She never looks back







割と相当酷いこと言われます。下ネタが酷いです。ご注意ください。自己責任でお願いします。ご注意ください。







 ―悪ノリ―








それは一瞬の出来事であった。目にも止まらぬ俊敏さで互いに攻撃を仕掛け、そのまま前傾姿勢を保ち至近距離で顔を突き合わせるという早業。 の横面にはリヴァイの拳が既のところで静止している。だが彼の横面には拳が無い。遠巻きに固唾を呑んで見守っていた団員たちはクロスカウンターを予想していたのだがどうやらの拳は別の場所を狙っていた様で。 リヴァイは真下を一瞥すると僅かに眉を上げを睨みつけた。


「……おいてめぇどこ狙ってやがる」

「強いて言うならば男性に一番効果的な部分とだけ」


対人格闘が苦手なならではの対抗策である。今まで何度か使用した事があるらしい、その証拠に拳の軌道に迷いは無かったという。 相手はリヴァイだ。正攻法で行っても勝ち目はないと踏んでこの戦法に打って出たと。そうは言っても直撃していたら。想像すると痛みを感じるであろう部分がヒュンと収縮するリヴァイである。


「やめろ俺のジャックナイフが使い物にならなくなっちまったらどうしてくれる」

「そっちの心配なの。はっ……ポケットナイフの間違いかと」

「確かめてみるか?触れば意味が分かる」

「謹んでお断りします」

「……このやり取りに既視感を覚えるわけだが」

「気のせいじゃないの。いつもの事でしょ」


埒があかない。ふたりは同時に体制を戻すと嘆息しながら解散だと言うように体を反転し背を向け合う。しかしその瞬間お互いの瞳が煌めいた。


「ほぅ……余程俺のジャックナイフに興味があるとみた」

「乙女の顔に傷をつけようとする最低野郎には必要ないと思って」


リヴァイのハイキックとのローキックが先ほどと寸分狂わぬ位置で静止している。二度もリーチの差を感じさせない体勢、そして絶妙な寸止め具合。お互い間合いを熟知しているようだ。 己の肩ごしで睨み合うふたり。美しくも綺麗に伸ばされたそのおみ足がぶれる事は無かった。


「はーいストップストーップ!こんな目立つ所で何しちゃってんの君たちはさぁ!」


一触即発な空気の中、それを打ち破ったのは駆けつけたハンジだ。花火を散らすふたりは制止の声を聞いても体勢を崩そうとはせずにふたりの捨て身の押さえつけを甘んじて受け止めた。 一体どうすればこんな状況になるのか。皆目見当もつかないハンジは共に来ていたモブリットと手分けして各自ふたりを引き離すことに成功する。


「あいつが悪い」

「あいつが悪い」

「分かった、同じ台詞ならせめて同時に言ってくれ」


はモブリットに羽交い絞めされ、リヴァイはハンジに腰に手を回されて睨み合うに留まった。片や人類最強、片や異例の単独部隊隊長だ。このままにしておけば被害拡大は免れまい。 は対人格闘が苦手だとしても装備は万全でリヴァイも勿論のこと最悪斬り合いになれば大問題になるのは一目瞭然である。それにエルヴィンの耳に入ればなんらかのお咎めは覚悟した方がいいかもしれない。


「一旦頭を冷やそう……何があったっていうのさ?」


ハンジは眉を曇らせふたりを交互に見遣る。未だ睨み合い両者一歩も引かない態度に混乱は増すばかりだ。 はいつも通りの冷酷な瞳だが心なしか憤りが垣間見える。リヴァイの方は険しい顔が一層剣呑さに磨きを掛け青筋を立てていた。

こんなにも感情を剥き出しにして喧嘩するなんて珍しい。そろそろを羽交い絞めにするモブリットがリヴァイの眼光に気を失いそうである。何か打開策をとハンジが思慮をめぐらし始めたその時。 徐ろに深くため息を吐き強張っていた体の力を抜いたがモブリットを緩慢な動きで振り払うと口を開いた。


