She never looks back





――早朝、調理場にて。


「おじさま、我が儘言ってよろしいか」

「いいぞ。(の頼みとあっては)断れまい。一昨日は着いて早々予定外の手伝い(をしてもらったから)だ」

「……じゃあ今朝の仕込みの事なんだけど――」

「――ふむ。任せよう。食材は(自由に)使え」

「おばさまが居ないと本当に意味不明。口下手というより言葉足らず」


――次いでホールにて。


「昨日はありがとねぇちゃん。凄く助かったわぁ。従業員のみんなも久しぶりにちゃんと組めて良かったって」

「最近はブランクもあって緊張したけど……迷惑にならずに済んだようでほっと胸を撫で下ろした。この後出かけて来ますね」

「そうそう、昨日の集まりでねぇ調査兵団の話題になったのよ。良くわからないけど調査兵団には冷酷人間って言われてる人が居るみたいねぇ。ちゃん知ってたかしら?」

「……あ、うん……そんな人居ましたねぇ……ははは……」

「部下にも冷たいし極悪非道な性格してるらしいわよぉ。ちゃん気をつけてねぇ」

「そうですね。何に気をつければいいのか分かりませんが気をつけます。はい」

「うふふ……女の仮面はいづれ剥がれ落ちるものよぉ」

「――ん?あ、ヤバイそろそろ待ち合わせの時間なので行ってきます!」

「いってらっしゃーい……あの子ったら茨の道を行くのねぇ。ちょっと心配だわぁ」











 ―話をしよう:2―











翌朝。慌ただしいハンジの足音で最悪な寝覚めを余儀なくされ、剣呑さを更に圧縮した様な顔でふたりをお見送りしたリヴァイは二度寝もできず椅子に腰掛けた。 動くことすらままならぬ磨り減った気力をそのままに、背もたれに腕を放り投げると深く嘆息する。正直息をするのも怠い。こんな姿をエルヴィンに見せれば珍しい事もあるものだと人の悪い笑みを頂戴しそうだ。

静寂が支配する室内、頭に思い浮かぶのは昨夜の光景。そして意味深な言葉。嫌でも脳内で反芻していく情景が鬱陶しい事この上ない。 舌打ちをすれば予想以上に響いた。それさえも癪に障る。景気づけにお風呂に入るも気だるさは拭えなかった。

もし昨晩のいとこが真剣に思いを打ち明けたら――はどうするのだろうか。どこを見るでもなく宙に漂わせていた視線をそのままにリヴァイは思案する。

にその気が無かったら。状況によっては実家に近寄らなくなるかもしれない。反対にその気があったら。考えたくもない、彼女は兵士を辞め家庭を築いていく。


「チッ……」


どちらも気に食わないとそう言外に訴えるリヴァイはぞんざいに立ち上がり帽子を取ると部屋を出た。考えても仕方がない。彼が思いを打ち明けると決まったわけではないのだから。それに――が兵士を辞めるなど欠片も想像出来なかった。


そして約束の時間。目立たぬよう目深にハンティング帽を被るリヴァイは鐘楼下のベンチに腰掛けては心ここにあらずといった様子で行きかう人々を眺めている。 どんなに気だるくとも習慣づいた行動は健在らしい、小奇麗な身なりは彼の神経質さを余すところなく醸し出している、のだが態度は正反対だ。 頭上では燦々と輝く太陽。晴れ晴れとした空だが空気はドブ臭い。対照的な気持ち悪さに昨晩の酒が逆流しそうだった。


「待たせたな、小僧」

「……5分も遅れておいてその言い草はねぇだろ、小娘が」

「許せリヴァイ。今日は私の奢りである」

「当然だ」


目の前で影を作るを見上げれば柔らかな表情を携えていて。リヴァイは先ほどとは打って変わってこんなドブ臭い所でも悪くないと人知れず口角を上げるのだ。 折角の逢瀬の時ぐらい不毛な事を考えるのはよそう、そんな意味合いを籠めて。の手をとり行き先を訪ねながら一歩前を歩く彼は満更でもない顔をしていたという。


