She never looks back












 ―お人好し:前―











「そこで私はある仮説を立ててみたんだ。巨人は――」

「ふぅん。……そう…それで?……なるほどねぇ」

「君にもわかるだろう?彼らはより多くの人間が集まるところに向かうのは――」

「そうだねぇ。不思議だねぇ。……うん…へぇ……」


壁外調査も数週間前に終え、次の作戦までまだまだ時間が有り余ってる所謂『中弛み』の時期。執務仕事も任務もこれといって予定が無いそんな日だった。 一日に数回ほど執務室に書類が持ち込まれるのを待っているのも飽き、自主訓練もやる気が起きないはハンジの執務室へと赴いていた。

モブリットが淹れてくれた紅茶を啜り適当ともとれる相槌をしつつハンジの巨人話に耳を傾けては生態調査の資料に目を通す。 気が向けばこうして暇をつぶしているらしい。隊員にはなんて物好きな、と言われている。 もちろん殆どはハンジが語りに来る頻度の方が多いがそれでもは無碍にする事はなく、むしろ積極的に耳を傾けているといっても過言ではなかった。


さんは良くハンジ分隊長の話を普通に聴き続けられますね……」


何やら実験中の途中経過の確認時間がきたらしく慌てて研究室に駆け込んで行った背を見送り、どうせ数時間は戻って来ないだろうと見越してそろそろ帰ろうと紅茶を煽った所でモブリットが話しかけてきた。 ハンジを呼びに来たのは彼だ。一緒に研究室に戻らないところを見ると危険な実験ではないらしい。 が帰る事を予想してカップを片付けに来たようで、気の回ると言うよりこれが当たり前だと言わんばかりに熟す姿は執事を連想させた。口にはしないが。


「サボ――暇つぶしにはモッテコイだしねぇ。何をしてたか聞かれたら『ハンジ』って答えれば怒られないし」

「え……?それだけの理由なんですか?」


彼の手を煩わせる訳にはいかないと紅茶を飲み干せばモブリットは笑顔で受け取ってくれる。急かしてしまってすみません、と謝罪を聞いてこっちが申し訳なくなってくるだった。


「いや、もちろん普通に為になるからという点が大きい。ハンジはすごい人だ。私がアホみたいな飛び方してられるのもハンジの考察や実験結果に基づいてる部分もあるしむしろ感謝してるくらい」

「そうなんですか……さんは人並み外れた反射神経で戦っていると聞いていましたが意外ですね」

「生き残る為にはそれ相応の知識も必要だからねぇ…ある意味ここまで生き残れたのはハンジのお陰かもしれない。本人には言わないけど」

「そう言って貰えるとハンジ分隊長の下に就いてる僕たちも嬉しいです。これからもさんのお役に立てられるよう頑張りますね」

「……私はただ君たちに肖ってるだけだから気にしないで。何か協力できることがあれば遠慮なく言って欲しい。恩に報いらないと」

「ハンジ分隊長の話し相手になって貰ってるだけで十分ですよ」


そう言ったモブリットの笑顔は嘘偽りのない純粋なもので、それを真っ向から受けはなんだか気恥ずかしくなってきた。 ここの隊員は余程ハンジを慕っているとみえる。それに尊敬もしているのだろう。ちょっとだけ羨ましくなるであった。

長らくお邪魔しました、と一声かけてはハンジの執務室を後にした。さてこれからどうしようか。石壁の廊下を歩きながらやる事を考えては窓の外に目を向ける。 外では訓練なり筋トレなりしている兵員が見え炎天下の中で真面目に取り組む姿はのやる気を芽吹かせるには十分で。


「鍛えるか……」


思い立ったら吉日。は装備を整える為に己の執務室へ進路を変更させた。





 ♂♀





それから三日後。単独任務を昨日終え気乗りしない執務仕事に励むが鎮座する執務室にモブリットが訪れた。彼の顔はげっそりとしており徹夜明けだろうと容易に察する事ができる。 酷い隈だこと。紅茶と共にお茶菓子でも出そうと腰を上げるだったがそれを制し彼は実験結果の資料を差し出してきた。恐らく三日前から行っていた実験だろう。


「態々ありがとう」

「いえ、さんは執務仕事に追われていると聞き及んでおりましたので」


冷酷な瞳を仕舞い柔らかく見える無表情で受け取ればモブリットが力なく笑う。相当お疲れの様だ。これはもう帰って休んで貰う方がいいかもしれない。


「ハンジはまだ研究室に篭って?」

「いや……それが、先ほど意識を失って眠っておられます……その間際にこれをさんに、と」

「私も物好きだとは思うけどあの人も相当物好きだねぇ。落ち着いてからでも良かったのに。後で様子見にお邪魔する。君も早く休むといい」


気絶するまで没頭していたという事は三日前からずっと寝ずの研究をしていたと言うことか。いつも思うがハンジは加減と言うものを覚えて欲しい。 こうやって研究に明け暮れる事は頻繁にあった。元気な時は自ら結果を報告しに来てくれる場合もある。今のようにモブリットに書類を預けることも多々あった。 もちろん全部の研究結果を持ってくる訳ではない。ただ事前に実験過程を聞いていたので報告しようとしてくれたのだろう。 これは高くつくな、なんて内心笑いながらも何時頃に伺おうか思案するであった。


