She never looks back
―ようこそ―
「この僕の護衛をこんな新兵にやらせるなんて調査兵団はどうかしてる!!手を抜くなんて本当に税金泥棒だな!!」
「……」
とある物好きな貴族が調査兵団の視察…もとい見学にくると知らされたのは2日前。そして見学案内の任を頼まれたのは昨晩だった。
昨日いつも通り単独任務を終わらせ休日申請でもしようかと考えていた矢先の事だ。
普段なら単独任務明けは執務仕事に回される筈なのだがやる気が起きないなぁ、なんて思っていたのがいけなかったのか。
報告を終えエルヴィン団長の執務室で休みが欲しいとその旨を伝えたらニコリと人のいい笑みを浮かべ彼は反論を許さぬ口調で命じた。
まさか立て続けに単独任務を頼まれるなんて思ってもみなかった私は数秒間身動き一つせずエルヴィンを見つめ続け、面倒だな。
と言う思考が脳裏に過るのを皮切りに了承の意を呟くのだが顔には不満の文字がべったり張り付いていたのは言うまでもない。
そんなこんなで今朝方やってきた貴族の男は調査兵団本部の応接室で冒頭の失礼な発言を撒き散らした。言うに事を欠いて団長の前でなんと恐れ多い事か。
まぁ援助していただいている身で何も言い返せないのは理解しているので反論する気は更々無いが、如何せん己が謂れもない罵詈を浴びせられるのが納得いかず青筋を立てそれを察したエルヴィン団長が静止の手を挙げる事によって抑えることはできた。
そこまではいい。百歩どころか万歩譲るにして場を見守っていたのだが、あろうことか貴族の男は更に追い打ちの言葉を投げつける。
「こんな干物女代表みたいなモサイ奴ではなくもっと可愛い子をつけろ!!」
どっかの誰かさんではないが本気で削いでやろうかと思った瞬間だった。しかし反論できないから悔しい。ぶった切ってやる。抑えろ私。
これには流石のエルヴィン団長も苦笑する他ない。いや待てフォローしてよなんで黙ってるの。視線で訴えるもこちらに見向きもしないのだからフォローしない後ろめたさを認めているようなものだ。
非常に解せない。こうなったら書類を溜めに溜めて嫌がらせをしてやる。でもそれで実害を被るの人物の中にあの目つきの悪い男も含まれているので確実に怒られる事を想像し私は悪巧みをすぐさま取り消した。
「しかし本当に人形みたいな奴だな貴様は。少しぐらい表情を崩したらどうだ」
「これがデフォなので」
「つまらない女だ…こんな家畜小屋なんて来なければ良かった!」
「……ご愁傷様です」
「父上が言わなければ来たりしないのに!!はぁ…さっさと終わらせて僕は帰る!!」
「(今すぐ帰れよ)」
本部内を端から説明しながら歩いているのだが彼の罵詈雑言は絶えることはない。だがすれ違う兵士たちが畏怖しながら敬礼をしていくのに対して幾分か機嫌を良くしていく。
私の事を新兵だと思い込んでいるのも相まって自分が貴族だから恐れられているとでも思っているのか、ひれ伏せ愚民どもなんて言いたそうな顔をしていた。
勘違いにも甚だしいが取り分けて説明する程の事でもないので放っておく。『ひぃっ!!そ、草麸分隊長だ…!めっちゃ機嫌悪い!』なんて小声が聞こえてきたら誰にだって真相は分かるだろう。後は皆まで言わず。
「あの立体機動装置とか言うものを見てみたい。案内しろ。」
何だかんだ言いつつノリノリな彼に嘆息しながらも訓練場に連れて行く。訓練の邪魔をされるであろう兵士たちの事を思い浮かべては責任を全部エルヴィン団長に押し付けてやろうと画策した。
本部から些か離れたところにある森林の入口に着くといつも通り訓練に励む兵士たちが居るのを確認し私は指示を出す彼らの上官に声をかける。
「……サボってると思ったら豚のお守りか。ご苦労なこったな」
