She never looks back
―お人好し:後―
そんなこんなでが気絶したのは食堂で夕飯を食べ終えた直後だった。靄を吸ってから約一時間後の出来事である。
同席していたリヴァイは勿論のこと、周囲の団員たちも何事かと驚いた。取り敢えず医務室だ。リヴァイに抱えられたはぐったりとして微動だにしていなかった。
「――オイこのクソメガネ!これはどういう事だ!!」
医務室に駆けつけたハンジに怒号が飛ぶのも当然だ。胸ぐらを掴まれ壁に打つ背中の痛みがハンジの焦りを落ち着かせた。
リヴァイは相当頭に血が上っているらしく視線で人を殺せるのではないかと思える程険しい。キリキリと締め付けられる胸ぐらのシャツがちぎれそうだった。
「ま、待ってリヴァイ!私にも良くっわからない……っんだ!」
「分からねぇだと?てめぇの実験だろうが!!」
「兵長!ここは一先ず落ち着いてください!!」
もう一度ハンジの背を壁に打ち付けながら一喝。モブリットが宥めようとするも眼中にないらしい。
怒声を聞きつけ奥から出てきた看護兵3人に引き剥がされるまでリヴァイは手の力を緩めることはなかった。
「ごめんよ……巻き込んでしまったばかりに……」
幾らか落ち着きを取り戻した3人はが横たわるベット脇の椅子に座り心配に眉を寄せる。向かい側に座るリヴァイはの手を握りしめハンジを一瞥すると舌打ちをひとつ。
ハンジの隣に座るモブリットの顔は青ざめ、ふたりの様子を伺うように視線を漂わせていた。
「……こいつはどうなる」
「分からない……。ガスの成分は人体に無害な物を使っているから大事にはならないと思うけど……」
目覚めるのはいつになるのか。直ぐかもしれないし何時間もこのままかもしれない。それがハンジの見解だ。看護兵の診察結果によればただ眠っているだけらしいのだが。
それも其のはず、ガスの成分には睡眠を促すものも含まれている。微量ではあるが原因はこれしか考えられなかった。
「何でてめぇは平気な顔しててはブッ倒れてんだ」
「私の方が濃密な靄を吸い込んだ筈だ……だけど何とも無い。は夕飯を食べた直後に……何か食べ合わせが悪かったのかな?」
「さんが何を食べたのか教えていただけますか?」
「鶏肉のスープと…パン…後は蒸し芋か。俺も食ったから間違いない」
「食堂で食べたんだしそうだよね……私も自室で食べたけどやっぱり平気だ。この中に何かおかしなものがあるとは考えにくいし、それで全部かい?」
「……そう言や食後にチョコレート食ってたな。昨日の任務終わりに街で買ってきたらしい。食い終わって10分くらい雑談して部屋に戻ろうと立ち上がった瞬間ブッ倒れた」
いくら考えても原因が見当たらなかった。ハンジも全く同じ物を食していたと言う。チョコレートだって悪影響をもたらす成分は入っていない筈なので除外された。
かれこれ30分ぐらい話し合っているがベットに横たわるは身じろぎひとつせず眠っている。焦燥は募るばかりだ。
「の様子はどうだ」
更に10分経っただろうか、エルヴィンが医務室にやってきた。彼は先程まで外出していて帰るなりの事を聞きそのままの足を運んだらしい。
ベットに近寄ると小ぶりのトランクを置きモブリットが譲る席に座った。簡潔な経緯を聞くと些か眉を寄せる。
「が目覚めて原因を解明したら始末書を提出するように。それと謝罪文だな」
「うん。何枚でも書くよ……」
ハンジの意気消沈している姿に声をかけるものは居ない。全員が意識をに向けているからだ。
見れば見るほど穏やかに眠っている。顔色も変化なく本当に至って普通に眠っているだけに見えるも不安は拭えなかった。正直転倒した時に打ち付けた額に貼られた湿布の方が重症に見える。
「にお土産を買ってきたんだ。昨日の任務では予定以上の成果を上げてくれたからね。それがお見舞い品になるとは思わなかったな」
苦笑するエルヴィンがトランクから紙袋を出すと備え付けのサイドボードに置いた。焦げ茶色の紙面に白い文字が書かれた高級感溢れる紙袋だ。
街で人気のお店で買ってきたらしいそれには『チョコレート』と綴られている。偶然か先ほどの会話にも登場したお菓子にリヴァイは忌々しげに目を向けた。
徐ろにハンジがそれ食べてみたかったんだよね、と言って不躾にも中身を覗き見ると箱も可愛いとの事で少し取り出してみせる。