「……あいつが私の仕事の邪魔をする」

「邪魔……?どうしてだい、リヴァイ。の単独任務はいつもの事じゃないか。と言うか君が入団する前からやってきた事だ、今更何を……」


は遠征時以外はそのポーカーフェイス諸々を買われてエルヴィンの指示のもと単独で任務に就くのが主なものだった。内容は多岐に渡るが潜入捜査が大半だと記憶している。 それに単独以外に複数で就くこともありハンジばかりかリヴァイだって共にした事はあったろう。 今まで口を出してこなかったのに何故今さらになって邪魔をしようとしているのかいくら考えてもサッパリだ。


「……うるせぇな。関係のねぇやつは引っ込んでろ」


腰にしがみつき抑制していたハンジに目もくれず勢いよく突き飛ばすとリヴァイは尊大な足取りでに向かっていく。 視界の端でつかさずモブリットがハンジに駆け寄り容態を確認するのが見えるもやはり眼中に無いらしい、彼の足が止まることはなかった。 そしてあろうことかふたりは操作装置に手を伸ばし間髪入れず刃を装着したと思いきや抜刀する。遂にやってしまった。最悪の状況がハンジとモブリットの目の前で繰り広げられてしまう。

逆手に持たれた操作装置からから伸びる刃はの頸動脈へ、左は心臓を捕捉する。リヴァイの喉元には刃が突きつけられもう一方は。


「切り取らなくとも好きなだけ堪能させてやると言った筈だが」

「別に持ち帰って観賞したいわけじゃない。触りたくもない」


物騒な状況下で漫才でもしているのだろうか。しかし彼女らは至って真剣である。闘志迸る剣幕も射殺しそうな眼光も健在でありながらそれとは裏腹に会話は気の抜けるような内容ときた。 このちぐはぐな光景にハンジとモブリットは余計な心配だったかと思う他ない。だがしかし次の瞬間本気で刃を交え始めたふたりに慌てふためる事になるのだが。


「ちょちょちょちょ何しちゃってんの!?これ以上は流石に懲罰房行きだよ!?エルヴィンに報告せざるを得ない!!」


暴力だけが懲罰房への条件ではない。様々なルールがこの兵団内には存在する。組織なのだから当たり前だ。 目立たない程度の小競り合いならまだしもこれは流石に行き過ぎた喧嘩である。


「ミケ分隊長を呼んできます!!」


どうやらモブリットの方が冷静らしい、彼の判断にハンジは頷くと小声で指示を出した。


「あぁ!決してエルヴィンには知られないようにするんだ……!!」

「了解です!!」


モブリットが急いで本部内へと駆けて行く背中を見送り冷静さを取り戻したハンジはどうするか思考を巡らす。このふたりを止めることができるだろうか。 調査兵団一の実力者、そして単独特化型に鍛えられた兵士。最悪ミケを連れてきても止められないかもしれない。 こうなれば巨人捕獲用の兵器でも使うか、と最終手段を頭に浮かべては思い留め別の手段を探す。この間にもふたりの喧嘩は続いていく。


「一体何が気に食わないの。明日から任務なのだから休ませて」

「精力を付けるってか。殊勝な心がけだな……ヤる気満々じゃねぇか」

「何故だろう貴方が言うと卑猥に聞こえる。と言うかさっきから下ネタしか言ってない」

「そりゃてめぇの脳内が卑猥な事しか考えてねぇからだ」


耳を劈くような金属音を響かせ本物の火花を散らしながら刃を打ち合うふたり。他の団員が遠巻きで見守る中、派手ではあるがその迫力は鬼気迫るものを感じた。

エルヴィンには知られたくないとは思うもののいや、待てよと気付く。そうだここは訓練場だ。こんなふたりの様子を見られていてはエルヴィンの耳に入るのは確実なのでは。次第に焦りゆくハンジは冷や汗を流した。 顔だけ振り返り遠くの団員たちを盗み見てみれば彼らはただ唖然と眺めているだけで。もしかしたら内容までは聞こえいないのかもしれない。ならばただの訓練と言えば信じるかも。むしろそうであって欲しい。