小声で労りの言葉をかけてくれるリヴァイに対して申し訳ないなんて全くもって思うこともなく私は半ば押し付ける様に貴族に向き直り彼を紹介した。
「ハイドル卿、彼が人類最強と謳われるリヴァイ兵士長です。立体機動に対して何かあれば彼に質問してください。彼は兵団内一、立体機動装置の扱いに長けておりますので」
「おぉ!彼が噂の!こんな小さいとは思わなかった!!立体機動装置とはどう使うのだ?教えてくれ!!」
「てめぇ後で覚えておけよ…」
「不平不満は全てエルヴィン団長にお願いします」
笑いを堪え和気藹々?と立体機動についての質疑応答を交わす様を眺めつつ小休憩に興じる事にした。一時的なものではあるが面倒事から解放された私は伸びをして森林を見上げ飛びたいなぁと思う。
そんな呑気な私にお返しだ、と言わんばかりにリヴァイが手本を見せてやれなんて言うもんだからどう回避しようか考えあぐねるハメになるとは露にも思わず。
「私新兵ですし?お手本になりませんよ」
「あ?何言ってやが――」
「そうだぞ!新兵なんてみる価値はない!僕は人類最強の技を見たいのだ!!」
「ハイドル卿もこう仰ってますし兵長のカッコいいところ見せつけてあげてくださいよ」
何かを察したのか諦めたように嘆息するリヴァイは背後で様子を伺っていた班員に押し付けた。
「……エルド、頼んだぞ」
「え!?俺ですか!?」
「ついでだ、グンタと一緒に連携しろ。」
「!?」
哀れなふたりは命令されるがままその技を披露したという。いやはや彼らの連携プレーは素晴らしいものだった。不平不満はエルヴィン団長までお願いします。
彼らの美技に感動したのか人類最強の事なんて忘れてハイドル卿は「僕もやってみたい」なんて言いやがるので「死にたいならどうぞ」と返しておいた。
その後、食堂で出くわしたペトラを見初めたハイドル卿がセクハラしようとしたので既で止めに入ったり、ぶつかってしまったオルオに憤りを撒き散らし始めたのを代わりに謝罪したりと散々な目に遭った。
終いにはハンジに巨人の生態について質問するもんだから、まぁそれは三時間ほど放置したのだが流石にエルヴィン団長に寝かせてやれと言われたので救出しに行ったりと苦労はとどまる事を知らない。
他にも兵士に対しての高圧的な態度は変わることなく後ろに控えていた私が決死のフォローに努め最悪の事態は免れたと思われるが、それでも兵団内でのハイドル卿への不平不満は募り続けていた様で彼に近づく者は皆無に等しい。
端から居たわけでも無いがあからさまに避けているのが見て取れた。その方がこっちとしても助かるのは皆まで言わず、応接室に戻ってきた頃には私の疲労も幾分かマシになっていた。
「兵団内を回ってみてどうでしたか?」
「所詮家畜小屋だ。それ相応の人間しかいなかったな。だが立体機動装置は素晴らしいものだった!今度はじっくり見てみたいものだ」
「ご満悦いただけたようで良かった。また引き続き明日もあります、今宵はごゆるりとお過ごし下さい」
不躾な発言をサラリと流すエルヴィン団長には感服するが、この貴族は本当に頭が腐っているとソファの後ろで控えていた私は彼らの会話をただ黙って見ながら思った。
調査兵団は金食い虫に違いないだろう、しかしこちとら人類のために必死なのだ。それは民衆の誰もが知っている事。大半の人間には理解されていない事実も知っている。
致し方ない事ではあるがそれでも突き進むしか道はないのだから、この貴族の様に罵る人間に甘んじりながらも聞き流し口をつぐむ他ない。
そう冷めた頭で思考しつつ未だに続く調査兵団に対しての罵詈雑言を聞きながら私は眉一つ動かさないエルヴィン団長を見やる。
彼はきっと憤りも何も感じていないに違いない。何故ならばこの貴族に限ってはただのカモはカモに他ならずそんなカモがガーガー鳴いた所で痛くも痒くもないのだから。
