She never looks back
―問うに落ちず語るに落ちる:中―
いざという時の合流地点で待機していたが待てどもぺトラが来る気配はない。まさか何かあったのでは、と危惧しリヴァイ達は屋敷に引き返した。
がサインを見逃すはずもなく、その裏に込められた指示は的確に伝わった筈だ。
ならばなんらかのアクシデントに見舞われたのかもしれない。そう考えるといてもたってもいられないリヴァイは移動速度を無意識に早めるのであった。
「へ、兵長!!」
しかしその焦りは杞憂に終わり、木々の合間から姿を現したぺトラに安堵の胸を下ろすこととなる。
「無事に脱出できたか…」
次いで労わりの言葉をかければ怒られてもいないのに顔を歪めるペトラ。だが経緯を説明し終えれば兵士の顔に戻っていた。
予想以上に怒られなかったのが不思議ではあるが預かり物を懐から取り出す。
「あの、これ分隊長からの追加資料です…」
「チッ…機嫌取りのつもりかあいつは…」
どうせぺトラ脱出の補助が遅くなってしまった事への機嫌取りとは建前だろう。任務中にはぐれてしまうという失態を犯してしまったぺトラへのお叱り中和剤的な配慮に違いない資料を受け取りつつリヴァイは舌を打つ。
俺が部下の失態を形振り構わず叱咤するとでも思ってやがんのか。彼は眉間に皺を寄せるが今まで幾度となくお叱りを頂いてきたならではの処置だと理解できてしまうのでそれ以上の悪態は抑えるのであった。
「…何でしょう…らくがき?」
ふとリヴァイの手元の資料を覗き込んでいたぺトラが訝しむ声音でつぶやいた。
同じく見下ろせばどこからどう見ても太古の摩訶不思議な作品としか表現できない図らしきものがあった。
まさかこれは。リヴァイの額に冷や汗が浮かぶ。
「……残念ながららくがきじゃねぇ…どうやら見取り図…らしい」
歯切れが悪くなってしまうのは致し方ないことだ。なんてったって一見しただけでは全くわからないのだから。まるで考古学者になった気分だ、とリヴァイは嘆息する。
下方には『下書き』と書かれてはいるがたとえ清書しても大差あるまい。よくこんなんでやっていけるな、と嘆息しつつ思い浮かべたエルヴィンの顔には苦笑が張り付いておりそれ以上考えることをやめた。
唯一の救いは図に対して文字が異様に綺麗で読み易いといった点だろう。対照的なペン筋に混乱が生じるという理解の範疇を超える現象が彼の頭を悩ませた。
「分隊長って…図が苦手なんですね…」
「……芸術センスがねぇんだろう」
部屋の見取り図なんて屋敷にない訳が無い。わざわざ独自にマッピングしたなら話は別だがそんな筈もなさそうで。
どうしてこうも見本通りに書けないのか甚だ疑問だがそういえばいつかの講義でも図解説が苦手だったなとの意外な一面を思い出しては、絶望的な才能にむしろ文字で説明してくれた方が親切だったと呆れる他ない。
「まさかこれだけがついでの追加資料だとでもほざいてやがったのか…?」
「他にも数枚あります…」
渡された資料を確認して綺麗な文字の羅列に安堵の胸を下ろしたのは言うまでもない。
「帰って次の作戦を練る必要があるだろう…」
ここまで大方計画通りに事は運んでいる。もこれからヘマをやらかす心配は無いだろう。ただ。
「加担している貴族のリストが見当たらねぇ…寝首を掻かれなきゃいいがな…」
まだ入手してないのならそれでいいが、もし現在進行形で所持していたとして見つかれば大事だ。
に限ってそれは無いと断言してやりたいところだがもしもの事態も考慮しなければならない。信用こそしているが不安は別物だ。
無意識のうちにくしゃりと紙を握り締めた。それは皺を作り風に煽られ音を立てる。捲られていく紙に書かれた活字を目で追いながらリヴァイは何を思うのか。