「オイ……それは……」
はたと瞠目する。リヴァイには見覚えがあった。が食後に食べていたチョコレートの箱、それが今まさにハンジが持っているものと同一のものだったのだ。
紙袋とは違い橙色の箱に紫のリボンが斜め両角に巻かれたそれは紛うことなきが手にしていたもので。中身を開ければ綺麗に整列したチョコレートが収まっている筈だ。
そう言えばその紙袋も見覚えがある。研究室前で出くわした時には持っていなかったか。瞬く間に溢れ出す記憶にリヴァイは思わずの手を握る力を強めた。
「ははは。という事はとカブってしまったのか。困ったな……また後日改めて別のものを買ってくるとしよう。どうだリヴァイ、食べてみないか?」
「……んな甘ったるもん食えるか。も同じこと言ってたな。俺が食わねぇの知ってやがるのに何だってんだ」
「それは恐らくこのチョコレートの中にお酒のゼリーが入ってるからだと思うよ。度数も高いしお前も食べられるかと思ったんじゃないか?」
「そうか。――あ?なんだと?」
ハンジから箱を受け取り再び己の手元に収まるそれを開けようか迷うエルヴィン。苦笑するも急にリヴァイが立ち上がることによって目を見開くこととなる。
そして間を空けずハンジやモブリットも反応を示す。3人の剣幕に箱を奪われた手元は動かすことが出来なかった。
「なんだって!?アルコール?度数は!?」
「確か45度のウイスキーだったと記憶しているが……箱にも明記されている筈だ」
「ま、まずいですよ分隊長!!これじゃあまるで『睡眠薬と併用した』同然です!!」
「チッ……確かに『食い合わせ』は悪かったらしいな」
眠る、睡眠を促す成分、お酒。この3つから推理するには本当に眠っているだけというわけで。
一般的に睡眠薬とアルコールを同時に服用すると睡眠薬の効果が効きすぎてしまう。最悪副作用を起こす危険性が高くなる。睡眠薬の成分も様々な種類があるがどうやらアルコールと併用すると特に危険である成分を実験に使用していたらしい。
微量で気化したものなので効果は薄いはずなのだがアルコールを服用してしまったのが悪かったのだろう。恐らくアルコール入りのチョコレートを摂取しなければそのまま何事もなく終わったのかもしれないが全て結果論に他ならない。
単純明快な事の原因に一同は力が抜けたと言わんばかりに椅子に腰を落としたのだった。
「って薬が効きやすい体質なのかもね」
「それに酒も弱い」
「すぐ寝てしまいますよね」
「……私は選択を誤ったようだ。やはり他の物を買ってこよう」
その後、看護兵にたーっぷりお叱りを受け肩を落としながら4人は各々執務室に戻ろうと廊下を歩く。ハンジ以外免罪にも程がある。エルヴィンなんて先ほど帰還したばかりでお見舞いに来ただけだ。
後でハンジにお灸をすえねばと思いつつリヴァイの腕の中で眠るを見ては安堵の胸を下ろした。
「多分、には後遺症がみられるかもしれない。軽度のものだと思うけど記憶障害とかめまいとか気をつけて」
「チッ……」
「は明日非番にしよう。ハンジ、この実験は直ちに中止するんだ。今後も同じ実験を行うことを禁ずる」
了承するハンジの顔が残念そうだったのは置いといて各自行き先が違う為別れ、リヴァイはの執務室へ入った。
また性懲りもなく無用心にも施錠していない扉に舌打ちするも今回ばかりは許そうと思う。両手で抱えたまま鍵は探れまい。この事を本人に言えば調子に乗るだろうから報告するつもりなぞ無いが。
これまた施錠されていない寝室の扉を開け、未だ眠るをベットへ静かに下ろし額の湿布に手を這わすとその手で布団を体に掛けた。
ジャケットも固定ベルトも医務室で外してあるもそう言えば持って帰ってくるのを忘れたな、と思い返し明日で良いかと考えに至る。
「本当に起きんのか……?」
かれこれ2時間強は寝ているままだ。起きる気配もない。いっそのこと叩き起してやろうか。ただの睡眠だとしても起きるまで安心出来ないのは致し方ないだろう。
リヴァイは室内にある簡素な椅子をベットの傍らに引き寄せると着席しの手をとった。重病人の看病をしている訳でもあるまいし、とは思うものの握る手の力が緩むことは無い。
「……チッ」
