She never looks back






「ジン…何故、お前はここに来た。何故どこでもなくここを選んだ」


男は問う。優雅に設えられた一室のテーブルで一庶民が手にすることなぞ叶わぬであろう高級な酒を浴びながら。


「…求人の中で一番高給だったから、という理由では納得いきませんか」


女は逆に問う。窓に叩きつける雨が視界を遮る先の外を見据えながら。


「わしはその先が知りたいのだよ…金を稼ぐにはそれなりの理由というものがある筈だろう」

「えぇ…そうですね。そうですとも。この世界ではお金さえあれば――」


男は言葉を紡ぐ横顔を見た。外界から目をそらすことのないその瞳の奥底に、己の欲望と同様の思惑を感じ取る。
女は笑う。決して同類に見られたくないと嫌悪しながら。


「命だって買えますからね」


――どこか矛盾した答えを雨音に重ねる。









 ―問うに落ちず語るに落ちる:後―










『強力なツテから紹介された人間です。実力は確かかと』

『おい、お前。相手してやれ。この目で確かめぬ内は信用ならん』


エルヴィンのツテである派遣人の手で紹介され、は男の前に立った。真っ黒なスーツが彼女の細身の体躯を更に引き締める。 は素性を隠し、その性別でさえ隠すのを得意とした。元々中性的な顔立ちという事も相まって無表情ゆえに性別を偽りやすい。 両サイドだけ刈り上げられた部分を顕に、髪を後ろへ流せば見紛う事なき男へと変貌を遂げる。

いくら単独任務の腕が優れていても女の身であれば必ず限界がくる。得意のポーカーフェイスも立ち回りも持ち前の演技力も『女』というだけで時として無意味に成り下がるだろう。 は何も語らない。この技術をいつ何時手にしたのかを。それでもエルヴィンは彼女を信頼し、ひとつの駒として使い続けている。それが全てだった。


『お手柔らかにお願いします』


合図と共にそう口にした瞬間、男に指名された側近は天を向く。瞬きさえも許さぬ早業に一同は目を見開き、晴れては潜入捜査の土台に立つ事に成功したのであった。




――オークション当日。夜の帳が降り始める頃、それは密やかに行われた。

相変わらずの客数、相変わらずの商品の光なき瞳。会場は雇い主曰く大盛況といったところか。 どうやら思惑通り暗殺しにきた貴族は情報を流すことなく自分たちだけ安寧に浸っているのだろう、だが高笑いをし続けられるのは時間の問題だ。 既に身元は割り出してあるが己はただ課せられた任務を全うするだけ。それも今日までとあって幾分か気が楽になるもそろそろ大詰めだ、ひとり静かに気を吐く。


「商品が…」


会場内に目を光らせながら退屈な時を過ごしていると、傍らに座る雇い主の元に黒ずくめの男が訪れ耳打ちした。 頷き雇い主は目配せするとは黒ずくめの男と共に会場を後にする。


「2日前仕入れた新商品に感化されちまったみたいでね…見つけたら殺してしまっても構わない。焼却炉のところに置いといてくれれば後は此方で始末しよう」

「分かりました」


大凡の脱走経路を聞きながら脳内で見取り図を展開する。場所は厨房付近だ。男と別れは足早に向かう。 警備も厳重な屋敷から逃げ果せる訳が無いとは思うも、どうか自分が見つけるまで捕まってなければいいあれかしと願う。

そして慌ただしく料理人が行きかう厨房奥の薄暗い一角。食料や備品が高く積まれ人気のない場所にそれは居た。 ガタガタと震え物陰に蹲る姿は痛々しい。の足音を聞き取れば肩を大きく揺らし絶望に染まるその大きな瞳で見上げてくる。