「……冷酷人間が聞いて呆れる…」
商品リスト上部に書かれた1文が彼の脳裏に焼き付くと共に屋敷の方向を一瞥し遠方に立ち込める暗雲に舌を打った。
♂♀
可哀想という言葉は昔から大嫌いだった。不運な人間を見ては上からの物言いをする人間。見下ろされる瞳に自分が映り出されていると思うだけで吐き気がした。
どんなに自分が優位に立とうとも恵まれようともこの言葉だけは絶対に口にしないと誓ったのはいつだったか。
「助かった…の?」
生気のない窪んだ瞳に見上げられ自分はどう映っているのか知りたいと欲求に駆られるも同時に罪悪感が襲う。
可哀想だなどと思いはしない。だけど、助けられない歯痒さが謝罪を搾り出せと掻き立てる。
「……」
質素な牢屋。鉄格子越しには難を逃れた人間が詰め込まれている。
ただ売られるまでの期間が伸びただけではあるが安堵してしまう自分に嫌悪感がこみ上げてきた。
「なぁあんた…こういった特殊な仕事してる雇い主の元で働くのは初めてらしいじゃねぇか。まさかコレらに情が湧いちまったか?」
見張り役と躾役を兼任している大男が強面をそのままに問いかけてくる。
「いや…一体いくらでセリ落とされるのか考えてただけです。オークションの知識なんてありませんから」
嘘はついてない。数時間前に初めて見たオークションの様子は新鮮で客の手信号は理解不能。
剰え持ち場を離れる事も出来る訳もなく取引の様子は最後まで確認できなかった。後で取り引きのリストを探らねば。
表情なぞあって無いような私の顔を見て不信感こそ抱いたであろう大男だったがさして気にもとめずこちらを一瞥しただけで会話を続ける。
「眉のひとつも動かさねぇ…あんた今までどんな経験してきたんだ?並大抵の奴は地獄だなんだと喚いては汚物ぶちまけて逃げ出していったぜ…まぁそいつら全員殺されたがな」
「…そう。世の中にはこれ以上の地獄なんて吐いて捨てるほどある…よっぽど平和に飼い慣らされていたのでしょう。可哀想という言葉も出てきません」
「違いねぇや」
男の乾いた笑いは廊下の空気を震わせながら霧散する。僅かに肩を震わせる子達はこちらの様子を伺いながら耳をそばだてているのは明白で。
「生きているだけでも幸せじゃないですか…生きたくても生きられなかった命だって吐いて捨てるほどあるのだから」
目の前で散っていく命。噛み砕かれる体、握りつぶされる意志。ここが地獄なら壁外は何だというのか。犯罪の蔓延する地下街はただのゴミ箱だとでも言うのか。
華やかな王都の影に隠れる貧困街はオブジェかなんかと勘違いしてはいないか。
例を挙げれば限が無いと言うことはこの世界は地獄で溢れ返っている証拠だ。普通の人間なら見ることもないもうひとつの世界。
表裏一体のそれは紙一重で共存していると言うのに恵まれている人間の目には触れられないというあまりにも残酷な世界。
「死んだ方がマシな状況に立たされた人間に対して辛辣な言葉だな」
「あぁ…すみませんね。私には地面を這ってでも生き延びなければならない理由があるもので」
そう、たとえ救える命を切り捨ててでも。心臓を捧げた兵士でありつつこの地獄とやらを目の前にして何の為に戦っているのか疑問に思いながら。
「お前も難儀な奴だぜ…こんな裏世界でしか生きられないなんてな」
「買いかぶりすぎです」
これ以上の会話は面倒だ、と私はこの場を後にする。背後でゴクリと喉が鳴った気がした。
翌日。これはどういう状況なのだろうか。は努めて冷静に辺りを見回し雇い主の無事を確かめると共に心の中で嘆息をこぼした。
雇い主の命令で商人との取り引きに同行したまでは何ら問題もなかった筈だ。しかしこの状況は問題だらけで。謎の覆面集団に囲まれた現状に心底辟易する。