これが団長という地位に立つ男の威厳か。時折ははは、なんて声を出して笑う彼に底知れぬ何かを感じた。
「、彼に寝室の案内を。終わったら報告をしにくるように」
「了解です」
「僕の部屋はどこだい?」
「いざという時対処できるように私の隣室です。何かあれば何なりとお申し付けください」
相も変わらず笑顔を浮かべるエルヴィン団長の指示に従い、私の執務室の隣である空き部屋に案内すると狭いのが不満なのか悪態を吐くハイドル卿。
残念ながら広い部類に入る空き部屋はここしかない。あるにはあるが広さで言えばここが一番広い部屋なのだ。文句があるなら金をもっと落としてこの本部を増築してくれ。
奥の扉に寝室と水回り一式があると簡単な説明をし早々にエルヴィン団長の元へ向かった。後に問題が起きるとは微塵も思わずに。
「どうだ、彼の様子は」
「特に問題はありませんでした。悪態こそ喚き散らしておりましたが兵士たちと彼の間で直積的な衝突は回避できたと思います」
「ご苦労だった。君の功績は報告を受けているよ」
本当に苦労した。とは口にしないながらも私の疲労を感じ取っているのかエルヴィン団長は労わるように目を細めた。もういいよそれだけで不満は飲み込むさ。
仕事は仕事なのだから手を抜くことも彼に批難を浴びせる事もない。散々責任の押し付けをしていたのを棚にあげて何を、とは皆まで言わず。
恐らく業務などに支障をきたされた兵士からの報告も受け取った事だろう。それを咎めないのも含めての労わりだった。
「さて、ここからが本題だ」
先程までとは打って変わって唐突に真剣な雰囲気を醸し出し始めたエルヴィン団長。一体何が待ち受けているというのか、疑問は浮かぶものの続く彼の言葉で納得した。
「ハイドル卿は昨日の単独任務で監視した男と繋がりがあると私は踏んでいる」
「今回の視察…もとい見学に裏があると…」
「その通り。今日君に命じたのもその為だ。言うなれば君の任務は続いているという訳だが…確かな断定はできない。引き続き彼の動向を監視してくれ」
まさかそんな事情があるとは思いもよらぬ。それより昨日の任務が終わっていなかった事にびっくりなのだが。
「それなら先に言ってくださればもっと慎重に観察したのに」
さすがの私も苦言を漏らさずにはいられまい。下がる瞼をそのままに彼を見据えると肩をすくめていた。
「報告書を読んでから気づいた、という言い訳は罷り通るかな?」
「通るわけないじゃないですか。貴方ほどの人間が気づかないわけがない」
寝言は寝て言え。
「彼は立体機動装置をいたく気に入っているだろう」
「あわよくば装置の構造を盗み偽造しようと目論んでいる、とでも?」
あんな頭の悪そうな人間に複雑な立体機動装置の構造なんて到底理解できないと思うが、エルヴィン団長はその通りだと言わんばかりに頷くのだから納得する他ない。
推察するに立体機動装置を作る工場には一般人、ましてや兵士でさえも立ち入る事は出来ないらしいから三兵団の中でも扱いに長けている調査兵団に目をつけた、と。
調査兵団の見学と言っていたのに立体機動装置にしか興味がないところを見てエルヴィン団長も今回の裏に何かあると確信に至ったのだ。煩わしいにも程がある、ハイドル卿は。
「昨日ブローカーの監視途中、取引相手を確認しただろう。それがハイドル卿だ。彼のお父上にあたる」
地下街では何故か立体機動装置が横領している、ということは有名な話だ。
どっかの誰かさんは詳しくは存じないがどっかで入手したらしいが手に入れられるとすれば不埒な輩が売りさばいているわけで。
そのブローカーを監視するのが昨日の任務内容だった。詳しい値段などは分からないがその界隈では結構な高値で取引されているという。