は表情を変ない。一歩一歩ゆっくりと歩を進め少女の目の前に立てば口を開き言う。底冷えするような冷酷な声で。


「今ここで死ぬのと、死んだ方がましな環境で生き伸びるのとどちが良いですか」

「あっ……、…」

「死ねば何も出来ません。でも生きていればいつか自由になれるかもしれませんね」


己は這ってでも生き延びなければならない理由がある。そう言ったのはいつだったか。 目の前の少女はそれを聞いていた筈だ。今こうして逃げているのはその所為だろう。

――私は覚悟が出来ていなかったのだろうか。切り捨てる覚悟も、自ら殺す覚悟も。

はただ淡々と少女を見据える。俯く少女が口を開くのを確かめて耳をすませた。


「…生き、たい」


少女は言う。その声は掠れていて心許無いものだったが、意志は確かにあった。 向けられた瞳が光を取り戻しているのを確認し、は少女の鎖を手に取ると歩き出す。

調査兵団が突入してくるのもあと僅か。間者と落ち合うのももう少し。どう理由つけて席を外すか考えていたところに舞い降りた好機。 この後はこの少女をどうするのか。手枷から伸びる鎖は無機質な金属音を響かせた。


「あ、あの――」


厨房から幾分か離れた廊下、突き当りには裏口が控え人気は無い。そこで背後から声がかかった。 は声で察しがつくも振り返るのを躊躇する。またか、また絡みの多い顔見知りを送ってくるとはエルヴィン団長も人が悪い。そう思いながら嘆息する。


「臨時の給仕さんですか…どうかしましたか」

「『ここのお屋敷は広くて迷ってしまいました。よろしければ道を教えていただけませんか』」

「…『お安い御用です。目的地までご案内しましょう。私についてきてください』」


振り返れば数日前の襲撃犯の中にも居た女性、そして脱出に手こずってしまったその人物であるペトラが居た。 彼女は給仕の格好をして神妙な面持ちで此方を伺っており、両手でグラスの乗ったトレイを持っている。 と同じく派遣人によって紹介されたのだろう、ここら貴族の派遣体制はよく分からないがこうも簡単に潜入できるのはどうかと思う。

事前に伝えられていた合言葉によって任務の大詰めである作戦を決行する算段だが、その前にやっておかねばならぬ事がある。 はペトラに制止の声を掛け裏口へと踵を返した。その直後に聞こえた問いかけは想定内だ。


「その子を…どうするおつもりですか…?」


顔が青ざめ、トレイを持つ手が震えているペトラに視線だけ振り返りは努めて冷静に返答する。


「脱走してしまいましたからね…『処理』を頼まれています」

「も、もしかして…!?」

「貴方は知らなくていいこと…この先は――見ないほうがいい」


――共犯になりたくはないでしょう?
そう言うとは裏口の扉を開け放つ。背後を確認するまでもない、ペトラからの視線は軽蔑を含んでいるものだ。少々脅しすぎたか。 は今一度嘆息すると扉を閉め辺りを確認し、恐怖に怯える少女に向き直れば手枷を外した。外は未だ雨が降り続き些か肌寒い。


「逃がす…と言っても警備員の目を掻い潜るのは容易じゃない。そこの草むらに身を潜めていてください。音を立ててはいけませんよ」

「さっきの人…は…?」

「味方です。…まぁ愛想つかされちゃった気もしますけどねぇ。取り敢えず後で必ず迎えに来ますから待っていてください」

「…?」


不思議そうに見上げてくる少女に気休めではあるがジャケットを掛けてやり、そのままその背を押し草むらに姿を消すのを見届けると踵を返す。 オークションの商品たちは会場が取り押さえられた後、憲兵に引き渡され元居た場所に返されるか、もしくは再び商人の手によって売り出されるだろう。 ここら辺の憲兵団はそれを見て見ぬ振りするばかりか不正取引まで行っていると調査済みだ。いくら調査兵団がこの場を取り締まろうとも行き着く先に救いはない。

