She never looks back







「今日は私の奢りと言ったはず。買い物の時も私は一銭も出してない」

「バカ言え、曲がりなりにも女のお前に出させれば男が廃るってもんだ」

「やだ私を女と識別してるの。乱暴する気でしょう、青少年のバイブルのように」

「しねぇよ。削ぐぞ」


――あらあら、仲良しさんねぇ。うふふ……いつもちゃんがお世話になってるのですからお代はいいわよぉ。


「彼女は良く働いてくれている。世話になっているのはこちらの方だ。これは壊してしまったカップ代として受け取ってくれ」

「まさか貴方の口から私を労わる言葉が聞けるなんて……感涙」

「どうやら本当に削がれてぇらしいな。お望みとあらば答えない訳にはいかん」

「ほらやっぱり乱暴する気なのね。おばさま、この男の財布はもっと搾り取れる」

「黙れ。さっさと行くぞ」


――お釣り……随分高いカップ代だこと。年甲斐もなくときめいちゃう。いい男捕まえたわねちゃん。安心したわよぉ。









 ―話をしよう:3―









西に傾き始める陽の光が照らす街路を歩き、手頃な公園のベンチに腰掛ければ来たる沈黙。 心地よいとも取れれば居心地悪いとも取れるその中で、は背もたれにもたれ掛かり石畳を眺めている。横顔は髪の毛に遮られリヴァイからは窺うことは出来なかった。

レストランを出るまでは気を張っていたのだろう、いつもの調子を見せていたが今はその面影さえも見当たらない。 何故だとか、どうしようかだとか、気遣う様子も無くリヴァイは背もたれに掛けた腕と組んだ足を僅かに揺らした。


「……さっき言いはぐったけど志願理由は物凄く曖昧なものだったんだよねぇ」


が意を決し切り出せばリヴァイは揺らしていた手足を止め彼女に視線を向ける。


「でも、調査兵団に入ってからちょっとだけ変えた。割とまともな理由になったと思う」

「……何が言いたいんだ、お前は」

「話をしよう、私の思い出話を」

「奇遇だな。丁度聞き出そうと思っていたところだ。話したきゃ話せ……聞いてやる」

「じゃあ箇条書きで――」

「そこは普通で良いだろうが」


僅かに向けられた顔にはいつも通りの瞳が覗く。リヴァイを捉えてはついと逸らし照れるように伏せられた。







 ♂♀






私はシーナ領内に位置する工業都市の居住区で生まれた。両親が研究者だったからだ。 いつも無口で無表情な父。抑揚のない声音で軽口をたたく母。子供ながらにその異様さは混沌としていると思った。 悲しきかな、素晴らしいほどにそんなふたりの特徴を確と受け継いだ私が人のことを言える立場にないのは重々承知している。


『ふたりともお帰り』

『ただいま。ちゃんとお留守番できて偉いわね』

『……ただいま』

『お父さん、肩車して欲しい』

『こんなガリひょろよりお母さんがやってあげるわ。肩車なんて久しぶりね、腕が鳴るというものよ』

『……俺がやる』


研究者と言う立場は多忙を極め家に帰ることすらままならないも、両親は合間を縫って帰ってきたかと思えば嬉々として研究を私に言い聞かせた。 無表情ながらも普段無口な父は饒舌になり、母はいつもの変なノリでツッコミを入れるという摩訶不思議な親子のコミュニケーションの時間。

そんな両親を見るのは好きだったし、幼かった私は内容まで理解出来なかったが面白いと感じていたと思う。ついでに研究のなんたるかを刷り込まれた。 積極的にハンジの話を率先して聞く理由は両親に基づいているのかもしれない。