「二日酔いはねぇのか?」

「量は飲んでないからね」


それから一時間が経った頃だろうか、これといって宛もなく適当に買い物をしながら歩いていたふたりは昼食を摂る事にした。 ランチも美味しいと主張するに従い昨夜も来たレストランにたどり着けば、そこは夜とは雰囲気が異なり明るい店内がガラス越しに見えた。時間帯がずれている為満席ではないにしろ、有名店とあり十分な賑わいをみせている。 ふたりは人目を避ける様に裏口に向かい、に呼び出された支配人にリヴァイが目礼した。


「おばさま、個室空いてますか」

「あらあら彼氏さんかしら?珍しいわねぇあのちゃんが……カロスが見たら泣くわよぉ。丁度席が空いた所だからゆっくりしていきなさいな」


朗らかな笑みを携えたご婦人――支配人とはの叔母だったらしい。叔母はなんだかとんでもない勘違いをしながらふたりを案内する。リヴァイの事は知っている筈なのだが気を利かせているのだろうか。 一応が調査兵団に所属しているばかりか兵士という事も従業員以外に公言していないのだ、裏口から入ったのもそういった理由があるゆえ。だからと言って彼氏とはこれ如何に。 悶々と思考を巡らすリヴァイを他所に道すがら彼女たちの会話は続いた。


「断じて違う。彼氏が出来たら多分私は泣きながら血を吐く。彼は私の上官にあたる人で――」

「それもそうねぇ。ごめんなさいねぇ彼氏さん、ちゃんの事よろしく頼みます」

「……」


ここの家族は人の話を聞かないのが規則か何かなのだろうか。接客業でそれはまずいのでは。そう危惧しながらもリヴァイは席に着いて帽子を脱ぎながらを盗み見た。 メニューを見ながら「すみませんねぇおばさま人の話を聞かないから」なんて呟きは聞かなかった事にしておく。本人を前にして下手な返答は出来まい、そう考慮したのだがとうの叔母は特に気にした様子もなく「うふふ」と朗らかとは程遠い笑顔を浮かべていた。 気を利かすどころではない。これは悪戯心がある。絶対にそうだ。リヴァイはそう確信する。


「そう言えば昨夜は大変お世話になったようで。何かしら粗相があったと予想する」


取り敢えずおすすめとやらを注文し叔母が扉の外へ姿を消すタイミングを見計らい向き直れば、思い出したくもない情景を彷彿とさせる話題を持ちかける。 無意識の内に眉間に皺が寄ってしまうのは言わずもがな。それを悪い方に受け取ったが視線を漂わせるのを視界に入れ訂正するも彼女の顔には納得いかないと書かれてしまう。 致し方ない、なんとか切り抜ける為にここはお得意の。


「……帰りの道中、人様の情事を目撃しちまっただけだ」


それは災難でしたね、なんて上っ面だけの世辞を聞き更に眉間の皺を深くするリヴァイは人の気も知らねぇで、と舌打ちを零した。そして彼女が昨晩のやり取りを覚えていない事に安堵してしまう己自身に再び鳴らすのだ。


「どうよこのハンバーグ。肉汁をふんだんに閉じ込めた甘やかな舌触り、口の中でとろける肉。この食感を出すためには先ず捏ねる過程が重要なの」

「……そうか」


一通り料理を平らげカトラリーを置けば息を付く間も与えずが語り始めた。喋りながらも紅茶を淹れると言う器用な芸当をこなしてみせる上に味は文句の付け所がないくらい美味しい。 手馴れている。普通ウェイターが行うものだろう、ここで育ってきたという事はしこたま仕込まれたに違いない。紅茶を持って来たウェイターが彼女に丸投げしていたのだから腕前は保証されているというわけで。


「何を隠そう私が今朝仕込みをしたのだから美味しくないはずが無い」


そういう事は食べる前に言ってくれと言いたくなる言葉を聞きながらリヴァイはふと疑問に思う。


「お前……これ程の腕前ならこの店でやっていけるだろ。何故それを蹴ってまで兵士に志願したんだ」


そう、数日前から思っていた事だ。には料理の才能があるのだろう。それに支配人代理まで任される程の実力も兼ね揃えているのだ。それなのに何故、と。


「あー……うん」


リヴァイの問いかけを聞いては言葉に詰まった。言い淀んでいるのだろうか、ついと逸らされた瞳は揺らいでいて動揺を隠せないでいる。

――リヴァイの前では素直に感情を出す事に躊躇いが無くなっているとは最近気づいた事だ。他では知らないが以前ハンジがの感情をどのくらい読み取れているか、と言う話題の中で「君は難易度イージーだね」なんてぼやいていた事がある。 それが意味するものとは、言わずもがなはリヴァイの前では感情を曝け出しているということ他ならない。とは言ってもその差異は途轍もなく分かりづらいものなのだが。