これは罪だ。たったひとりでさえ救うと言うことは命令に反する。それでもは少女に手を伸ばしてしまった。 己は咎められる覚悟はできている。たとえエルヴィンからの信用を無くそうとも。それでも憲兵に引き渡す事も己の手で処理することも出来なかったのだ。

冷酷人間が聞いて呆れる。兵団の為になるならばと、心臓を捧げた身であるにも関わらず。救える命さえ切り捨て、犠牲さえも厭わないと思っていたのに。

、君は救えるはずの命を切り捨てる事ができるか』

任務通達時に聞いたエルヴィンの問いかけを脳裏で反芻する。あの時確かに己は愚問だと思った。しかし実際の現場を目の当たりにしてみた己はどうだろう。 覚悟を決めた筈だった。彼の意志を汲み取り同意した筈だったのだ。だがしかし今の己は彼に背いている他ならない。


「……反吐が出る」


己の覚悟とはこんなにも曖昧で脆弱なものだったのか、と。は自身を嫌悪すると共に不快感を吐き出し扉を閉めた。

外から戻ると廊下に立っていたペトラがに気づき顔を向けるも、その表情はやはり優れない。 当然か、と内心苦笑を漏らしながらは中断させてしまっていた作戦に本腰を入れるため彼女と向き合う。


「…首尾はどうです」

「配置も総員滞りなく行われています…あとは突入の合図を待つだけかと…」


どこからともなく取り出された固定ベルトを受け取り装着しながら状況を確認していく。下半身のベルトは仕方がないと分かっていたが上半身のベルトはジャケットを渡してしまって丸見えだ。 これは流石にどうかと思うも無いものは無いのだ、諦める他ない。ホルスターに護身用の銃でも入れておけば不自然にはならないかな、なんて呑気なことを考えた。


「指揮は予定通りエルヴィン団長が?」

「はい…それと兵長が裏で何らかの対策を講じていると聞き及んでます」

「そうですか。詳しく聞かされていないとなれば…まぁいいでしょう」


作戦が記されている書類を脳内で照合しつつ相違点を頭の隅に叩き込む。何がともあれ大まかな流れが変動した訳でもなさそうだ。 馴れた手つきで装着し終えた固定ベルトを見下ろし具合を確かめる。 かれこれ1週間近く触れていなかった為ちゃんと動けるか不安だが筋肉トレーニングは欠かしていないので衰えてはいないだろう。

ペトラにジャケットの有無を聞かれたが「着れなくなってしまったので」と適当な事を言っておく。 どう解釈するかは彼女次第だ。再び歪められた表情を一瞥すれば彼女が何を察したのかは想像に難くないだろう。


「私の立体起動装置はどなたから受け取ればよろしいのですか?」

「……えっと…分隊長から受け取った見取り図?によると『裏口』付近に待機してる筈です」


なんと。どうやら今出入りしたこの付近に居るらしい。それならば先ほどのやり取りを見られていたかもしれない。に冷や汗が浮かぶ。 それを察したのかは分からないがペトラは目を逸らす。それを見たは今一度内心で苦笑を漏らした。

しかしペトラはが想像していたこととは別の事を考えている。エルヴィンから聞いた合言葉の意味がの書いた見取り図を見越してのものだったのか、と。 『屋敷が広いから道に迷った』ではなく『お前の見取り図マジ分かんないからお前自ら案内しろ』そういう事だ。彼は今まで相当苦戦を強いられ学習してきたのだろう、合言葉の裏に気苦労が伺えた。


「…ここですか。探してみますのでペトラさんは配置に戻ってください」


そして驚愕する。ここが裏口だったのかと。ちゃんと把握してなかったみたいで怒られやしないか内心冷や冷やするもは気にした様子もなかった。 もしかして芸術センスの無さを自覚しているのかもしれない。そうは思うも絶対に口には出せまい。ペトラは居た堪れなくなって早々にその場を後にする。

残されたは踵を返すと再び裏口を出た。少女からは見えないのか迎えに来たと思って駆け寄ってくる気配はない。 頭上には小さな屋根があり上を確認する事は叶わないも、視界の悪い周囲に目を配らせる。確認できない場所は後回しだ。