しかしこのまま白熱していくふたりを見ていれば勘付かれるかもしれない為まずはふたりを止めるより団員たちを退ける方が先決か。 思い立ったら即行動、ハンジは団員たちに向き直ると走りふたりの訓練は危険だからと嘯きながら退避させた。


「貴方はどうしてそう……いい歳こいたオッサンが下ネタなんてドン引き。マジ引くわ」

「てめぇだっていい歳こいてよくあんな下品なドレス着れるな。目も当てられねぇ醜悪さだと気づいたらどうだ」


戻ってみればキリキリと鍔迫り合いをしながら未だ喧々囂々と興じるふたり。どういった会話だろうか。 止めることを諦めたハンジはこの際だからと会話に聞き耳を立て様子を伺う。


「まだ若いのだけれど似合う似合わないは別としてこれは任務……状況に適した身なりをして何がいけないの。それにあれは――」

「そうやって臨機応変とやらで男たぶらかせてやがんのか。この尻軽女が」


そしてふと気付く。もしかしてもしかしなくともこれはただの『痴話喧嘩』なのでは、と。は明日王都で開かれる会合で情報収集を任されたと聞いた。 もちろん服装は正装。女性らしさを前面に出したデザインだ。

何故服装までハンジが把握しているかと聞かれれば選んだのは己だからという他ない。は執務仕事に追われていて買いに行く時間が無いと言うことでハンジが己の買い物ついでに買ってきたまでだ。 まさかちょっと変にテンションが上がっての趣旨にそぐわない類のデザインを選んでしまった事がこの『痴話喧嘩』の原因ならばなんということでしょう。


「――もう許さない。あんたなんてだいっきらいだ」

「……図星だからってそう喚くな。いつものノリはどうした」

「言っていい事と悪いことの区別もつかない野郎に冗談ぶっ込めるほど私の口は軽くない」

「軽くないだと?違う意味では軽い癖に笑えねぇ冗談だ。無言で咥える事は出来るからな……普段無口なのはぶっ込まれ過ぎて疲れてるだけなんだろ?」


だとしたらヤバイ。何がヤバイってなんだか話が最低な方向に向かっているではないか。もはや手遅れかもしれないが止めなくては修復不可能にまで陥る事態になるやもしれない。 だが周りを気にせず刃の打ち合いをするふたりに割って入れる訳もなく。熱戦を繰り広げる気迫に飛び込んでいく勇気もなく。口を挟む度胸も無ければ状況を打開する案も思い浮かばなかった。


「妄想も大概にして……体で情報聞き出せるなんて古い。そんなんで情報集められたら苦労しないし危険に身を晒すマネもしない……!」

「どうだかな。単独任務中の事なんざ誰も見ちゃいねぇ、ヤりたい放題ってワケだ。いくらてめぇが否定しようとも証拠も何もなきゃ冗談以外の何ものでもねぇんだよ」

「そう。信じてくれないならもういい……私が間違っていた。こんなクソ野郎に心を開くなんて……信頼を寄せていたなんて恥ずかしい」

「あぁ俺もこんな汚ねぇ尻軽女と『仲良しごっこ』していたなんざ反吐が出そうだ」

「今までの事は忘れてください。私もそうします。そして今後一切――話しかけないでください」

「言われるまでもねぇよ。精々豚野郎の下でよがってろ、クソが」


どちらともつかない舌打ちが訓練場に響く中、ふたりは最終的に最悪な形で終止符を打った。なんということだ。 ため息を吐きながら刃を収めお互い背を向き歩き出す様は決別の二文字を連想させた。木枯らしが吹く。悲しくも切ない風がふたりの間を裂くように通り過ぎていった。 リヴァイは早々に兵舎内へと消え、は厩舎へと歩いていく。もちろんハンジが追うのはの方だ。