思わず舌打ちが漏れた。こうなれば寝てるのを良い事に弄ってやる。頬を引っ張ってみたり髪の毛をボサボサにしてみたり。いつもなら起きるはずの行為だが瞼は動く気配すら見せない。
今一度舌打ちをし自己嫌悪に陥る。何をしてやがる。アホか、と。
この様子なら暫く梃子でも起きないのだろう、そう考え本棚を漁ろうと席を立ち手を離そうとした。その時。
「……!」
微かに反応があった。一瞬のものだったが確かに指が動いたのだ。リヴァイは離しかけた手を戻すと再び握り締める。力が入りすぎて白くなっているが気にかけている余裕はない。
試しに一度呼びかけそれを3度繰り返したのち、うめき声と共に目が開いた。
「リヴァ、イ……?」
どうやら焦点が合わないらしく虚ろな目を瞬かせるは掠れ声でリヴァイの名を口にする。不本意にもその声に胸が高鳴った。
「、気分はどうだ」
「最悪……気持ち悪い……」
「そうか……水は飲めそうか?それとも吐くか?」
「リヴァイが……吐く夢を、見た……気持ち悪い……」
「……元気そうで何よりだな」
こいつはなんつー夢を見てやがったんだ、と思わず嘆息。人の気も知らないで。そう思うも安堵する己がいる。
いきなり倒れた時はそれはもう驚いた、というより慌てた。食器が散乱するのも顧みず机を飛び越え抱き上げれば、打ち付けた額が赤く腫れあがっており僅かに血も滲んでいて。
微動だにしないを目にして一瞬でも不吉な考えが脳裏を過ぎった。しかし呼吸は異様なまでに正常で看護兵に打診してもらうまで終始混乱するばかり。
まさかアルコールとの併用が原因で寝てるだけだとは思いもよらぬ。
――ふざけてやがる。あぁ本当にふざけてる。終いには何だ、俺が吐いてる夢を見ただと?……ぶっ殺すぞこの爆睡野郎。
「あの…手、痛いです……」
「うるせぇ。今夜は寝かせねぇからな……覚悟しておけ」
「えー眠い。寝る。寝かせて……あと7時間程」
「ガッツリ寝ようとしてんじゃねぇ馬鹿が」
いまいち状況が掴めないはリヴァイは何故こんなに怒っているのか皆目見当もつかない。先ほどハンジが言った通り軽度の記憶障害を患っていて意識が飛ぶ前の記憶が無いのだ。
食堂でリヴァイと共に席に着いたまでは覚えている。しかし気付いたら自分のベットに寝てる上にリヴァイが手を握っていてめちゃくちゃ怒っているときた。心なしか額も痛い。これはどういう状況だ、その言葉に尽きる。
「なんか目眩もするし意味がわからない……」
「説明してやるから水でも飲んでおけ」
与えられた水を飲みながら事の顛末を聞き、納得したはボサボサになっていた髪の毛を梳かすように頭を撫でつけながらリヴァイの様子を伺いつつも脳内を整理するのに時間をかけた。
まだ覚醒しきらないのも副作用だろうか。そんな事を頭の隅で考える。
「エルヴィンからの命令だ。明日は非番、ベットから出ることは許されない」
「あー…まだ眠いし丁度いいかも。でもあれだね……疲れ溜まってる時にこうなりたかった」
「呑気な奴だな……大事にならなかっただけでこれが毒だったら死んでたんだぞお前。それか倒れたとき打ち所が悪けりゃ死んでた」
「どっちにしろ死ぬんですね分かります。やだなぁこんな所で死ぬのは……生きてて良かった」
些か大げさすぎる気もするがリヴァイの真摯な瞳はどこまでも深く。例え副作用の所為で朦朧とする意識下だとしても彼の憤りの先にある感情が手に取るように分かった。
「ご心配をお掛けしたようで……お礼といってはなんですがチョコレート食べる?」
「いらねぇよ。断固拒否だ。ふざけんな」
「ですよねー」
頭を撫ぜる手の感覚に導かれるままは再び眠りにつく。今度はどんな夢をみるだろうか。そんな事を考える間もなく意識を手放した。
♂♀
二日後。予定外の非番をベットの中で寝て過ごし頭は重いながらもハンジの執務室に出向いたは、ハンジの部下たちの謝罪を制しつつ寝室へ入った。
ベットの上に横たわるのは部屋の主であるハンジだ。目を擦りながらの姿を視認するとハンジは頼りなく手を上げ迎え入れる。
モブリットに促されるまま椅子に座りハーブティの茶葉を彼に渡せば苦笑を浮かべるハンジ。凄く眠そうだ。
「気分はどう」
「お陰様で眠気と気だるさが私の意識を蹴っ飛ばしたくてうずうずしてるよ」
「だろうね。ハンジが大人しいから本部内も静かで過ごしやすい……もうずっとそのままでいいんじゃない?」