「ここだ、バカ」


叩きつける雨音に混じって聞こえてくる声。抜かった、あろうことか後回しにした頭上に待機していたとは。 それも恐れ多くも己の上官にあたる兵士長様だ。彼は被っていたフードから水を滴らせ屋根の上からを見下ろしていた。


「こんな大雨の中…お手数おかけします」


どこか既視感を覚える台詞回しに懐かしさを抱きながら手渡されたケースを受け取る。ずぶ濡れだが中まで浸透しておらず使う分には何ら問題もないようだ。


「お前…ジャケットはどうした」


やはり聞かれたか。は剥き出しの固定ベルトの存在に内心舌打ちをしつつ中を確認していたケースから視線を上げることが出来ない。 どう答えるべきか考えあぐねるも上手くやり過ごせる未来が見えないのだから返答に窮する。この男を欺くなど考えるだけ無駄である。 適当に流すか迷っている内に背中に投げつけられた冷たい異物感がの脳内を真っ白に染め上げ思考はそこで遮られることとなった。


「――これ、は……」

「お前のだろ。てめぇでやっといて知らぬ存ぜぬとは言わせねぇぞ……お前の作戦書には『商品を逃がす』なんざ項目に無かった筈だが?」


地を這うような声音が突き刺さる。先ほど憂慮していたものが現実となってに嫌な汗を噴き出させている現状。 目撃されていたばかりか証拠品であるジャケットまで回収されていたのだ。この後に及んで言い逃れなぞ出来るはずもない。


「あの子はどうしたの」


腹を括る。発した声はこの上なく冷静でそれでいて無感情なもの。それは無意識の言葉だった。 そんなの様子にリヴァイはため息を吐くと全身を打つ雨に嫌気がさしたのか狭い軒下に身を滑り込ませ扉に寄りかかった。


「お前の作戦書には書いてなかったが…俺のそれには追加された項目がある」


ただ静かに諭すようにリヴァイは宣う。その声に今しがた感じた威圧感はなく、は思わず目を向けた。 かち合う視線。彼の表情は些か呆れが混じっているようだ。


「…?『裏で対策を講じている』というやつに関係するものなの」

「そうだ。どっかのバカが提案しやがったからな。お陰で俺の仕事は増えるわ濡れ鼠になるわで散々だ。この落とし前はたんとつけてもらわねぇと割に合わん」

「なんだか物凄く私が責任を感じてしまうのは何故だろう。その追加項目を詳しく」


マントから滴り落ちる水滴が足元に水溜りを作り、今もなお音を立てて範囲を広げている。それを見てはリヴァイの苦労は相当なものだったに違いないと確信した。 心なしか隈も色濃く見え申し訳なさが急加速で迫るのを感じると、どこか予感にも似た憶測を逡巡させる。いやいや、まさかそんな。 だがそれはリヴァイの紡ぐ言葉によって無情にも的中したのだと教えてくれた。


「お前が書いたんだろうが…『助けることはできないのか』、と」


は僅かに目を見開くと脳内で思い起こされる記憶の濁流を垣間見た。ご機嫌取りに渡した追加資料、商品リストそこに書いた一文。 彼女はただメモを書いただけだ。商品リストも脳内整理のつもりで書き起したに過ぎず、清書したものは本命として戦闘中に忍び込ませた筈。 確認せず渡してしまったそこに紛れ込んでいたに違いない。事実、ここの屋敷内に与えられた私室には見当たらなかったのだから。


「…ただの戯言。あれはメモ書きの様なもので渡すつもりは無かった…私もまだまだ詰めが甘いよねぇ」


助けることはできないのか。それは本心で書いたものだ。しかし実際に進言しようと思っていた訳ではない。本当にただの戯言だったのだ、あの一文は。 渡すつもりも無く見せる気も毛頭なかった。だがこれはなんの悪戯か、彼らには提案として受け取られしかも受理されてしまったのだから何も言えまい。