、私の所為だよね。ごめんよ……」


追いつき恐る恐るではあるが謝罪を口にするハンジは顔を俯かせ眉を曇らせる。その様子を一瞥しは嘆息すると歩みを止めず口を開いた。


「……違う。最初はただのノリだった。言い合う内に悪ノリが過ぎただけ。そもそもアレに兎や角言われる筋合いは無いのだからハンジが謝る必要はない」

「でもやっぱりあのドレスを選んだ私にも非があるじゃないか。私があんな……露出度の高いドレスなんて買ってくるから……だからリヴァイは怒ったんだと思う」


不意に立ち止まる。一歩出てしまったハンジは己より随分と背の低い彼女を振り返り見下ろすと目が合う事に些か戸惑った。 直視する瞳は何を考えているか到底知りえないものだ。だからといって戸惑いこそすれど恐怖も無ければ不快感も無い。 長い付き合いだが彼女のこういったたまに見せる無表情に嵌め込まれた瞳の内に秘められた思いを把握しきる事なぞ不可能なのではと思う。

そして問い詰めても彼女は教えてくれないのだろうとも。信頼されていない訳ではない。 ただこれがであり彼女の最奥の砦、誰にも知られたくない部分という人間の誰もが持つ真理なのだ。それを今目の当たりにしているだけで。 ハンジにだって知られたくない真理は存在する。だからこそ知りたいとは思わない。 普段のどうでもいい部分はもっと分かりやすく表現して欲しいとは思うも、最奥の砦手前なら察せられるまでになったので特段不便はしていないからだ。

しかし何故その瞳を今向けられているのかが分からないでいる。もしかして失言でもしてしまっただろうか。 そんな筈はないのだが。己の発言を思い返してみても皆目見当もつかなかった。


「……どうしたんだい?何か気に障ることでも――」

「いや、あのさ……買ってきて貰っといてなんだけど……あのドレス、着ないんだよねぇ」

「――へ?」

「執務仕事しててちょっとおざなりになってたのが申し訳ない。ちゃんと向き合って会話していれば……ごめん」


謝罪したら謝罪された。何を言っているか分からないと思うけど私も分からない。 そんな事を思いつつハンジは先ほどの長考が頭から霧散するのを感じた。最後の砦云々は見当違いでただ言いあぐねていたと。そしてとどめの一言。


「私が買ってきて欲しかったのは”男性の正装一式”だったんだよねぇ……」

「は、はぁあああああ!?」


ハンジの叫びは訓練場に留まらず本部内にも響いたと言う。




♂♀




一方その頃、エルヴィンの執務室では。


「彼から話は聞いているよ。随分派手な喧嘩をしていたらしいじゃないか」

「チッ……」


リヴァイはあの後、己の執務室に戻ろうとしていた所をミケに連行されこうしてエルヴィンと向き合うハメになっていた。 壁際にはエルヴィンの情報源でもあるモブリットが居心地悪そうに俯き、その横でミケが素知らぬ顔をして立っている。 状況から察するにハンジの指示通りエルヴィンの目を掻い潜る事は叶わなかったらしい。恐らくミケがチクったのだろう。道理で直ぐに戻ってこなかったわけだ。


「そうミケを睨むな……私が問い詰めただけだ。彼らに非はない」

「スンッ……エルヴィンの命令となれば黙っていられないからな。致し方ない事だと思って素直に反省する他ないぞ」

「す、すみません……」


正論すぎてぐうの音も出ないとはこの事か。リヴァイも己の非を理解している。大事にはならなかったとは言えルール違反を犯したのは事実だ。甘んじて処罰を受けようと覚悟する。


「そうだな……幸い他の団員には喧嘩だと気づかれていないようだ。公に処罰を与えれば混乱を招くだろう。だがお咎めなしとはいかない。従って明日の非番は取り消し、の任務に同行させる」