そして数時間後の夜。そろそろ起き始める頃合かと研究室に足を運んだが扉を開けた、その時だ。


さん!!に、逃げてください!!!」

「――え?」


開け放った扉。そして室内から鼻を覆いたくなるような激臭。視界は紫の靄に支配された。


「ゴッホガッハ……ッ!な、何事……」

「取り敢えず扉を閉めて下さい!!」


思わず咳き込み辺りを伺おうと試みるもモブリットのくぐもった必死な声に従い扉を閉める。風圧で少し靄が漏れ出たが直ぐさま霧散した。 激臭に麻痺した嗅覚では確認出来ないが残り香的なものは暫く停滞しそうだ。 直ぐさま廊下の窓を開け換気する。夜の生ぬるい空気が頬を撫でていく中、は何が起こったのか頭の中で整理できるまでには落ち着いてきたのを見計らいため息をひとつ。


「一体なにが……」

「おい、今の騒ぎは何だ……お前は何をしている?」


窓に身を乗り出し深呼吸するの背後に険しい顔を携えたリヴァイがやってきた。書類を抱えている所を見るとハンジに届けに来たのだろう。 タイミングがずれていれば先ほどの惨状に直面していたのは彼だ。そう思うと冷や汗が出た。ハンジよ、生きながらえたな。


「わ、私が聞きたゴホッい……」

「何咳き込んでやがる。気管にでも入ったか」

「え……?臭いしないの」

「臭い?なんだそれは」

「……」


窓から身を離せば外気に慣れた嗅覚は未だに廊下に残る激臭を拾う事が出来る。残り香は根強いらしい。しかしリヴァイは臭いなどしないと言う。どういう事だろうか。 そう言えばモブリットもくぐもってはいたが噎せる事なく叫んでいた、という事は彼らには感じられないものなのだろう。一体と彼らの違いは何だ。


さん!大丈夫ですか!?」


室内も落ち着いてきたのだろう、扉の開閉を最小限に抑えモブリットが廊下に出てはの様子を確認し始めた。 彼の慌てようにリヴァイは未だ疑問符を浮かべている。モブリットはリヴァイが居ることに気づき口に当てていたハンカチを仕舞い敬礼すると再びを気にかけた。声がくぐもっていた原因はこれか。


「大分収まってきた。一体何が……」

「申し訳ございません!!先ほどお渡しした研究結果の続きで実験を行っていたんですが……事故が起きてしまいまして……」


聞くところによると、どうやらハンジが寝起きに実験の続きを行ったところ手元が滑って材料を爆発させてしまったらしい。


「爆発?大丈夫なの」

「はい。液体が気化するものでしたので怪我をするような事態にはなっておりません。ただ室内は大変な事に……」


爆発の部分に過剰反応しつつはモブリットの言葉で安心したように息を吐く。怪我人は居ないようで何よりだ。


「おい、これはどういう状況だ?こいつは咳き込んでいたが何故俺やお前は平気なんだ」

「そ、それは――」


睨みつけながらリヴァイが問い詰めモブリットは恐怖ゆえ慄く。そこまで睨まなくても、とは思うが自身も知りたい内容なので黙って見守ることにした。薄情である。


「巨人は男性のような姿をしていますが性別という概念はあるのか調べてみよう、と言うのが今回の実験に至るまでの経緯です……なので基準は人間ですが性別を判別するためのガスを作っていました」

「なるほど。ならこの激臭は女性だけに影響して男性には何も感じられない、という訳。道理で…」


は数時間前に渡された資料内容を思い浮かべながら合点がいった様だ。なんかよくわからない成分表とそれを調合して云々書いてあった気がする。


「チッ…副作用なんざねぇだろうな」

「それがまだ途中段階でして……人体実験をするつもりも無かったのですが事故で今後何が起こるか……」


さすがハンジ面白い事思いつくなぁ、なんて呑気に感心していたらリヴァイに睨まれた。


「ハンジも中に居る?大丈夫なの」

「取り敢えず奥の部屋に避難しましたので落ち着いています。分隊長が確認するまで室内の激臭がとれているのか判断しかねますので当分の間閉鎖する予定です」

「じゃあ明日またお邪魔する。ハンジにくれぐれもよろしくね」

「本当に申し訳ございませんでした……今日は大事を見てお休みください。どうなるか本当に分かりかねますので外出を控えて頂ければと思います」

「了解。君たちも気をつけて」


リヴァイから書類を受け取ったモブリットが足早に研究室へ戻るのを見送りも踵を返した。未だに残り香は消えることなく鼻腔を刺激する。早くこの場を離れたいが為に早足になってしまうのは致し方ない。


「見た目に変化は無ぇな」


共に別棟に向かうリヴァイが横に並び訝しむ。念入りにを凝視しているのは何か変化が無いか気にかけてくれている証拠である。


「今のところ体内にも異状はないよ」


そう申告してもリヴァイの疑惑の目は晴れることは無かったという。そう言えばお見舞いの品を渡しそびれたな、と未だ手元にぶら下げた紙袋を持て余しながらは今夜の夕飯は何かと献立に思い馳せた。







To be continued.












ATOGAKI

長くなったので分割。