幸か不幸か。ひとりの少女を逃がしたという件も含めてエルヴィンには心底呆れられたか、あるいは見限られてもおかしくはない事だ。 は項垂れひとりごちた。この不始末に彼の言うどう落とし前をつけるか。咎められる覚悟は出来ている。が、償い方は皆目見当もつかなかった。


「エルヴィンの野郎も苦言をこぼしていたな…やはり今回の任務をお前に任せるべきでは無かったのではと」

「――っ!……当然、だよねぇ…あんな事書いて…しかもエルヴィン団長の意志に背くような事して…信用なんてガタ落ちだろうねぇ」


終いには追い打ちだ。立ち直れる気がしない。そればかりか兵団から追い出されるかもしれないのだ。 己が蒔いた種とは言え絶望感が支配する中、出もしない涙が頬を伝った気がした。


「…何勝手に絶望してんだお前は。今回の件は信用どうこうの話をしている訳じゃねぇ」


はたと瞠目する。この男は追い打ちまがいの事を言っておいて何を宣う。ここ一番のため息を吐きながらリヴァイはの絶望を真っ向から否定しているらしい。 彼はしゃがみ込むと俯く頭に手を添え次いで口を開いた。


「お前のその甘さはいつか身を滅ぼす。エルヴィンの野郎もそれを危惧してる…そんくらい分かれバカが」


リヴァイは言う。エルヴィンは今回の任務で『切り捨てる覚悟はあるか』とに問い、心中を推し量ったのだと。 彼はとはリヴァイよりも長い付き合いだ、彼女がどういった人間かは熟知していると自負している。

例えば、が『商品』を見て助けたいと思うだろう事も想定の範囲内であり、それ故に今回の任務を託すか迷ったという。 恐らく任務中に故意的とは言わないまでも行動を起こす事も視野に入れていたのだろう。そしてという人間は救えるはずの命を見捨てる事について心を痛めるであろう事も。 つまりは自ら己の身を危険に晒すような真似をするのではないか、と。雇い主に知られてしまえばどうなるかなぞ考えなくとも分かる。それを危惧していたのだ。

はあの問いに迷うことなく『応』と答えた。それを聞いてエルヴィンは託し、危惧しながらも報告を待っていたのだが予想通りのの心境に苦言を漏らしたという訳だ。 それでも彼が一度決めた事は取り消すことはできまい。だってそれを望まないことは百も承知、ならばの意志も尊重し秘密裏にそれを組み込んだ。 流石に全ての命を助ける事は出来ないまでもこれが今出来うる最善手。作戦に支障のない程度に抑え、救えなかった命は『出来る』と宣言したの取るべき責任。

今回の件はの全てをわかった上で託したエルヴィン、それを了承したのふたりによる痛み分け、と言ってもいいかもしれない。 リヴァイはそれについてエルヴィンも大概甘いなと思いながら苦笑を漏らしたという。


よ…お前がいくら単独任務に適している人材だろうが兵団の為と言ってその心を殺そうが人間の根本的な本質は嘘をつかねぇ。  お前はどんなに表情筋が衰えてる冷酷人間だと言われてたとしても、その『甘さ』は変えようのない本質に他ならなん」


添えていた手を下に滑らせ顎を上げる。交じり合う視線の先はお互い真摯なもので。
はリヴァイの指から逃れるように顔を背けるとどこを見るでもなくバツの悪そうに顔を歪めた。


「でも、それを押し殺さないと任務にならない。今回はなんとかなったかもしれないけれど今後どうなるかなんて分からない」


信頼に価すると判断され任務を託された己はそれに答えなければならない義務がある。今回はこれといった問題が生じる事も無かったとは言え今度はどうなるかなんて分からない。 二度目はないといっても過言ではないだろう。いづれ取り返しのつかない事態に陥るのは想像に難くなく、だけの問題で済まされない危険性だってある。