「そんな意味不明な両親だったけれど私が5歳の時に研究施設で起こった爆発事故に巻き込まれて死んだ、らしい」

「……なるほどな。”保護者”であり”一応”の実家に叔父夫婦とその息子しか居なかった理由はそれか」

「ご明察」


お察しの通り天涯孤独になるわけでもなく父方の叔父夫婦に引き取られ、その時にレストランという事もあり料理と接客の技術を叩き込まれた。 寡黙で口下手というか言葉足らずな叔父は怖いし、優しくも人の話を聞かない叔母に翻弄されっぱなしで。私の親族はおかしい性格の持ち主しか居ないと実感したのはこの時である。


「……5歳児に包丁持たせるとかウェイターやらせるとかどうかしてる」

「もうベテランの域だな」

「でも志願するまでに3年間のブランクがあるからねぇ」

「ブランク?」

「うい。一度商会に売られてるから。その3年間は包丁を握るどころか人をもてなすなんて嫌悪感しかなかった」

「急展開かよ」


あの夫婦が姪っ子を売るような人間だとは到底思えないという意見は最もだと思う。 私も売られた事は信じられなかったけど同時に恨んだのは否定しない。今では信じていなかった事が恥ずかしいとさえ思っているけれども。

――では一体誰が犯人だったのか。答えは共にレストランを経営していた叔父の弟夫婦だった。彼らはレストランの相続争いに飛び抜けて躍起になっていて、何かと叔父夫婦に対抗心を燃やしていたと記憶している。

ちなみに私の父が長男で研究街道まっしぐらだったこともあり早々に戦線離脱していた。まったくもって興味がなかったのだろう、たまの休みに素知らぬ顔をして食事をしに出向いていた程だ。祖父の顔が引きつっているのを見たことがある。

そんなこんなで長男坊の子供であると同時に幼いながらも頭角を現していく私に嫉妬したらしい、自分たちの子供が不出来だった事も相まって私は彼らに卑劣な扱いを受けた。 所謂虐められていたというやつで。食事抜きとかザラだったし暴力なんて日常茶飯事だった。 祖父や叔父夫婦に気づかれなかったのは有名な高級レストラン故に多忙だったからだ。それに優秀な私の教育も早々に終わり自立を促され目を離すことが多かったというのも要因の一つだろう。


「自分で優秀とかほざくな」

「いいの。語ってる時ぐらい図に乗らして」

「そうか」

「それに説明が分かりやすくなるでしょ」

「……そうか」


時を同じくして叔父夫婦の息子――カロスさんも勿論標的になっていた。相続争いの最重要候補なのだから当然だ。 彼は私と対して変わらない才能を持っていたが気は弱く、いつも影で泣いていたし暴力に抵抗もしなかったから私が間に入って庇ったり慰めた事もあった。 そんな事もあって私たちは結構仲良しだ。将来結婚しよう、なんて言われてて――私は良くある子供のノリだと思っていたのだけども。


(当時から鈍感だったのかこいつは。あの男が哀れに思えてならん)


そんなささやかな安寧に浸っていた私だけどある日突然知らない部屋で目が覚めた。どうやら夜食に睡眠薬を盛られ爆睡中に売られたようだ。 売買先はローゼ領内北の商会で会長は叔父がお前を売ったのだと教えてくれた。今にして思えば『叔父の弟』も『叔父』であるからにして会長は嘘は吐いていないわけで。 叔父と言えばあの叔父で、叔父弟の事はイカレポンチとしか心の中で呼んでいなかった私が勝手に勘違いしただけだ。むしろ叔父も怖い存在に変わりなかったので共犯したのだろうと考えていた。


「お陰で一時期警戒してまともに食事をとることができなかった」

「無言で食うのも関係してんのか」

「それはそう躾けられただけ。流石に人と食べる時や華やかな場ではそれなりに合わせるけども」

「俺と共にする時はいつも無言じゃねぇか」

「時と場合にもよる」

「ただ単にめんどくさがってるだけだろお前」

「さぁ……なんの事だか」

「オイこら目を逸らすな」


それからと言うものの商会の仕事に辟易していた事もあり叔父夫婦を恨んでしまっていた私は一切包丁を握ることはしなかった。料理をする事に憎しみさえあった。 接客技術も同様に嫌悪するようになりウェイターの心得『心からの御もてなし』精神も反吐が出ると言わんばかりに頭の奥底に封印した。

