She never looks back













 ―ひとひらの:中―











丘の街に無事辿り着いた調査兵団一行は各自与えられた任をこなすため散開する。街は小規模ながらも大きな建物が目立ち、中には宿として機能していたであろうものも見えた。

丘の上だけあって一際大きな展望台に登れば広大な大地からなる地平線が一望できた。世界が丸く見える。壮厳な景色はの心を射止める事に成功したようだ。 これが壁外でなければ観光として楽しめたのだがそうもいかないのが惜しいところ。

街の囲いは些か頼りなく、それなりの高さはあるが耐久性が心もとない。だが一夜を過ごすだけならば問題は無さそうだ。 陽も暮れ始め空の大半が暗く西陽が辺りを赤く染め上げ夜の訪れは目と鼻の先に迫っていた。


「巨人の数も少ないですね」

「スンッ…そのようだな。今日は疲れただろう、ゆっくり休め」

「ミケさんも十分休んでくださいよ。帰路もあるんですから」

「あぁ、わかった。…肩車するか?」

「わーい」


見渡す限りこの一帯で一番空が近いであろうミケの肩の上はこれ程までに素晴らしいものなのかと感動する。語彙力が乏しいは『気持ち良い』の一言に限る。 先ほどネスに心配させやがって、とお説教を交えたお叱りを受けた心もリセットされるようだった。いや、別に悪い気はしてないのだが。 どちらかというとネスの背後でを無表情で笑わそうとするリヴァイが癪に障った。忌々しいあの男、いつもの威厳はどこに行った。 そんな愚痴をミケに吐露しつつは今日の寝床へと向かう。


「どこほっつき歩いてやがった。早急に取り掛かるぞ」


そう言えばそんな約束もしたな、とゲンナリする。お陰で先ほどの気持ちよさは吹っ飛んだ。 恐らく多くの団員が掃除に取り掛かっているに違いない。そうなればもサボるわけにも行かず渡されたはたきと雑巾を持って掃除を開始する。

指定された場所を順々に清掃を終わらせ合格するまで1時間かかった。早すぎだとペトラは驚いていたがリヴァイにしてみれば遅い方だという。そんな彼に感化されているも遅かったなと悔しそうに人知れず臍を噛んでいたらしい。


「全室じゃなくて良かった…早く休みたい。私の部屋はどこ」

「あぁそれだが…予想以上に使える部屋が少ねぇから相部屋になった」

「――え?」

「安心しろ…相手は俺だ。これで安眠は保証されただろう」

「安心安眠の『あ』の字も無いわ。ふざけるのも大概にして」

「チッ…ちったぁ喜んだらどうだ」

「喜べる要素が見当たらないんだけど…?」


この男は本当に何をほざいているのだろうか。私の安寧は何処。ふつふつと湧き上がる憤りはの瞳を剣呑に染め上げていく。聖域の提供という約束を反古にされた絶望は計り知れまい。 そんなの様子を楽しみたいと思うもこれ以上は洒落にならなそうだと観念したリヴァイは三角巾を畳みながら言う。


「冗談を本気に捉えるなんざ普段のノリの良さはどこに行った」

「兵長。時と場合を考えてください。聖域は私にとっての最もナイーブなものなのです。これに関しての冗談はいくら貴方であろうとも許しません」

「…おいよ謝るからハタキを叩き折ろうとするのはやめろ分かった悪かったハタキをこっちに渡せ敬語もやめろ」


は彼が聖域へ脚を踏み入れられたり睡眠妨害をしてもそこまで怒ることはない。ただ提供を約束したにも関わらず糠喜びさせられ挙げ句の果てにはあろうことか冗談だと抜かしおるリヴァイに憤っているだけである。


「まぁ、本当に約束を反古にされた訳じゃないなら許してあげてもいい」

「……その事なんだが」


まだあるのか、とリヴァイに視線を向ければそこには視線を斜め下の床に向け何やら言い淀んでいる姿が。片手を腰にあて、もう片手は首に添えられている。


「……リヴァイ?」


訝しげに伺い見るも、リヴァイは目を合わせようともしない。嫌な予感が脳裏を過る。いやいや、そんなまさか。どうか杞憂であってほしいと心の中で懇願するも現実とはかくも無情である。


「部屋数が足らねぇのは事実だ……」


はその場に崩れ落ちるのを必死に耐えたという。




 ♂♀




陽も沈み夕飯を終えた兵士達は見張りの交代をしたり雑談に花を咲かせたりと各々ひと時を過ごしている。 行きの道中で戦死した者を弔う姿も見受けられ、ある意味混沌としているただっ広い食堂。特に指示もなくする事もない兵士たちの憩いの場と化したそこには遠征メンバーの半数以上は屯っていた。