激しい自己嫌悪。猛烈な罪悪感。己はこれらを許せるのだろうか、そして乗り越えられるのだろうか。次に生かす機会は与えられるのだろうか。 そんな彼女の心情を察してかリヴァイははたくようにの頭に手を置き言う。少しばかり上がる広角はやはり呆れが見受けられるも声音はからかいを含んでいた。


「壁外でもねぇこんな豚共の元で押し殺す必要なんざねぇだろうよ…『反吐が出る』らしいそれは壁内で存分に撒き散らしておけ」

「…聞こえてたの」

「言っておくが俺は最初から上に居たぞ。気づかねぇから観察してた…シャツ透けてるしな」

「……最後までカッコつけててよ。今の私には冗談を交わせるほどの元気はない」

「バカ言え、冗談な訳ねぇだろ」

「知ってる」

「そこは冗談と受け取っておけ」


この男はエルヴィンを甘いと言えた立場ではないのではないだろうか。リヴァイも大概甘い。は困ったように眉根を寄せると彼なりの気遣いを素直に受け止めた。 これ以上気落ちしている場合ではないのだと顔を上げる。らしくない。うじうじと悩むなぞそんな甘さを許した覚えはない筈だ。 漸く元通りになったに満足気に鼻を鳴らすとリヴァイは立ち上がる。


「兵団やその他お前の守りたいもの以外の人間の命ならば切り捨てるというその覚悟…使いどころを見誤るな。今回は急とあってろくな手回しも出来なかった所為で半数もの救えなかった命がある。  特殊な状況下で空気に呑まれてたんだろうが普段のお前ならどうにか出来た筈だ。お前が切り捨てていい命は守りたいものに対する敵の命だけでいい…後はエルヴィンの野郎にでも投げちまえ。  それ以外はお前自身が頭使ってどうにかしろ。手を煩わすのもこれきりだ」

「…肝に銘じておきます」

「まぁ…お前の気持ちも分からんでもないがな。だが壁内であろうと壁外であろうと敵は敵だ。その時が来たら――迷うんじゃねぇぞ」


素早く装着した装備を揺らし、は顔だけ振り返ると真摯な瞳でリヴァイを見返す。 それは既に兵士として、心臓を捧げたものと同じく決意ある瞳だった。


「言われなくとも。私は、調査兵団の為なら犠牲も厭わない――冷酷人間なのだから」


そう宣うとは駆け出した。微かに笑うリヴァイを振り返る事なく己の使命を全うするために。 今回の一件は決して全てが許されるようなものではなかっただろう。エルヴィンの問いかけに対しては応と答えた。 それを反古にするような行いをし、本来なら罰せられても無理もない結果にまで至らしめた。だがは許され今こうして調査兵団として立つ事ができている。


「おぉジンよ!遅かったじゃないか!一体今までどこ、に…その格好は…なん…」


否、半数もの救えた筈の命を救えなかった責任という罰は与えられた。精神的苦痛と言う罰を。兵士ならば当たり前のものなのかもしれない。最初に単独任務を任された時点でその覚悟は出来ていた筈だった。 しかしどうだろう、は心を押し殺しそこねた上にリヴァイの言葉によってそれさえも救われたと言う事実。決して救えなかった命を軽んじている訳ではない。自己満足だった。 ただ己は犠牲を厭わないと今度こそ決めたのだ。彼女たちに許しは請わない。してしまえばそれは彼女たちに対する冒涜だ。己はその消えない罰を胸に進むだけ。それが――償いになると信じて疑わない。