「言いたくねぇなら無理に聞こうとは思わん。志願する理由なんざ人それぞれだしな」


それゆえに動揺する理由が分からない事がもどかしい。隠されるのも癪だが反対に曝け出していると言うのに分からない歯がゆさもあるのだと知った今日この頃。 もしかしたら過去について聞けるかもしれない――なんて期待した己がどんなに浅はかだったか。質問の撤回を口にするも好奇心は拭えまい。

そんな事を考えていたら徐ろに向かい席から小さく息を吐く音がした。それは安堵から来るものではないとリヴァイは直感する。 その証拠に弾かれたように顔を上げたは覚悟を決めたと言わんばかりの瞳を携えていて。 お前は訓練兵団入団時の通過儀礼を受けている最中なのかとツッコミたくなる程の剣幕に期待するも頭の片隅で「見当違いな事を言いそうだな」と予感する。


「私の志願理由は――」

ちゃん!?かかかかか彼氏ができたって本当かい!?」


だが最後まで聞く間もなく突如として飛び込んできた人物により『通過儀礼』の幕は閉じた。邪魔しやがってと盛大な舌打ちをするリヴァイと、興醒めだと冷ややかな瞳になったは不躾にも程がある男に目を向ける。

彼は先ほど叔母が口にしたのいとこであるカロスだ。昨晩の帰りを待っていた男である。忌々しい。リヴァイの脳裏には再び昨晩の情景が過ぎる。 出来れば顔も見たくも無い男が何故来たのか。聞くところによれば彼の母(すなわちの叔母)に入店時の会話内容を聞き慌てて駆けつけたのだという。 あのご婦人はどっかの誰かさんを彷彿とさせる。のノリとは異なるノリの叔母にはさぞかし今まで手を焼いてきた事だろうと気の毒に思うリヴァイ。彼女は実家でも兵団内でも振り回されているというわけだ。


「……だから、彼氏が出来たら多分私は泣きながら血を吐く。彼は私の上官にあたる人で――」

「兵士長様!?何でちゃんとランチを一緒に……あぁそうか母が勘違いしたんだね。一介の兵士であるちゃんが兵士長様を落すなんて雲をつかむ様な話だよね。ごめんごめん、早とちりしちゃったみたいだ」

「なぁよ、俺はお前がちゃんと家族とコミュニケーションを取れているのか心配になってきたワケだが……」


これでも一応取れています、と言う割には目が泳いでいるのは気のせいではあるまい。取り敢えず落ち着こうというの発言により着席するカロス。 何故ここに留まる気なのか。そうにしたっての隣に座るのは道理だが何故必要以上に体を近づけるのか。何故――仲睦まじく(?)肩を並べ座るふたりを見せつけられなくてはならないのだろうか。

腹の底でグツグツと煮込まれた感情が飛び出す頃合を見計らってクラウチングスタイルをとっている。一体全体これからどうしろと。 煮えたぎる感情と不可解な状況の狭間でリヴァイは――自身を落ち着かせるために紅茶に手を伸ばした。


ちゃん……僕ね、ちゃんに彼氏が出来たって聞いて吃驚したんだよ。だって僕は君のことが好きだから……」

「そう――ん?ごめん聞こえなかったもう一回言って」


そして時が止まる。カップの淵に添えた指と共にリヴァイの体は硬直した。 恐れていたことが起きている。動かない体とは反対に脳は冷静に動き現状を正しく把握していた。だからと言って『思考回路』が正常に動いているとは限らないのだが。


「結婚、したいと思ってるんだ。どうかな……このお店は僕が継ぐ事に決まったしこれを期に今後の為にも所帯を持ちたいと思ってる」

「うんうん。え?なんか途轍もなく話が飛躍してる気がするんだけれども」

ちゃんが支配人になって、僕が料理長になる。素晴らしい未来だとは思わないかい?ふたりでこのお店を継いで盛り上げていこうよ!子供は男の子と女の子がいい……楽しいだろうなぁ」