「ひどいなーは。同じ痛みを共有した仲じゃん。もっと労わってくれてもいいんだよ?」
ははは、と渇いた笑みはモブリットの嘆息を促した。は眉間に指を添え彼と同じタイミングで嘆息する。
これが昨日の己の姿か。いや、こんなにふざけた発言はしてないから語弊があるな。全くどうしたらこんな事になるのか問いただしたい所だが理由は既にエルヴィンから聞き及んでいる為、やはり嘆息する他ない。
「自業自得。何で事件翌日に同じ過ち犯すのか理解できない」
ハンジは昨日の見舞いに来た。そこまでは普通だった筈だ。が起きている時間とタイミングが合わなくて何度か足を運んで貰ったと聞いたときは己に非は無いが申し訳なくなった。
そして食堂で食べた自分の分とは別に買ってきていたハンジの分のチョコレートを渡し、眠くなるまで雑談。帰っていったのは何時だったか明確にはわからないが外は暗かったと記憶している。
翌朝起きてエルヴィンに報告と謝辞を述べればハンジがと全く同じ状況に陥ってると聞き、ハーブティを持って今に至るという訳で。
「いや〜だってまさか処分しようと思ったものがまた爆発するとは思わないじゃん?」
「じゃん?じゃない。団長も頭抱えてたよ。そろそろ本当にヅラになりかねないから問題を起こすのは控えて」
「はーい。でもさ、育毛剤とか作ったら喜ぶと思うんだ!」
「はぁ……もういいから寝て。一生起きてくるな」
今回の件について憤慨する事はなかった。起きてしまった事故は致し方あるまい。それに己は命に別状も無く明日になればこの重い頭も元通りになるだろう。ただ壁外調査と日にちがかぶらなくて良かったとは思うが。
しかしながら同じ過ちを犯すとはいただけない。なんで昨日の今日で今度はハンジがブッ倒れてるんだ。それでいいのか研究者。は滾るハンジを横たえらせ無理やり寝かしつけると布団を顔まで被せ席を立った。
昨日の晩、から受け取ったチョコレートを数個ほど頬張りエルヴィンの命令通り研究を中断したハンジは後ろ髪引かれる思いで薬品などを片付けていたのだが、手元が滑り再び爆発させてしまったらしい。
45度のアルコール摂取でほろ酔い気分だったと言うのも相まってか睡眠を促す成分を大量に吸い込み速攻で気絶。爆睡。先ほど目が覚めた所にがお見舞いに来た。なんとも間抜けな話である。
「本当に申し訳ございませんでしたさん……態々お見舞いにも足を運んで頂いて」
「いつもお世話になってるしそんなに気にしなくていいよ。それに今日も仕事する気なかったし暇してた」
一緒に寝室から出てきたモブリットが改めて謝罪する。彼は本当に真面目だな、とは苦笑する他ない。普段の彼女は彼と真逆なのだから爪の垢でも煎じて飲ましたいところだ。
「もう来ていただけないと思ってました……あんな目に遭わせてしまいましたから……」
モブリットは不安げに顔を伏せ言った。どうやら彼の執拗なまでの謝罪の裏には別の心配があったらしい。は思いがけない言葉に僅かながらに目を見開くと誤解を解こうと口を開く。
「研究とは失敗が付き物と聞いている。むしろ失敗も成功の内。それに巻き込まれてしまったのはただ不運だったってだけだからねぇ。だから怒っていないよ」
興奮しながら研究するハンジを見てきたからこそなのかは不明だがは研究と言うものが好きだ。結果を聞くのも過程を聞くのも考察を聞くのも。
失敗に関しては心配もあるが彼らが報われれば嬉しいし、失敗してもそれも大きな成果だろう。これからも突き進んで欲しいと思う。己の為にもなる、というだけではない。
そんなの考えが相当嬉しかったのかモブリットは破顔した。
「さんってもしかして元研究員かなんかでした?」
「いや……そういう訳じゃないけども」
ハンジの巨人話に付き合うは隊員から物好きだと言われている。しかし、この一件で被害に遭ったにも関わらず怒ることも無かった彼女が『お人好し』と言われ始めたとは皆まで言わず。
は今朝起きた時に積まれていたお見舞いの品は一体誰からのものなのだろうか、なんて考えながら執務仕事をするため兵団本部の廊下を進んでいくのであった。
END.
ATOGAKI
ハンジの巨人話を長きに渡り付き合っていく内にハンジの部下とも仲良くなった模様。
兵長よりもモブリットとの絡みが多い話でした。