「ジン改め調査兵団所属単独部隊隊長のと申します。この度は違法オークションの取り締まりにあたり潜入捜査を任されておりました」


生きていればいつか自由になれるかもしれない。その言葉に偽りはない。 どうか、どうか彼女たちに自由を――切に願う。


「という訳なので総員、突入及び確保」


なだれ込む兵士たちに交じりは息を吐く。拘束されていく大量の貴族たち、そして書状を掲げられ項垂れる雇い主改め今回の獲物。 不安げながらも希望の光を宿す少女たちの瞳。驚きに目を見開き此方を凝視する大男。長かった。たった1週間の出来事ではあったが内容は1ヶ月分を圧縮したような濃密なものな気がしてならない。 一体あの中の少女たちの何人が救われ、何人が切り捨てられたのか。今のには知りえないものだ。

次いで深く重い息を吐く。会場から踵を返しすれ違う兵士の合間を縫い扉をくぐれば目の前には団長であるエルヴィンが待ち構えている。 彼はを見据え動く様子はない。は重い足取りで近づき足を止めると共に敬礼し口を開いた。


「この度は私の不始末からなる非礼をお詫び申し上げます」


とてもではないがエルヴィンの顔を見ることが出来なかった。いくらリヴァイづてに許されたと聞いていても背いたという事実に変わりはない。 顔は見れないも直接謝罪せねば気がすまないが、それに比例してここに立つ事はおこがましいと思う。 そんなの様子にエルヴィンは宣うのだ。いつも通りの声音で、団長としての威厳を放ちながら。


「そうだな…リヴァイの持論で言えば『躾に一番効くのは痛み』だったか。君はもうその痛みを受けている筈だ…右手の下にあるその心に」


あぁ、やはりエルヴィンと言う男はこれだから――着いていきたいと思えるのだ。どんなに過酷で残虐な任務を託されようとも。今まで散々酷使されてきたとしても。 は彼を信頼しその意志の手となり足となりたいと乞う。今までもこれからもそれは変わらない思い他ならない。

許されるのならばこの命尽きるまで、調査兵団の為に生きたいと切に願う。守るべきを守るために。その為に犠牲を増やすという罪を共に背負う覚悟を今一度己の胸に問いながら。


「就いてはご提案があります。彼女たちの身の安全を確保する方法をば」


そしては答えるだろう。甘い彼らの信頼に。己が今どうすべきか、どう在るべきかを考えた上で真摯に持ち前の頭脳をありったけ駆使しながら。


「君は本当に期待を裏切らないな。いいだろう、その提案を許可する」

「ありがとうございます、エルヴィン団長」

「なに、はいつも予想以上の成果を上げてくれる。その褒美だよ。もちろん特別手当とは別だ」

「もちろんです――」









かつて雇い主だった男の問いにはこう答えた。『この世界ではお金さえあれば命だって買える』と。その言葉に偽りはない。 お金が物を言う世界。それさえあれば壁の最奥である安全な内地にだって住める。しかしの真意は他にあった。

資金があればより良い装備を整え、より多くの兵士が生き残れる。調査兵団の為に。守るべき人たちの為に。そう信じて疑わない。 彼女は心臓を捧げた身。彼らの進撃の一手をより大きくできるのなら、たとえ救える命があろうと犠牲だって厭わずエルヴィンの駒のひとつとなり動く。

だからは資金集めに精を出す。どんな任務だってこなしてみせる。壁内であろうとも壁外であろうともその身を駆使してでも。 命を賭する覚悟の上で胡座をかいているわけにはいかないのだ。己はやれるべき事に手を尽くす。身を呈して戦う事然り、裏で犠牲を厭わぬのも然り。

何故なら、己に出来ることはほんのひと握りなのだから。それを再確認したは決意新たに冷酷人間の仮面を被るのだ。 使いどころを見誤る事なく、彼らの信頼を裏切らない為にも自己満足だと理解して。








END.












ATOGAKI

特に理由のない潜入捜査の話、完。本当に兵長に蹴られたいがために書き始めたものでした。
急いで書き上げた感が否めませんが数ヶ月放置されていたこれも漸く完成させることができました。
番外編のような感じで受け取って頂けるとこれ幸い。あまり見直ししてないと言う言い訳を添えて。