固まるリヴァイに気付かず「あ、これ駄目な奴ですわ」と次第に妄想に耽ってゆくカロスに匙を投げたは堪らず助けを求めた。


「リヴァイ、通訳頼む」


どうやら彼女は現状を理解できていないらしい。ご指名され止まっていた時が動き出すと同時にリヴァイは人知れず息を吐いた。向かい側を見やればは目をパチクリさせ本当に分からないのだと切実に訴えている。

どうするべきか。懇切丁寧に教えてあげれば良いのかそれとも――このままはぐらかすか。

(なに考えてやがる……クソが)

やはり思考回路は正常ではないらしい。人としてどうなのか是非を問われるのも当然であろう後者の考えを思い返しては自責の念に駆られた。 ――彼らの色恋沙汰に邪魔だてするほど人徳を欠いていたと言うのか。カロスの思いを受けとめるかどうか、それは自身の問題であり己がとやかく言う権利はないと言うのに。 それにこの状況を理解させてもが受けとめると決まった訳ではないのだから焦ることもあるまい。リヴァイは漸く正常に動き始めた思考回路で結論を導き出す。


「……求婚されてんぞ、お前」

「きゅうこん?」

「あぁ、プロポーズだ」


この後に及んで無様に足掻けまい。起きてしまった事はもうどうしようもないのだ。まさか目の前で繰り広げられるとは思ってもみなかったがこれは逆にチャンスなのではと考える。 今朝も考えた事だ。はどうするのか。それを見定めるのも一興、彼女がどんな決断をしようとも己が口出しすべきではないのだから。――とは言うもののやはり解せないものは解せないもので。


「――刮目せよ、リヴァイ。我世の春が来たのだこの干物女代表にも春とは全人類の皆さんご安心ください希望が湧きましたね頑張ろう人類干物女でも春は来る」

「戻ってこい」


現実に戻ってきてテーブルに突っ伏す彼女を見るにどうやら救助活動は失敗に終わった様だ。無理もない、いきなり乱入されたかと思えば突拍子もなくサラリと愛の告白、果ては求婚までされたのだ。 こんな理解しがたい状況を瞬時に理解しろという方が酷な話である。

その上は鈍感だ。今まで苦汁を飲まされてきたリヴァイが言うのだから間違いない。まぁ彼は気づかれないのをいいことに好き勝手やっているようにも見受けられるが。 色恋沙汰に(多分)無頓着では無いにしろこと自分の事となれば別なには些かハードルの高い状況なのではないだろうか。無駄に冷静に推測しながらリヴァイは飲みそびれていた紅茶を漸く啜った。


「カロスさん、お気持ちは嬉しいのだけど私は公に心臓を捧げた兵士、このお店を継ぐことは出来ない」


短いとも長いとも取れる沈黙の後、気持ちの整理がついたのだろうは顔を上げると未だ妄想を語り続けるカロスに向き合いきっぱりと言い放つ。 彼女は才能を活かすでもなく兵士の道を取るという。今朝『兵士を辞めるなど欠片も想像出来ない』と思っていた事を裏付けるの意思表示にリヴァイはカップで隠れた口角を人知れず上げた。

今までのを鑑みれば『兵士を辞める』という選択肢は皆無に等しい。彼女がこれまでどれほどの物を背負い時には冷酷に、時には慈しみを持って兵士の道を歩んできたと思っているのか。 冷酷人間なぞと言われ演じてきたその覚悟と信念は確固たるもので疑いようもない意志がそこにはある。いくら嫉妬していたとは言え一瞬でも動揺してしまった事に恥じらいを感じせざるを得ないリヴァイだった。


「どうしてだい……?もしかして僕が頼りないからかな?そりゃちゃんの料理の腕前には劣る僕だけどそれでもこれから君をに追いつけるように頑張るからさ!」


だが、カロスは諦める気は毛頭無いらしい。あんなにきっぱりと断られたと言うのにも関わらず更に言葉を重ねる必死さは哀れを通り越して些か見苦しく。


「私の得意料理だけを比べるのはお門違いかと。トータルで言えば貴方の方が断然上だよ」

ちゃんの腕はあの父さんでさえも認める程だ……手放すのは惜しいって君がお手伝いを終えて帰った後に毎回言ってたし……母さんもお手伝いじゃなくてこのままずっと働いてくれればいいのにって……」