「……は」


思わず間の抜けた声が出てしまった。この男は何をほざいているのだろうか。リヴァイは唖然とするもののエルヴィンは威圧感はそのままに次いでのたまう。


「お前が受ける処罰は休日を返上をする事だ。本当はに刃を向けた事は重罪に値するもの。これだけで済ますのだから感謝してもらいたいくらいだ。今後またに手を上げる事があれば……分かっているな?」


以前、潜入任務中のを襲撃するという任務を与えた張本人が何を、とは口に出さず嘆息する。 この様子ではにお咎めの『お』の字も無いのだろう。まぁ喧嘩をふっかけたのは己であるからして文句のつけようがないのだが。そしてこの口調からして会話の内容までは耳に届いていない様で心底安堵した。


「明朝出発、会合は同日の夜だ。ホテルを予約してあるから1泊した後に用意してある馬車で帰還する手筈になっている」

「……俺の役割はなんだ。まさかその会合とやらに同伴しろなんざ言わねぇよな?」

「勿論そのつもりはない。君は有名人だからね。が調査兵だと知られれば意味が無い。……そうだな、移動中の護衛それに身の回りのお世話なんてどうだ?」


リヴァイへのお咎めも決まり、任務内容を聞けば突拍子もない事を言うエルヴィン。急に決まった事だとはいえ護衛は兎も角、身の回りの世話とは如何に。


「あいつがそれで良いと言うなら従おう」

「やけに素直だな、リヴァイ。身の回りの世話は却下されると思ったが」

「お前の魂胆なんぞお見通しなんだよ。取ってつけたような役割とは無理矢理にも程がある」


どうかとは思う。が、このお咎めに含まれる内容はただの休日返上だけではないのだろう。遠ましに『と仲直りしろ』とは粋なことをする。こんなんでいいのか調査兵団団長。 特に不都合もないにしたって呆れる他ない。ははは、と爽やかに笑うエルヴィンに辟易しながらもリヴァイは今一度嘆息するのだ。 これまでの様々な任務内容の中でも指折りの難事を言外に命令されては憂鬱になってゆく己にまた呆れる他ない、と。

退室する間際、どこからかどっかの誰かさんの叫び声が聞こえた気がした。





そして翌朝。本格的な寒さに朝日も眠る明け方間近な時間帯、とリヴァイは調査兵団本部の門前で肩を並べ馬車の到着を待っていた。 そろそろ他の団員も起き始める頃ではあるがそれよりも早く支度を整えこうして立っているのはもちろん任務の為で。

にしてみれば不本意にも程がある。昨夜遅くにエルヴィンからリヴァイも同行させるなんて告げられ奥歯が粉々になりそうになったのは記憶に新しい。 だが決定事項だ。覆すにも理由は見当たらないばかりかエルヴィンのあの笑顔を向けられては何も言えまい。

最後、退室間近に言われた事といえば『これが君への罰だ』と。ドアを閉める前に見た彼の顔には『仲直りをしなさい』と書いてあった。 お節介という名の粋な計らいには辟易するも複雑な心境に嘆息する他ない。これまで様々な任務をこなしてきたが指折りの難事に以下省略。


「遅ぇな……御者はクソでも長引いてやがんのか……」

「……」

「この季節に待たされたら凍えちまうだろうが……」

「……」

「チッ……寒ぃな」

「ハァ……」


リヴァイの独り言を聞き流し吐き出したため息は白かった。お願いだから寒い時に寒いって言わないで欲しい。そう思うである。 きっと彼も彼なりに言外に命令を受け仲直りとやらをしようとしているのだろうと心中察するも出てくるのはやはり真っ白なため息だけで。

それから気まずい沈黙を乗り越え数分と経たず馬車は到着し乗り込めばいつぞやの光景が。今回は立場が逆である。 小窓の外を眺める、そして向かいにはリヴァイが何か言いあぐねているのだろうか口を開いては閉じるのを繰り返していた。 そもそもこの喧嘩の真意を理解できているのだろうか。彼の態度を見る限り己に非があるという事は理解している様ではあるがいやはや。