そんな中、遅めの夕食を口にするエルヴィンとリヴァイは向かい合い匙を持つ手を動かしている。帰路に関しての話し合いも終え漸く食事にありつけたばかりであった。

他の幹部も来るはずだったのだがハンジは外に出て巨人の通った痕跡などを調べに行った。こんな視界の悪い時間に行かなくてもとは思うが明日は早朝に発つ予定なので明るい内の探索は難しいと判断した為である。 ミケは見張りを交代すると言って出て行ったきりだ。昼間も見張り役をかってでてくれていたと言うのに、とは思うが自分が何かしてないと落ち着かないのだろう、食事を持っていったので恐らくは夜通しに違いない。 ナナバは己の班員と話しながら遠くの席で食事をとっている。些か珍しい事ではあったがさして気にするまでもない。ただ心なしか距離を取られている気はする。理由は明白なのだが。

その他の班長達も遠くの席で食事をしているもエルヴィンとリヴァイの方を見ないように意識しているのはバレバレである。そしてはというと。


「エルヴィン…てめぇの所為でがヘソを曲げちまったじゃねぇか…この落とし前はどうしてくれる……」

「……お前がとあんな約束をしていたなんて知る由もないだろう。それに怒らせてしまったのは明らかにお前に非がある」


むしろ非しかない。そう断言するエルヴィンは面白いことになった、と内心ほくそ笑むのだ。きっと表情に出していたのなら人の悪い顔だったに違いない。 今のリヴァイならエルヴィンの様子なぞ気にする余裕はないだろうから心置きなく表情をむき出しにする事も出来るが用心に越したことはない。


「チッ…まさかあんなに過剰に反応するとは思わねぇだろうが…クソッ…なんだってんだ…」


事のあらましはこうだ。リヴァイが掃除と引き換えに聖域を約束する。彼女はホイホイ釣られた。ちょろいものだ。だがいざ掃除を終えるも予想以上に使える部屋が足りないとエルヴィンから伝えられる。 これはマズイと思うも部屋を増やすことはできまい。他の建物を利用しても良いが劣化も激しくボロボロの状態。何より非常時に何かあれば伝達もままならないかもしれないので却下。 こうなればには諦めていただく他はなく、ちょっとしたお茶目心でからかってみたも予想外の反応。結果、怒らせてしまったというわけで。


「普通に理由を話せばも怒ることはなかったと思うが」

「いつものノリだった…まさか聖域がにとっての逆燐だとは思わねぇだろ…」


そして話し合いの時もただよらぬ雰囲気を纏うリヴァイとに関わらんとする幹部達は距離を置いているという。は外でふらついているのだがリヴァイひとりだけでも近寄りがたく現状に繋がるというわけで。 まるで生贄か、はたまた団長という立場ゆえこうして対面しているエルヴィン。事件の解決も大事だが事の成り行きを見守りたいという不純な動機が見え隠れしているのはリヴァイ以外にはお見通しである。


「早急に誠心誠意謝りに行くんだ。そしてお前は個室ではなく他の兵士と相部屋になって直ちにの聖域を確保しろ。それしか残された道はない」

「それは駄目だ。俺との相部屋になった兵士が気を休められる訳がねぇ」

「そうだな。では廊下にでも寝たらどうだ。反省も兼ねてな」

「俺はと相部屋が良い」

「風紀が乱れるような発言は慎め。壁外だぞここは。何より下のものに示しがつかない」

「バレなきゃ問題はない筈だ。…それにと相部屋になった兵士も気が休まらねぇだろうよ。ならば俺と相部屋の方が合理的だ」


は前例があるのだ。今では個室を与えられているからこそ問題はないが、それ以前は同室の団員に途轍もなく気を使わせてしまっていた。 それにリヴァイだって兵士長という肩書きで神経質で粗暴で潔癖症。言わずもがな、である。それをエルヴィンが存じぬ訳もなく。