「貴方の腕前だって認められてる上に買いかぶりすぎ……たまに帰ってきた娘の姿に感覚が麻痺して異常に可愛く見えてしまうお父さんのそれだ」

「常連のお客さんだってちゃんはいつ帰って来るのかうるさいんだ。指名するお客さんもいる。もう君無しでは考えられないよ!」


これは漫才か何かなのだろうか。ボケに的確なツッコミ。のツッコミはここで培われたものなのか。なんだか昨日から納得しかしてない気がする。 ともあれカロスは叔母以上に人の話を聞かないらしい。蛙の子は蛙という言葉がこれほど似合う親子は居りますまい。


「もう……本当にやめて……」


そんなどこかズレた事を思いつつも次第に怪しくなっていく雲行きにリヴァイは眉をひそめた。――そろそろ潮時か。静観を貫く姿勢を解き口元からカップを離せばため息を吐き、相当困惑しているであろうに助け舟を出そうと口を開いた。


「まぁ……お前の気持ちは分かった。だがそれを手前勝手に押し付ければこいつを困らせるだけだろうが。断られちまったんだから男なら大人しく引き下がれ」


でないと取り返しのつかない事になるぞ――と牽制の意も込めそう忠告し諭す。

――は苦渋の色を浮かべていたがその言葉を聞いて瞠目した。顔を覆っていた手を下ろし見遣れば、横目で睨みつけるようにカロスを見据えるリヴァイ。 彼はどこまで察しているというのだろうか。その何もかも見通すような鋭利な瞳を前にして背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


「でも断る理由が分からないよ。この家に嫁いでくれれば皆喜ぶし安心する。父さんだって母さんだって心の底では望んでる筈だ……僕だってちゃんが好きで……だから僕らが一緒になれば大団円じゃないか!」


どこまでも自分勝手での気持ちを考えようともしないカロスの物言い。残念な事に忠告は受け入れて貰えなかったようだ。 いい加減にしろ、とさして穏やかでもない気性が指に力を入れる。加減を知らないそれは堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに手に持つカップを押し拉ぐ。 その瞬間、パリンと小気味よい音が室内に鳴り響いた。


「――お前はを追い出してぇのか?そいつにその気は毛頭ねぇってのに外堀まで埋められていると聞かされれば……ここに帰り辛くなるというのが何故分からねぇんだ」


次いで地を這うような声がふたりの心を揺さぶる。――あぁ、なんでこの人はこうも的確に突いてくるのだろうか。はそっと瞳を閉じた。 リヴァイの言わんとする事は手に取るように分かる。何故ならば彼の言う事こそ彼女の困惑していた理由そのもので。


「こいつの数少ねぇ心の拠り所ってやつを……取り上げてくれるな」


が実家に関する事を語るときの瞳はそれはもう大層なものだった。普段分かりづらい変化ではなく誰にでも容易に読み取れる程の感情を現わにしていて、珍しいなと思うと同時にそれだけ大切なものなのだろうと察する事ができた。 それを取り上げようとしている、と。素直に感情を出せるくらい楽しみを感じられる実家と言う場所を。彼女の数少ないよすがだとは気付かずに、カロスはその家族の関係でさえ崩そうとしているのだ。 そう告げるリヴァイは目を剥きそのまま硬直する彼を一瞥すると割れたカップから滴り落ちる紅茶を拭う。こりゃ高くつくなと内心でぼやきながら。


「リヴァイ。もう、良いよ。カロスさんは悪くない。悪いのは何もかも中途半端な私」


其の実リヴァイは敢て昨夜の件を伏せていた。勿論私情も少なからず挟んでいたが、それよりもにその気は無く断るのならば言わない方が最善と思ったのだ。 カロスの思いを知った彼女が今後どう行動するか、確信には至らないもきっと最悪な結論を導き出すに違いない。そう危惧しての判断。 現に今の様子を見て確信した。彼女は実家との関わりを切り捨てようとしているのだと。『状況によっては実家に近寄らなくなるかもしれない』という考えていたそれだ。

恐らくカロスが断られた時点で男らしく身を引いていればこんな結論に至らずに済んだだろう。しかし彼は家族まで引き合いに出し外堀を埋め始めた。それがにとってどれほど残酷なことなのか――考えるまでもない。