ハイドル卿もそれを知り金儲けの為に今回の視察を目論んだのだろう、偽造に着手する前からブローカーと取引をするとはやはり頭が悪いとしか言い様がない。
「あぁ、あの太ったおじさんがそうなんですか。コードネームでやり取りしていたので気づきませんでした」
「そうだろう?コードネームの解読にも時間が掛かってしまってな……」
団長にも団長なりの苦労が垣間見えて肩を揉んで差し上げたら心底喜んでいたとここに報告しておく。
なにはともあれ至極まっとうな言い訳にぐぅの音も出ない私は謝罪すると共に執務室を後にした。
立体機動装置の構造を知りたがっているらしいあの男が次にどう行動するのか考えるだけで気が滅入る。
頭の悪いハイドル親子の事だ、装置の中はブラックボックス化していて生産者にしか分からないという事を知らないんだろうな。
だからこそ予想外の行動に出る気がする。この悪い予感が当たらなければいいと切に願うばかりだ。
「……?」
憂鬱さを無表情の裏に隠しながら自室へと続く廊下に足を踏み入れた所で大きな音が聞こえ足を止める。
何かが激しくぶつかる様な騒音のけたたましさに周囲の部屋の人間も顔を出す程で、私の顔をみると何があったんだと睨まれた。
いやいや私が知るわけないじゃないですか。そんなに見つめられると困っちゃうわよ先輩方。
そしてハイドル卿がいる部屋とは反対側の隣人である先輩が「お前の部屋からだぞ」と親切に教えてくださったので早急に自室の扉を開けた。
目に飛び込んできた光景は些か理解しがたいもので。
「書類の山が…まぁどこに何が置いてあったかなんて置かれた時からわかりませんでしたけどね」
「……なに悠長な事ほざいてやがる…」
配置が不自然に変わっている執務机。それなりに重量のあるそれにはリヴァイの足がかけられており蹴ったのだと思われる。
足元には期限に余裕があるからという理由で溜めていた書類が散蒔かれ机を蹴られた拍子に落ちたのだろう。
という事は先ほどの騒音の正体は紛う事なく彼の仕業で。凹んでいる木目が悲しげに影を落としているのがお労しや。
「とりあえず落ち着きましょう。何があったというんです?このフロアの先輩住人方たちもびっくりしてましたよ」
めちゃくちゃ物騒で自主規制も辞さない顔をしたリヴァイは、ソファの影で蹲るハイドル卿を蛆虫を見るかの様な目で指し示し舌打ちをひとつ。舌打ちより説明が欲しいです。
まぁエルヴィン団長の話を聞いた直後だったのでおおよその察しはついている訳だけども、だからと言ってなんで私の執務机が被害を受けているのか説明求む。
よくよく室内を見渡して見れば寝室に繋がる扉にまで被害が及んでいた。そういう事か。なるほどわからん。首をかしげる私に観念?したのかリヴァイは心底忌々しそうに口を開いた。
「この豚野郎がお前の寝室に侵入しようとしていたから止めた」
「…そう。机の件は?」
「逃げようとしたから追い詰めた結果だ」
「なるほど。ありがとうございました」
漸く足を下ろしたリヴァイは怒りが収まらないのか腕を組みながらもハイドル卿を睨みつけている。放っておいたら躾をしそうだ。
とりあえずソファに座って寛いで頂こうとしたのだがまた何かあるかもしれないと警戒していてその場を動こうとしない。生身の人間に暴力はダメです。貴方の蹴りは人一人殺せそうだし。
なんて蹴りをモロに受けたことのある私はそう口には出さないが言外に訴えかけると功をなしたのか、彼は渋々付近の壁に寄りかかる事で譲歩したのだと態度で示す。
何故部屋の主ではなくリヴァイがそんなに憤っているのだろうか。疑問は尽きない。
「で、貴方は私の部屋で何をしようとしていたのですか」
ガタガタと震えるハイドル卿に向き直り問いかけると面白いぐらいに過剰に肩を震わせた。