「これ以上貴様らに優位に立たたれる訳にはいかない」
「この場で死んでもらおう」
その台詞を聞いてはこう仮定する。大方この雇い主に加担している貴族が強力なボディーガードを雇ったという話を聞いて焦って手を出してきたのだろう、と。
先日の襲撃犯を退けたという事実はたとえどのような詳細をもってしても脅威に映った事だろう。
まさか手加減してもらってなんとか退場してもらったという一連の茶番劇だとは思うまい。
襲撃犯がたった四人にも関わらず以外は伸されてしまったのも後押しして余程の手練だと評価されてしまった事は敵を作る材料としては納得がいった。
(多勢に無勢は分が悪いんですけど。)
一対一でも苦手なのに、といつぞやの15人に囲まれた状況を思い出しながらは表情はそのままに背中に冷たいものが流れるのを感じた。
「……隙を作りますので馬で逃げてください」
小声でそう伝えれば雇い主は頷き身構える。予定通り行けばこの場をやり過ごせる可能性は飛躍的に向上する筈だ。失敗すれば、なんて考えたくもなかった。
先に動いたのは3人。仕方ない、やらないわけには行かないと警棒を構えも駆け出す。
中央の覆面を躱し右の覆面に警棒を薙ぎ続けざまに身を屈め中央覆面に足払いすれば残りのひとりと他の数人が襲いかかってきた。
時間稼ぎだけでいい。なんとかやり過ごさなければと思うものの覆面たちはそれを許すまいと標的を雇い主に向け始める。
「貴様は手練と聞いている…ならば狙うは一点のみ!」
そう宣言し雇い主に向かって走る覆面の背中に飛び蹴りをお見舞いし倒れゆく体を足場に再び跳躍。宙返りで円を描いていたつま先は追従していた覆面の頭上に吸い込まれるように落とされた。
その軽快な動きにおののく者も居たが先に倒した覆面は立ち上がり始めている。これでは限が無く、かといって決定的な打撃を与えることは容易ではない為苦戦を強いられているのは明白であった。
単独任務中心とはいえその多くは密偵であったり戦闘はよっぽどの事がない限り避けられる程度のもの。下手こいて戦闘に持ち込んだ事もなければそういった状況にならないよう努めてきた。
完全に予想外だったと認めるのが悔しい。だが苦虫を噛み潰している間にも状況が改善される訳もなく事態は悪化の一途を辿る。
「貴様らは誰の差金だ!」
問いかけても無駄だということは百も承知。は内心眉をひそめる。貴族のリストを入手出来ずにいた結果がこれだ。
もし確認出来ていれば事前に防げていたかもしれない。この場で聞き出さなくても大凡のあたりを付けられたかもしれない。
だがそれは全て結果論に他ならない。そして『もしも』なんてありはしないのだ。どこでも、それは壁内でも壁外でも同じこと。
――結果なんてものはその時が来てみないことには分かるはずもないのだと。
「…取引をしましょう」
だから博打をする。その場限りの大博打を。
「貴方がたの素性は知り得ません。なのでここはお引き取りいただきたい」
「…そんな戯言が通用するとでも?」
「流石に誤魔化せないですね…では率直に申し上げましょう。ここで主だけを逃がすのは簡単。その後貴方がたの素性を調べ上げるなど造作もないこと…言いたいことはわかりますね」
「脅しか?それならば乗れないな、ここまで来てしまったのだ…我らは引けない」
「ですので、取引です。この場のことは不問に致しましょう。それについて脅すことも無ければ追放もしません。もちろん素性も調べるなんて以ての外。
何も存ぜぬまま今後とも『良いお付き合い』をしていく方が此方としてもメリットの方が大きい。取引としては申し分ないかと」
