪いにも程がある。 撃退しなくてはならないのに人類最強を出してくるなと言いたい。これ切実。

周囲は暗闇の中混乱に飲まれている。その中に襲撃犯は3人。 目の前のリヴァイを含め計4人がの背後で檄を飛ばす雇い主の命を狙ってくる…振りをしてくる算段だ。これ以上絡みの多い顔見知りでないことを祈る。


「は、早くそいつらを殺せ!!」

「チッ…うるせぇな」

「……」


現時点で正体がばれたらどうすればいいのだろうか。彼は誰もが知るといっても過言ではない程の有名人なのだ。 これが調査兵団からの差し金だと気付かれれば今までの苦労が全て水の泡になるだろう。だから余計な発言は謹んで欲しい。

他のボディーガードにはわからない程度のアイコンタクトを飛ばせばリヴァイは気だるげに剣を構えた。意気揚々と本気で挑まれても困るが手を抜かれても困る。 さじ加減は難しいがなるようになれ。リヴァイの事だ、きっと上手くやってくれるはず。そう思わずにはいられまい。 約3メートルの距離で対峙するふたり。片や巨人討伐用の剣、片や長さが心許ない警棒。リーチの差が命運をわけるのか武器の数がものを言うのか、緊迫した雰囲気がふたりを包む。


「……」


さすがというべきか一見やる気がなさそうなリヴァイだが隙は微塵も見当たらない。思わずゴクリと喉が鳴る。彼とこのように対峙したのは特訓の時ぐらいだ。 当時コテンパンに伸されてしまったのは皆まで言わず。対人格闘で相手では技術も力も訓練にならないと悪態つかれたこともあった。 事実だが悔しかったはその後人知れず猛特訓したのはここだけの話。だからと言って現状リヴァイに適うなんぞ思わないが。

先に動いたのはリヴァイだった。音も立てず踏み込んだ右足が大理石の床を蹴る。

たった数歩で間合いに入り込む身軽さとその速さは何処で培ったものなのか、はたまたどう鍛えればそんなに動けるのかには理解できない領域にまで達している。 だが彼の癖も腕もお見通しだと言わんばかりに身長差を生かし低く構えリヴァイの懐に潜り込むことに成功。 頭上で空を切る刃が吠える。このままアッパーでも入れようかと思ったは右手を押し上げるが目の前に膝が迫るのを確認すると押すように手で防ぎその勢いを利用して後ろに飛び退いた。

距離をとろうにもリヴァイの攻撃は止まない。くるりと身を翻し遠心力に任せ剣を薙ぐ。 体制を整える間もなく次々と繰り出される斬撃はまるで剣舞を見ているようだ、とは思うけれど対峙しているのは己なので楽しむ余裕は無い。 かわすだけで精一杯なのが正直な話だ。しかしこのまま逃げているばかりでは作戦に支障をきたしかねない。

たかがゴロツキ、そんな奴らに遅れを取るとなると使えないボディーガードと認識され解雇される恐れがあるのだからここらで一丁反撃と洒落込むか。 雇い主はゴロツキがまさか人類最強だなんて思うまい。したがって今この場で負ける言い訳にはならないのだ。


「…脱出ルートは考えてあるんだろうな」

「庭の東…木々の奥の塀は警備が薄くなるから強行突破できる」

「チッ…もっとまともなルートはねぇのか」

「総合的に見て妥当性が見込めるルートなのだから我慢して」


刃と警棒をキリキリと押し付け合い小声で交わされる会話。そうか、この人選は間違ってはいないのだと理解する。 この手慣れたやり取りは不自然にならないよう力の差を隠せる身長差に加え、彼の手抜きを見破られる心配もない対等性を表現できた。

もしミケ辺りならばガタイなどの差があり過ぎて不自然に見えることだろう。 そしてリヴァイは対人格闘でもスペシャリストだ。相手だろうと加減を見誤る事なく上手くやってくれている。 戦闘スタイルなど知り尽くしているからこそでもあるが、やはり彼の戦闘能力が大いに影響しているのは火を見るよりも明らかである。


「そろそろ負けてくれませんかねぇ…」

「いい機会だ…昔よりちったぁマシになったか確認してやる」

「遊んでる暇ないのに…!」


取っ組み合いの攻防戦で不意に繰り出される回し蹴り。咄嗟に腕でガードするもはそのまま勢い良く壁に叩きつけられた。


「っ――!!」


これではイジメだ。パワハラだ。容赦のない攻撃に全身が悲鳴を上げる。しかし怯んでいる暇はなく、続けざまに襲いかかる刃を横に避け再びリヴァイと向き合った。


「…容赦無さすぎ」

「必要な演出だ」


嘘だ、絶対にイジメを楽しんでいる。顔の真横に光る刃を一瞥し引き攣りそうになる顔をなんとか抑え反撃の一矢をお見舞いしてやろうと警棒を脇腹に振りかざす。 彼のように人並み外れた腕力はないがこれでも兵士の端くれ、トレーニングも訓練も怠ることなく鍛えているつもりだ。 伊達に干物女決め込んでるわけではない。対人格闘の技術は心許ないが純粋な力ならそこいらのボディーガードより劣ることはないと自負している。

だが腹の立つことにリヴァイは体勢を崩し床に崩れ落ちるのもこれは演技である。彼がなんぞの一撃を喰らっただけで怯む訳が無い。 どんなに油断したところを直撃したとしても、よろける事はあっても平伏すなぞありえない。演出と分かってはいるが無性に腹が立つのはなぜだろう。 壁に置き去りにされていた抜き身の刃を手に取り投げつけ、八つ当たりにも似たそれは案の定掠りもしなかったが避ける方向がわかっていれば攻撃を当てる事は容易いとばかりにの蹴りは空を切ることはなかった。