余程リヴァイの剣幕が恐ろしかったのだろう、これはトラウマ確定ですわ。いい気味です。
「いいいいや、貴様にアメニティについて質問があったんだが見当たらなくて…!!」
「先ほど団長のもとへ報告しに行く旨は聞き及んでいたと思いますが」
「わ、忘れていたのだ!」
「そうですか。アメニティについては説明不足で申し訳ございません。改めてご説明しますので隣室に参りましょう」
何もかもわかった上で彼の嘘に付き合う事のなんたる滑稽さか。暫くは恥を忍んでこの茶番に付き合ってやろう、そう思った。
退室間際までめっちゃ睨んでくる男に内心苦笑を漏らしながら扉の廊下側から中の様子を伺おうとしている先輩方に謝罪を忘れずに。
挙動不審な様子に笑いを堪えながら説明も終えハイドル卿に割り振られた部屋を出ると背後で勢いよく施錠音が鳴った。笑いも尽きない。
あぁこれから自室に戻らねばならないのか、と待ち受けているであろう不機嫌な男を思い浮かべ嘆息。この時ばかりはハイドル卿を恨んだ。
どう頑張ってもたった数歩という距離で時間稼ぎなんて出来るはずもなく、無情にも自室に到着してしまいしょうがない、と覚悟を決め扉を開けると力強く室内に引き込まれるのだった。
壁に体を押し付けられ顔の真横にリヴァイが手を突く。耳元で大きな衝撃音がして壁まで凹まされるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしたものだ。
パラパラと何かが落ちていく音が聞こえて手遅れだったのだと頭を抱えたのだが。
それよりもこの体制はいわゆる壁ドンという奴でこれが乙女の夢か、と思い至るも眼前には凶悪ヅラだ。手放しに喜べないのが悲しきかな。
「てめぇ…鍵もかけずに無用心だろうが」
「ここには必要最低限の物しかありませんし書類内容も機密のものではないので良いかなぁ、と…」
「そういう事を言ってるんじゃねぇ。この前も施錠せず爆睡してやがって…もしあの男が夜這い目的だったらどうする」
地を這うような低音ボイスに思わず敬語になってしまったのは致し方ないだろう。自然の摂理だ。そうに違いない。
それは置いといて、私にも一応言い分はある。勝手に入ってくるのはこの目の前の男ぐらいなもので施錠を必要と感じなかったのだと。
ただそれだけだから全く勝てる気がしない訴えは更に眉間の皺を深めた顔にあえなく敗訴。口に出すことさえ許されなかった。正確には言わない方が身の為だと察しただけなのだが。
これではいつものお説教街道まっしぐらだと危惧した私は勇気を振り絞り負けじと言い返す事に成功した。
「それは有り得ない。彼にとって私は『干物女代表の様なモサイ女』らしいよ」
「……」
おい納得するな。何か言え。言ってくださいお願いします。エルヴィン団長もそうだがどうして私への評価に対して口をつぐむのだこの人たちは。解せぬ。
試合に勝って勝負に負けるとはこのことか。私の精神力はもう底をつきそうです。
「大方立体機動装置を探してたと…寝室に置いといてよかった。あれをバラされたら直せる気がしない」
「てめぇのそのお花畑な脳内をバラしてやりてぇよ。いっぺん解剖されてこい。喜ぶぞあの変態女は」
そう言う割には壁に突いていた腕を私の頭に回し優しく撫ぜてくれるのだから苦笑する他ない。言葉と態度が真逆すぎて戸惑いも生まれなんだかよく分からない表情になったと自覚する。
その顔は彼の肩口に隠されていて見られる事はなかったのが唯一の救いだ。
「…ありがとう」
心配してくれた事、そして聖域への侵入を阻んでくれた事に対しての謝辞は小さいながらも彼の耳に届いた様で、腕の力は心なしか強まった気がした。
「――今日はここで寝る。番犬としてな」