「だがこのままでは帰れん。俺たちの首が飛ぶ」
「ならばとっておきの情報をば――」
――屋敷への帰りの道中。馬車に揺られ外を眺めるは先程までの事柄を脳内で整理していた。
あの後『取引』は成功した。随分と頭の悪いハッタリだったとは思うも成功したのだから終わりよければ全て良しだ。
そして予定通り商品を調達し終え今に至る。現場も証拠も頭に叩き込むことができた。それをどう報告書にまとめるか問題は山積みだ。
「…あんな話ワシは聞いとらんぞ。どういうつもりだ」
が思案に耽っていると隣に座っていた雇い主が徐ろに口を開く。なんの事を言っているのかなんて聞くまでもない。
「ただのハッタリですよ。あの場をやり過ごせればなんだってよかったのです」
視線を雇い主には向けず正面を見据えは言った。御者の影が揺れるそのカーテンに遮られて外は見えない。
『とっておきの情報をば』
はあの時ハッタリを口にした。内容は2日後のオークションにて襲撃予告有り。前回と同じ連中だろう、その旨を伝えただけだ。
結局何も盗らず尻尾巻いて帰っていったのだ、再び何かしらの策を練って襲撃してくるに違いない。予告状は今朝届きその存在は私たち以外誰も知らないと、それだけ口にしたに過ぎなかった。
それで本当に取引が成立してしまうのだからお笑い種である。
「ふん…他の連中に言いふらされたらどうしてくれる。オークションも台無しだ」
「それはないでしょう。彼らは独自に暗殺を企むくらいです。こんな有益な情報を他の方に教えるくらいなら今回の件だって誰かしらと手を組んで実行してきた筈。
自分たちの利益になる事しか考えていない証拠です。襲撃予告の件を聞けば…自分は被害を免れるばかりかライバルも減る。
狡猾な方みたいですから一石二鳥だと今頃笑っているのではないですか?まぁ…どう転ぶはわかりませんけど」
もし襲撃予告の内容をあの貴族が他に流したとしても、ただのハッタリなのだから実際に襲撃なんて来る筈もなく彼らは嘘つき呼ばわり。周りから信用は失い権力の失墜は免れまい。
此方としてもどこの誰かは知らないが今さら加担する一貴族が居なくなったところで痛くも痒くも無い。知らぬ内に知らぬ貴族がひとつ没落するだけなのだ、最初から居なかったと思えばいい。
もし情報を流さなかったとしたならば、次のオークション当日に欠席した者たちから割り出せば済むこと。あのエルヴィン団長が居るのだ、たとえ現場から逃れることが出来ても調査兵団からは決して逃げられない。
どちらに転んでも捕縛する事は決定事項だ。来ようが来まいが、没落しようが何しようが行き着く先はあの冷たい監獄に変わりはない。
集めた情報から察するにこの雇い主の権力はそれ程までに大きく膨れ上がっていると見て取れたこと。大方この雇い主を暗殺した暁にはその座を乗っ取ろうと考えていたのだろう。
そういうことも踏まえ今回のハッタリを仕掛けたのだが「浅はかな加担者なぞ必要ない」と雇い主が言うのだからの推論は間違っていないのだろう。
「随分と曖昧な根拠の上に確実性の薄い計画だが…まぁいいだろう。襲撃など来やしないのだからな」
実は本当に来るんです、なぞと口に出す訳もなくは再び窓の外に目を向けた。
本当に大博打だ。これで2日後のオークションに客が集まらなかったら御用しに来た調査兵団もお笑い種になるだろう。
始末書で済めばいいな、なんて思いながらどこか確信を持つはそろそろ屋敷に到着するであろう外の風景を見やり報告書の内容に思い馳せるのであった。
To be continued.
ATOGAKI
特に理由の無い話だけど続きます。
ちなみに主人公の偽名は『ジン』です。これまた特に理由はありません。