「僕、ちゃんが好きすぎて何も見えてなかったみたいだね。君の気持ちも考えないで……取り上げるだなんてそんな気は無いのに……」


硬直状態からゆるりと目を伏せ悟るカロスは酷く傷心しているようで。己の軽率な言動を酷く恥じているのだと見て取れた。


「カロスさん……貴方は家族であり大切なお義兄さんだと思ってる」


――はたとえ手伝いを頼まれた身だとしてもそれは中半端に首を突っ込んでいた事と同義であると顧みては、兵士になった時点で割り切る事が出来ていればこんな事態を招かずに済んだと臍を噛む。 楽しくて、それでいて家族の力になれる事が嬉しかったと。頼られているというのが彼女を盲目にしていたのだと。その結果がこれだ、忸怩たる思いにひとりごちる。


「それ以上でもそれ以下でも無い、だから貴方の想いを受け止めることは出来ない。ごめんなさい」


彼女はもう修復は不可能だと諦めているのだろうか。そこにあるのは兵士の――冷酷人間の決然たる瞳。その真摯な態度は今まさに自身のよすがを切り捨てようとしている。


「だから、私の事は忘れて――」


果たして彼女に救済は存在するのだろうか。


「――家族でも恋人でもねぇ俺がどうこう言える筋合いではないが……なぁよ。どうやらお前は料理の才能もある上に店の奴らから大層慕われているらしい。 兵団内だったらお前の立場上どう足掻いても手に入れられない代物だ。……一部は除くが。何をもってしてそれを切り捨てると判断したかなんぞ想像に難くはないが、だからと言って止める事はできまい」


己の手を拭いながらリヴァイが徐ろに口を挟む。さしあたりそのまま傍観を決め込もうと思ってはいたのだろう、だが紡がれていく言葉は何かを訴えていて。 傍観している場合じゃないと思わず口を挟んでしまったのだと容易に察しがついた。だからこそ、その先を言わないで欲しかった。は揺らぎそうになる決意を押さえつけながら彼の真意を拒まんとする。


「……なら、口出ししないで」

「まぁ聞け。それについて咎めはしない。否定する気もねぇよ。だがな、少しは冷静になって周りを見てみろ。俺には分かる……お前はちっとも冷静じゃねぇ上に見かけ騙しの冷酷さを纏ってるだけだと。 誰もが謂うレッテルはどうしたってくらいにな。それを踏まえた上で口出しさせてもらう。お前はそいつの言葉だけで全てを判断する気か?他の家族の意見も確認すらしねぇで…… 出した結論の支払う代償がそれに見合っているのか今一度良く考えろ――悔いを残すような選択はするな」

「――っ!」


の制止の声は容易く一蹴され、眉を寄せるも続く言葉に声を失う。そして揺らいでいた決意が崩れ落ちるのを皮切りに、じわりと胸に広がる安堵が凝り固まった体を解きほぐしていった。

「悔いが残るような」ではなく「悔いを残すような」と宣うリヴァイの言葉は如実にの核心を突いている。 本当は諦めたくない癖に。納得もしていない癖に。盲目に思い上がっていた己への其れ相応な対価なのだと言い聞かせるなんぞ早計に失するのではないか、と言外に諭している。自身を誤魔化さずそのらしからぬ判断を見つめ直せと。

リヴァイはいつもそうだ。普段は下ネタを言う変態な癖にいざ肝心要な時になればこうして的確に見極め手を差し伸べる。そしてはその都度、救われてきた。 それは抗いようもない確固たる事実であり、同時に信頼する由他ならない。


「理解したなら行くぞ。そのクソの詰まった頭を冷やせ」


そう言って席を立つリヴァイは振り返る事なく個室を後にする。それに追従するは一旦扉の前で立ち止まると項垂れるカロスを一瞥し、扉の外へと身を翻した。






To be continued.










ATOGAKI

書き始めた当初流れも考えずなあなあで3分の2を書き終えた所で冒頭から書き直す羽目になったと言うのはここだけの話。寝不足も相まって近年稀に見ぬ不可解な物になっていたのです。びっくりした。 文章を書き足したり消したり組み替えながら書いてたらなんだかパズルをやっている気分になりましたとさ。てか殆ど台詞長い。HTMLに変換した時おもた。笑うしかない。

叔父と叔母といとこしか出てきませんがその理由は次の話にて。過去が明らかに。