数分後ののちそろそろ寝ようと寝室に向かう私の背後からかけられた言葉を聞かなかった事にして洗面所へ向かえば当然追随する影。
いや、そこまでして頂かなくとも今夜はちゃんと施錠しますから大丈夫なんですなんて言おうものなら、今度は洗面所のドアを蹴りかねない。そんな雰囲気を携えたリヴァイが背後にいた。
「…ヨロシクオネガイシマス」
貴方が番犬なら心強いですーなんて煽てて洗面所に退避。意外に心配性なんだな、あの人。
否、呆れるほど優しいのだ。
「お前が風呂に入るなら俺も一緒に入る」
変態でもあるけれど。
「残念ながら一緒に入る理由が見当たりません」
「お前の後に俺が入るとしてその間に何かあったら対処のしようがねぇだろう」
それもそうだな、なんて絆されそうになるも許可するわけないでしょうに何をほざいてやがるんだこの男は。
心配性通り越してただのセクハラ親父だ。前言撤回したい。変態の部分ではなくもちろん優しいという部分だけ。
洗面所に侵入されそうになるのをなんとか阻止し扉を閉めた。こうなれば篭城戦だ。
くぐもった声を聞きながら必死にドアノブを抑えるというこの滑稽さなんて今の必死な私には考え至らない。
「なんだ、恥ずかしいのか…それは盲点だった。目隠しでもすれば大丈夫だろうもちろんお前がな」
「逆だボケ。いい加減にして」
「……冗談だ」
「その間はなに。割と本気だったでしょ。まぁ冗談なら許してあげても良いけど――」
「わかっている。目隠しするのは俺だ」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ。論点はそこじゃないという事が何故わからないの」
「じゃあ何か、この俺に風呂に入るなと言いたいのかお前は」
「入るのは結構。でも一緒には駄目。これ以上恥じらいを捨てたら干物女という称号は代表通り越して殿堂入りになってしまいます」
「何も恥じらいを捨てろとは言ってないだろうが。恥じらうお前を見ながら共に入浴なんて絶好のシチュエーションだ」
「最高に滾るやつですね、わかります。ではなくてこんなモサイ女と一緒に入って何が楽しいの」
「お前がモサイなら他の女はどうなる。クソ以下になるぞ」
「煽てないで。その手には乗らない」
「本心だ。自信を持て。…俺のジャックナイフが証明している」
「それ最低な下ネタだよ…!?顔はイマイチだけど煽てておけば股を開くだろうと企む体目当ての最低野郎に成り下がっているという自覚をして…!」
「じゃあどう言えば一緒に風呂に入るんだお前は!」
「マジになって怒らないでよその言い方じゃ認めてるようなものじゃん!!」
「それはねぇっつってんだろうが!!いい加減にしろ!!」
「こっちの台詞だバーカ!!この変態!!女の敵!!!これ以上我が儘言うなら帰ってどうぞ!!!」
「我が儘じゃねぇ!!お前の身を案じてるのが何故わからねぇんだ!!!」
「今この瞬間に身の危険を感じてるよ!!貴方と入浴するくらいなら立体機動装置をバラされた方がマシ!!!」
「ほう、そうか…俺よりもあの豚野郎を選ぶと。そういう事だな」
「違う。おかしい。何故そんな結論に至ったのか十文字で」
「『拒絶されるのが解せん』」
「結局ただの我が儘じゃん!?」
「我が儘じゃねぇ!!このわからず屋が!!」
「その言葉ブレードでそのまま打ち返す!!なんでこの繊細な乙女心を理解してくれないの!!!」
「バカ言え、俺だって元々結構繊細だ!!こんなに全力で拒絶されてジャックナイフが何も思わねぇとでも思ってんのか!!」
「せめて垣間見える下心を隠して!!!セクハラされたってエルヴィン団長にチクるからね!!!」
「それは駄目だ。やめろ」
「急に素に戻らないで」
ゼーだとかハーだとか息が上がりながらも攻防戦は難航を極めた。余談だが言い合いしながら洗面所のドアノブを引き合っていてそろそろ壊れそうである。