「なぁよ……いい加減機嫌を直せ……長い道のり和気あいあいと行こうじゃねぇか」

「『今後一切話しかけないでください』と言った筈ですが」


この男が素直に謝罪を口にしないのは分かりきっていた事だ。だからと言って些か段階を踏まない発言で絆されるわけにはいかない。 はリヴァイを一瞥するだけで顔は依然として窓の外に向けている。いつぞやの再現かこれは。ちょっと楽しくなってきたである。 きっとあの時、彼も同じような心境だったに違いない。世話のかかる男だと。しかし現状が怒っているという点では齟齬が生じているのだが。


「……悪ノリが過ぎた事は謝る。だが何故そんなに怒っているのか……教えてくれ、俺は何に対して謝罪すればいいのかを」

「本当に分からないんです?言った本人は無責任で済まされるかもしれませんがそれにしたってあんまりじゃないですか。自分の発言を脳みそかっ開いてでも思い出してください」


お手上げだと言わんばかりに両手を挙げ肩を竦めるリヴァイに漸く顔を向けたは冷酷な瞳をもってして迎え撃つ。おいこら目を逸らすなこっちを見ろクソ野郎。 視線を漂わせながら彼は腕を組み俯くと真剣に考えながら記憶を辿りひとつひとつ失言を挙げ連ねていく。間違えればが冷たく切り捨てるというやり取りが交わされていった。


「下ネタの言いすぎか」

「違います」

「『卑猥な事しか考えてねぇからだろ』」

「違います」

「『目も当てられねぇ醜悪さ』」

「違います」

「『男をたぶらかせてやがんのか』」

「違います」


これほどまでに己の発言を一文字一句覚えている事に驚くも答えは一向に出てこない。実はわざとやっているのではと勘ぐってしまいそうになるも次に出てきた単語に漸くか、と嘆息が漏れるであった。


「……『尻軽女』」

「何か仰りたい事はございますか」

「すまなかった。全力で謝罪する。取り返しのつかない事を言ったのは理解した。就いては本気で猛省する。約束しよう、これは絶対だと」

「ハァ……」


未だかつてこんなにも真摯に謝罪する彼を見たことがあるだろうか。いや、無い。流石にそんな威厳もへったくれもない彼に免じて許してさしあげよう。 女として手酷い事を言われたがこれだけで許してしまうはお人好しと言われるだけある。3割くらいはにも非があると言えばあるのだが尻軽女とまで言われる筋合いはないと思う。

これ以上引っ張るのはよそう。怒ると言うより傷ついているというのが本音であるからにして、正直リヴァイの口から再び失礼発言を順を追って聞くのは結構へこむものだ。


「まぁ、私も黙っていたという後ろめたさがあります。素直に誤解を解いておけば……」


ここまで傷つかずに済んだというのに、とは口にしないものの眉間に皺を寄せ始めたリヴァイに真相を吐き出す事にした。 あの時、何やら勘違いしているリヴァイにドレスは着ないのだとどのタイミングで打ち明けようか考えあぐねるもいざ言おうとしたら『尻軽女』発言。そこから彼女の言う『悪ノリ』へと切り替わったという。

それを聞いたリヴァイは眉間をそのままに瞠目する。尻軽女発言まではいつものノリだったのかと。 相当行き過ぎた発言を重ねたと思っていたからこそ順を追って挙げ連ねていたのだ。まさか引き金になったのがその尻軽女発言だとは考え及ばぬ。

と言うかの怒る基準が分からない。下ネタや容姿については言われ慣れている節があるも、やはり女として超えちゃいけないラインはあるのも分かる。 つい口を突いて出てしまったという言い訳なんぞ言う気にもなれない。だが大概いつものノリで下ネタとして処理されると思っていた。そんな己の浅はかさに頭を抱えるリヴァイであった。そして懺悔は続く。


「という事はなにか……その尻軽女以降の発言もかなり最低だったと思うが――」

「あぁ本当に最低だと思います。私が一体『ナニを咥え過ぎて疲れている』んでしょうか。『汚ねぇ』『仲良しごっこ』『反吐が出る』と。挙げ句の果てには『豚野郎の下で』……なんでしたっけ?」