「悪知恵を働かすんじゃない。お前が廊下でが個室なら大団円だと結論は出ている」

「俺が廊下で寝ることが異常だと何故気付かない、エルヴィンよ……それこそ下に示しがつかねぇだろうが」

「お前たちは本当に世話の焼ける人間だ…寝床でこんなに苦労するなんて…後は当人たちで話し合え。俺は一切関与しない。ただ結果がどうであれ不埒な行いはするなよ」

「壁外で盛れるほど耄碌してねぇ。そんな仲ならともかくな」

「……今のは聞かなかった事にしておくが絡みの冗談は俺にとって逆燐だと忘れてはいないだろうな、リヴァイ」

「そうだったな。チッ…行ってくる」

「くれぐれも火に油を注ぐ真似だけはしてくれるな。結論が出なければは俺と相部屋だ。覚悟しろ」

「それならばあいつがハンジと寝不足になった方がマシだ」


リヴァイが食堂を後にすると共にナナバが呆れ顔でエルヴィンの向かいに座った。


「どうやら話はまとまったみたいだね。まったく…何も壁外で問題を起こさなくてもいいのに。傍から見てる分には面白いからいいけど」

「そうだろう。如何せん不器用なふたりだ、ハラハラする事もあるが観察するには申し分ない程面白い」

「エルヴィンはふたりを信用しすぎだと思うな。あぁみえて相当危うい均衡で保たれてると私は思う」

「心配はいらないだろう。と俺が相部屋だなんてリヴァイが我慢できるわけがない」

「いい感じに発破かけたって事かい?随分楽しんでるみたいだね」

「楽しいさ。危うくとも崩れない均衡だと信用しているものでな」

「ふふ…私も便乗しようかな」

「歓迎するよ」


そんな会話が交わされているとは露知らずリヴァイは夜の帳が降りた街中をふらつくを探しながらくしゃみをするのであった。





♂♀





月明かりだけが頼りな街中をは歩いていた。野宿でもなく心許無い村でもない壁外でいつもよりは安心して眠れそうな街。しかし目を凝らせば当時の悲惨な状況を物語るおどろおどろしい痕跡は残っている。 そんな街道を当て所なく進みながらは嘆息を漏らした。彼女もリヴァイと同じ結論にたどり着いていたのだ。相部屋になった方が合理的なのだと。

普段ならこんな事で揉めないだろう。野宿にしたって他にしたって結局は建物の中で一夜を明かす事なんて滅多にないのだから。 それにいつもならはテントで過ごす。誰にも邪魔されず休み、巨人が来ても誰よりもいち早く駆けつけられるように。

リヴァイに聖域を提案されなければ今夜だってそうした筈だ。他の見張り番と共に。けれどこの街には防護壁も存在し、木よりも強固な石造りの建物だってある。たとえ巨人が現れてもある程度時間を稼ぐことはできるだろう。 壁内でも安心は出来ないご時世。だからこそ壁外で少しでも団員に安らぎを提供してあげたい。やはり己はテントで寝るべきだ。人知れず決意する。


「やぁ。見回りかい?」


横道の影から巨人の足跡を追っていたハンジが現れた。些か吃驚したのはここだけの秘密。は顔を向けると泥だらけのハンジに目を眇める。 一体全体どこを這いつくばって来たのやら。巨人のこととなると全力なハンジに苦笑する他ない。


「何か有力な情報は得られたの」

「それが全っ然。どうやらこの街の避難は迅速だったみたいでね……巨人が吐き出した跡も見当たらなかったよ」

「……そう。きっと防護壁の外で――まぁいいや、ハンジも休める時に休んだほうが良い」

「そうするつもり。一回りしても何も得られなかったんだ、明日の道中にでも見てみるさ」

「ひとりで突っ走っちゃ駄目だよ。森を探すなら私も手伝う」

「ありがとう。が居れば心強いよ」


先に建物へと帰っていくハンジの背を見送りは再び歩を進めた。不気味な街中を歩くのはあまり得意ではないので今度は屋根の上に登る事にする。 背の高い建物の屋根を伝い足を止め、見上げた夜空に雲はひとつもなく月を遮るものは何もない。明日も晴れるだろうと自己流の天気予測をし腰をおろした。

夜は好きだ。何故だか巨人が大人しいから。だからと言って壁外で気を抜くことはしない。どんなに穏やかな陽気の中でもそれが癖になってしまったのだ。 そう、天気のいい日は思い出してしまうから。こんな静かな夜だって記憶というものは自然とを蝕んでいく。

(私はまだ戦える。戦わなくてはいけない)

たとえどんなに死の淵に立たされようとも。どんな困難が待ち受けようとも己は決して振り返る事なく進まねばならないのだと思いを刻むのだ。 一筋の流れ星が落ちる。それを綺麗だと思える感性が己にまだあったのだと認識しながら。


「何ひとりで黄昏てやがる……」


音もなく屋根に降り立つリヴァイに気づきながらは夜空を見上げることをやめない。ここで反応してしまえば負けだ、そう意固地に思う。 そんなの様子にリヴァイはため息を吐くと隣に腰をおろした。横目で一瞥しながら。


「そんなに俺と寝るのが嫌か」


ぼそりとつぶやいたリヴァイに思わず目を向ける。これは予想外だ。謝罪か冗談が飛んでくると予想していたのだがまさかこんならしくない言葉が出てくるなんて。


「……嫌という訳じゃない。本当に嫌だったら寝室という名の聖域に進入する事さえ拒絶してる」


伊達に床を共にしていない。口をついて出たのは紛うことなきフォローする言葉で、それを認識しても時すでに遅し。 したり顔なリヴァイを見て僅かに眉根を寄せた。リヴァイは言うまでもなく内心で「ちょろいな」なんて思っていたりする。


「まぁ、なんだ。今回はすまなかった。約束を反古にしたのは謝る」

「……別にもういい。怒っている訳じゃないけど今夜はテントで寝る。部屋は他の団員に提供してあげて」

「わかった。手配しよう。それは構わんが、その代わり俺はどこで寝れば良いんだ?」

「はぁ……好きなところで寝ればいい。貴方のことだ、どうせ理由をあげ連ねても行く先は同じでしょ」

「わかってるじゃねぇか」


もうどうにでもなれ。たとえ風紀が乱れようともそれを悟られないよう上手くやるのがこの男だ。は今一度嘆息するとテントの用意をするため腰を上げるのであった。 早朝にすれ違ったミケが何やら意味ありげに微笑むのは数時間後のお話。






To be continued.









ATOGAKI

ひとひらの『安寧』