こんなしょうもない事で怒鳴り合うなんて生まれて初めてだ。流石に隣人である先輩から苦情が来てもおかしくはない。
私はこれみよがしに深く、深ーく嘆息すると洗面所の扉を開いて降参の意を示す。疲労感が一気に押し寄せてきた。
「分かった。貴方が入っている間、私はお風呂の扉の前で待機する。これが最大限の譲歩」
「…俺のジャックナイフは、」
「言わせないよ!?」
「冗談だ」
そんなこんなで話もまとまり先に私が入ろうとしたらお風呂の扉の前で待機しようとしているリヴァイを追い払って漸く心置きなく一日の疲れを取ることができた。
なんかここまで来るのが途轍もなく長い道のりだったように思える。この疲労感は絶対先ほどの攻防戦の所為だ。間違いない。
何だかんだ言いつつ私の事を思っての提案だったとひとまとめにするには無理のある出来事だったけれど、シャワーで流れ落ちる汚れと共に全てを洗い流してあげようと思った。
所々本気で身の危険を感じた場面もあったが心のどこかであのやり取りが楽しいと思っていたというのはここだけの秘密。
「久しぶりに入ったが何でこんなに汚ねぇんだお前の寝室は。この前は綺麗だった筈だ」
「たまたま。このくらいがデフォ」
大人しく待っているのかなと思っていたら少々荒れていた部屋を掃除されていた。乙女の部屋を勝手に掃除するなどデリカシーの欠片もない。
それに汚いって言ったって床に書類が落ちてたりゴミが三個程転がってたり机の上が書物で散乱していたぐらいでそこまで気にする程でもないと思う。
まぁ相手は潔癖症だ。何も言うまい。いつぞやの特訓時と共に掃除の技術も叩き込まれた私だが、昔から自室はおざなりで思い立ったら綺麗にするとその程度の心構えなのは変わることはなかった。
よく居るよね。他人の部屋は綺麗にしたがるけど自分の部屋は汚い人って。まさに私です。流石に執務室は技術を駆使して綺麗さを保ってはいるが。
「絶対に扉の前から離れるんじゃねぇぞ。わかったか」
「……」
私の返答を待つわけでもなく唐突に脱ぎ始めた時はすぐさま背を向けた。本当にこの人よくわかんない。誰か解説して。
何が悲しくてシャワーを浴びるリヴァイのその生々しい入浴の効果音を聴いていなければならないのだろうか。そしてふと思い至る。
着替え無くないですか。
そろそろ上がるぞ、という声を聞いてこっそり洗面所から退室に成功。なんか服あったかなぁなんてクローゼットを探す私の優しさに誰か気づいて欲しい。
私の寝巻きは寝苦しくなくゆとりのある白の大きめのロングシャツなのだが、これをリヴァイが着たらどうなるのだろう。ペアルック?想像したくない。
でもこれしかないのだからしょうがないという事で用意しようと手に持った。その時だ。
小さく、だが確かに聞こえるノック音。どうやら発信源は執務室の扉らしい、寝室から出るとハッキリ確認することができた。
もしかして隣室の先輩から苦情かもしれない。今更になって言いに来るわけがないと考えに至らなかった自分を今ここで誰か叱咤して。
「なん、っ…!」
「静かにするのだ」
扉を開けた瞬間に伸びてきた手に口元を抑えられると耳元にかかる息。気持ちが悪い。犯人は言わずもがなハイドル卿で背後から私を抱え込み引きずりながら執務室に侵入してきた。
これはあれか。本当に夜這いに来たのだろうか。そんな事を冷静な頭で考えた。
「この僕が直々に相手にしてやるというのだ。光栄に思え」
いやいや、確かに何かあればなんなりとお申し付けくださいとは言いましたけど流石に夜のお供までするわけがないでしょう。
呆れてものが言えないとはこの事だろう。一気に脱力してしまった私はとりあえず背負い投げでもしようかと身をかがめた。