「悪かった。頼むから復唱してくれるな」


幸か不幸か仕事柄人の発言を覚えるのは癖づいている。悲しきかな、いつか夢に見るかもしれない。軽くトラウマになりそうだ。は内心苦笑しながらリヴァイの陰る顔を見遣るといじめ過ぎたかもしれないと潮時を見極めた。


「あっははーめっちゃへこんでますねーいい気味ですー」

「……お前の棒読みも内容によっては相当堪えるものなんだな……許されるならば前言撤回する。思ってもないことを言ったという事は信じて欲しい」


太腿に肘をつき組んだ手に額を乗せるリヴァイなんて滅多にお目にかかれないだろう。心なしか背後が暗い。それでも様になるのは何故だろうね。


「では、私が体を使って情報を仕入れているわけでは無い、という事は――」


そんなリヴァイを視界から外しつつ、海見は最後にひとつだけ確認したかった。どんなに悪ノリが過ぎたといっても信じてもらえないのはやはり堪えるもので。 否定しても疑惑が晴れないもどかしさは今後一切経験したくないとしみじみ思う。それゆえにの問いかけは頼りない声音になってしまった。しかし言い終わる前にリヴァイが被せ言う。


「――信じているに決まってるだろうが。お前はそんな事やらねぇなんざ分かりきってる。売り言葉に買い言葉だ。俺の妄想が暴走した、ただそれだけだ」


弾かれたように上がる顔。さっきまでの落ち込みようはどうした、とついツッコミたくなるほどそこに見えるはどこまでも真摯な瞳。それだけで十分だった。


「そう……まったく、しょうがない人ですねぇ。十二分に反省してるようだから許してしんぜよう」


だからもう気にしないで。そう言外に伝えるの表情は朗らかなものだった。リヴァイは咄嗟に手を伸ばすとそのままの頭を掻き抱き首元に顔を埋めれば安堵の息を吐く。やれやれ、やはりいじめ過ぎたのかもしれない。 は頬にかかる髪の毛をこそばゆいと感じつつサラサラなそれを堪能するようにリヴァイの後頭を撫ぜた。


「本当にしょうもない下ネタだったねぇ……あんなに生々し過ぎるのは勘弁だよ」

「お前が『だいっきらい』なんて言うからだろうが……」


なんだそんなことか、と事の重要性をいまいち理解できていないは目を丸くし手を止めた。なにはともあれ彼も傷ついていたのだと知り、胸の内に燻っていた蟠りは綺麗に霧散する。 だからだろうか。無意識に柔らかくなった声音では告げた。リヴァイの心臓を跳ねさせる想いを。


「ごめん……だいすきだよ、リヴァイ」

「――!お、まえ」


思わず顔を上げたリヴァイは聊か気恥ずかしそうに頬を掻くを凝視しするも、次いで発せられた言葉に肩を落とすのだ。


「仲良しを嫌いになんてなれない。あれは撤回する」


どうやらや早とちりだったのだと。そうだ、この鈍感女に愛だの恋だのという観念があるわけがない。飽くまでも友情だとのたまうにはそこまで断言させるほどの威力が確かにあった。


「……」


そして項垂れる様に体重を掛けられた理由なぞには知る由もない。






END.











ATOGAKI

喧嘩って興奮するよね、という趣向と共に。でも兵長を傷つける事はしたくないから傷つくのはいつも主人公の方。ご褒美です!!!(本音)ごめんなさい。罵倒される快感をぜひ。
いやでも読み返してみたら本当に相当酷い発言だなぁと思いました。思わず冒頭の注意書きを念入りにしました。猛省。

※ただの冗談の言い合いです。だけど尻軽女とだいきらいという禁句ワード?に触れてからお互い白熱しちゃっただけです。
そして体を使う云々は己が干物女なもので出来ないんだよコンチクショウというあれです。虚勢です。悲しきかな。

「不○子ちゃんのように色気があれば……!」