「日頃の恨みこもってやがるな…」

「身に覚えがあるなら行いを改めて」


ここぞとばかりに畳み掛ける。大半は替されたが形勢逆転、リヴァイは撤退を余儀なくされた。


「…追いかけますか」

「もうよい…お前はワシに着いてこい。騒ぎが収まるまで籠る」

「……仰せのままに」


外が騒がしい。ホールから本館へと繋がる渡り廊下に出てみれば、窓から襲撃犯と警備員が走り去っていくのが見えた。 楽に脱出できてしまえば手を引くものが居ると勘繰られてしまう恐れもあるため程よく不自然にならないルートを選んだつもりだ。 これで脱出出来なければ笑ってやる。そう悪巧みながらもは雇い主と共に本館へ歩を進めていく。




 ♂♀




すごいものを見た。一部始終を見ていたぺトラは早まる鼓動を抑えるべく深呼吸を繰り返す。ここは屋敷の外だ。 リヴァイの指示通り塀の扉に向かっていたのだが警備を撒くために散り散りになってはや数十分。 完全にはぐれてしまったらしいと気づいた時には時すでに遅く、人気がないのを確認するとひとり取り残されてしまった彼女は収まらない動悸と戦っていた。 脳裏には先ほどのリヴァイとの戦闘シーンが離れない。


「なんて恐ろしいの…生きた心地がしなかったわ…。」


まさか悠長な会話が交わされていたなぞと知るよしもないぺトラは純粋にその凄さに慄くのだ。 の緊迫した戦いも、リヴァイの流れる様な自然な演技も彼女の心を揺るがすには十分で。


「そこで何をしている」


だから背後に現れた気配に気付けなかった。ビクリと肩を竦ませたぺトラは咄嗟に両手を挙げ硬直する他ない。だが。


「ぺトラさん…脱出ルートから離れすぎてますよ…」


嘆息と共に投げかけられた声は普段あまり聞けないものだったが嫌と言うほど覚えている。 そう、あまり抑揚のない冷酷に響く声。振り返るとそこには先程も見た全身黒スーツを纏うが居た。


…分隊長……」


やばい。怒られる。対リヴァイとはまた違った恐怖がぺトラの全身を駆け巡り青ざめた顔は蒼白に変わっていく。心なしか目には涙が浮かんでいた。 それを確認するとは内心額に手を当てつつも口を開く。


「他は脱出を確認しました。もう騒ぎも収まりましたからここから立体起動で飛び越えても大丈夫ですよ。見つかる前に早く行ってください」


彼女は本館に移ってから雇い主の目を盗み窓の外を観察していたのだが、塀を飛び越える間際リヴァイのさり気ないサインでぺトラとはぐれた事を伝えられた。 移動した部屋が東側でなければぺトラは仲間が回収に来るまで今もひとりで彷徨う羽目になっていただろう。どうしよう全く笑えない。先ほどの悪巧みを思い返しては冷や汗を流した。


「も、申し訳ございません!任務中の分隊長を危険にさらす失態を…!」

「私の事は大丈夫です。ただ…これ以上あのゴロツキを待たせると後が怖いですからね…  ついでですけど渡さなくていいかと思っていた情報の一部を届けていただけますか?  本命は戦闘中に忍ばせたんですけど情報というのは多いに越したことはありませんよね。」


ペトラとはぐれたと伝えたということはに脱出の手助けをしろと指示を出したという事だ。 そう任された立場上、時間をかければ彼の眉間のシワが増えお叱りを受けるのは確実だ。

なんで別の任務中の己が怒られねばならないのか甚だ疑問だがぺトラの一大事でもある。 一刻も早く安全な場所に移って欲しいと切に思う。追加の情報資料はご機嫌取りだなぞ言うまでもない。


「本当に申し訳ございません…」

「道中くれぐれも気をつけて。普段通り立体起動で行けば問題ありません」


そう言うとは周りを見渡しぺトラを導いた。その冷静さは敵地にいるという危険への緊張を解きほぐす。 やけに手馴れているのは数多の単独任務をこなして来た貫禄ゆえなのか揺らぐ事はない。

彼女の事だ、ちょっとやそっとのアクシデントなど任務に支障をきたす事無くフォローできるのだろう。 ぺトラはそうは思うも申し訳なさはそう簡単に拭えるはずもなく後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。




 ♂♀




「残党はおらんのか?」

「残念ながら」

「まぁよい。今宵の夜会は台無しになったが直ぐにでもしきり直そうではないか…それに向けて埋め合わせの目玉商品の調達をせねばな」

「……」


騒ぎも収まり客人も帰った現在。薄暗い室内で雇い主はベットへとその醜い肢体を横たわらせ卑しい笑みを浮かべ言う。 明かりの届かぬ扉の横、そこに控えるは潮時を人知れず見極めた。


「護衛は任せたぞ…」


そう、この瞬間を。


「務まるでしょうか…襲撃犯をとり逃したこの私がそのような大役を」

「十分だ。現に他のボディーガードは皆無様にやられた。もうワシにはお前しかおらぬのだよ…」

「…ならばお任せください。主は命に代えてもお守りいたします」


反吐が出る。心にもない言葉を紡いでは耐え難い嫌悪感が競り上げてくるのをひた隠し、は部屋を出た。任務は順調だ。 後は引き続き目をつけた場所を探り残りの情報を集め、近々行われる商品の調達時に決定的な証拠を押さえる事が出来ればこの任務も終わりを告げるだろう。 気配を消し息を潜めは暗い廊下を寡黙に進む。目的地は書斎だ。そこに残りの資料が眠っているはずと目星をつけは闇に紛れていった。








To be continued.











ATOGAKI

特に理由の無い潜入捜査の話。
ただ兵長に蹴られたかっただけ。