いくら対人格闘が苦手とは言えその言い訳が通用するのは鍛えられた大男相手か多勢に無勢な状況下、または戦闘のプロ相手ぐらいだろう。他にも兵士の中でも私より強い人はごまんといるぐらいだ。
あれ?これってダメじゃん。私弱いじゃん。そうです私は対人格闘が大の苦手なんです。
だがこんな訓練もしたことないような軟弱な男に遅れを取る程日頃の訓練を怠った覚えはない。むしろ干物女代表として人一倍鍛えているつもりだ。
そうと決まれば一気にケリをつけてやる。そう意気込んだ瞬間。
「汚ねぇ手で触ってんじゃねぇよ」
頭上で鈍い音がしたと思ったら少し引っ張られる感覚。綺麗な廻し蹴りを眉間に喰らったハイドル卿が私から手を離した拍子に少し巻き込まれただけだと理解するのは早かった。
身長差がなければ一緒に倒れ込んでいたかもしれない。
そして蹌踉めき床に手を着いた私の目の前には生足。これあれだ。きっと視線を上げたら見えちゃう奴だ。いくら腰にタオル巻いてたってこの身長差じゃ下から覗き込む形になるに違いない。
この時ばかりは自分の身長の低さに手を焼いた。
「さっきからギャースカドタバタいい加減にしろ草麸!ってうおっ!?なんだこりゃ!!」
隣室の先輩にこの状況を見られた事がトラウマになりそう。
そんなこんなで汚ねぇから触りたくないというリヴァイの主張によりハイドル卿は先輩によって部屋に運び込まれ朝になったら起きるだろ、と結論づけて自室に戻ってきた訳だが再び不機嫌を纏った男をどうするか考えあぐねる私。
いい加減服を着てください。そう言えばと渡しそびれていた寝巻きを差し出せば素直に着てくれたんだけどロングシャツとは言え彼が着ると丈が短くて股下が大変危険なことになっている。
着替えが無いということは当然下着も無くノーパンだ。さっさと取りに行って来いと声を大にして言いたい。さすがに男物の下着はありません。
ベットに腰掛け尊大な態度で見下ろされ私は床に正座を強いられている真っ只中。お願いだから足を組まないで。下手すれば見える。見たくない。
時刻は就寝時間をとっくに過ぎており深夜の一時だ。普段の私なら既に寝ている時間の筈で正直めちゃくちゃ眠いのだけれど目の前の男はそれを許してくれない。
終いにはもう一度風呂に入らなければベットに上がらせないとまできた。私のベットなのに。それにもう一度お風呂に入って目が覚めてしまったらどう責任とってくれるんだ。
無言の訴え虚しく自力で入らないなら俺が洗ってやる、なんて戯言をほざき始めたので渋々ながらお風呂に入った。ちくしょう。
上がってみれば新しい寝巻きが用意されていた。勝手にクローゼットまで漁られたという羞恥心は疲れた脳からは発せられなかった。
「さっさとしろ。眠いだろうが」
知るかちくしょう。誰の所為だ誰の。元はと言えば言いつけを守らずあろう事か来客対応した私が悪いのですすみません。
約束を違えた罰だなんだと言って壁際に追いやられ寝技をかけられた私は触れ合う生足の温もりに睡魔が襲って来るのを頭の端で察した。
密着する体を意識しない訳ではないがつい癖でブラを付け忘れてしまった事実に目を背けるも、着痩せするタイプか、なんて呟きを聞かなかったことに専念する方が大変だったと言えよう。
そう言えばリヴァイもノーパンだったなと意識を飛ばす直前に思ったのがいけなかったのかその日の夢はパンツを脱ぐリヴァイを目の当たりにするという悪夢だったというのはここだけの話。
「チッ…しくった」
リヴァイがそんな独り言を漏らしていたなんて知る由もない私は起きて彼の目の下に色濃い隈を見つけて首をかしげるのだ。きっと分かる人には分かる理由なのだろうね。
To be continued.
ATOGAKI
最後の就寝前のシーンは眠い時のテンションで書いた。反省はしていない。
分割。