その代わりに売られてからの3年間で学んだのは人を欺く技術。ポーカーフェイスは父親譲りの無表情さあってのものだが、演技力は自然と培われていった。 商会と言えば取引など行われるし『仕事もろくにできない使えない人間』である事をアピールするには必須な技術だったと言えよう。


『会長またやっちまいました!さーせんっした!』

『こんな使えない奴を買っちまうとは……お前はクビだ!!』


思惑は見事に功を奏し商会から追い出された私はトロスト区へ移住した。ローゼ南端の城壁都市とは言うものの商会があった北とは真方位だし、格差なんて気にしている場合ではない。 マリア領内でもよかったがローゼの方が商業も盛んという事もあり職に困らないであろうと踏んで選択した次第である。 そこでは様々な経験をした。手始めに経験がある商会、運び屋、御者、賭博場、エトセトラおおっぴらに言えない仕事ばかり。


「警戒心の塊の誕生か」

「イカレポンチ共のお陰でレストランに引き取られた時からだけども」

「ベテランだな」

「ベテランだよ」

「……なぁ、よ。お前のその大層なナイフはどこから出てきたんだ?」

「両親の形見」

「なるほど。工業都市ならではのそれか」


戸籍事情は分からないばかりか身寄りも無くなったし女の上に持ち物は形見ひとつ。職を転々としながら憲兵から身を隠し、演技力を駆使してでも我武者羅に働くしか道はなかったと言っても過言ではない。


「まさか身売りを――」

「してない。干物女ナメるな。まぁ幸いにも私は中性的な顔立ちをしているらしいからねぇ。男と偽って過ごした。その経験を活かして単独での任務は専ら男装中心」

「なるほど、確かにそうだ。両サイドだけを刈り上げている所以でもある……だが人並みに『経験』はしてるんだろ?」

「出たよ下ネタ。これだから変態オヤジは……禁則事項です」

「チッ……まぁぶち込んでみりゃ分かる事だ」

「……今この場で切り取ってあげてもいいけど」

「冗談だ」

「ならいい」


ジャン坊親子と出会ったのはトロスト区に移住した直後だ。ジャン坊母には大変お世話になった。今では私が調査兵団に入団した事がバレないよう疎遠になってしまっているけれども。


「あの子は元気にしてるかなぁ」

「誰だそれは」

「この前偶然会ったんだけど……機会があれば紹介する。彼は憲兵団に入って安全で快適な内地で暮すんだと息巻いていた」

「……そりゃ殊勝な大義名分だな」


まぁその話は省くとして3年の歳月(正しくは2年半かもしれない)を経て私は兵士に志願する事に決めた。何故と問われれば答えは物凄く曖昧でまったく面白味もないものである。 ただ城壁都市に住んでみて『壁の外』に興味が沸いたのだ。単純な好奇心という奴で3つの壁内中を行き来する職種が多かったのはきっとその現れだったのかもしれない。 城壁都市と言ってもトロスト区はローゼ南端であってその先にはマリアという壁が存在するけれど、荷運び仕事でその壁に登ったことも好奇心を擽った要因だろう。


「壁に登ったことがあるだと?なら少なくとも巨人を目にする機会はあった筈だ……その上でそんな曖昧な理由で外に出たいと思えたのか?」

「まぁそう焦るでない。急いては事を仕損じるぞよ」

「勿体ぶってねぇでさっさと吐け」

「ノリの悪い男ですねぇ」


入団数ヶ月前、志願すると決めてから私は久しぶりに叔父夫婦の存在を思い出した。当時就いていた仕事でレストラン付近を通る機会が訪れたからだ。 私を売った張本人(この時はまだ叔父が売ったと思い込んでいた)は今頃のうのうと安寧に浸っているのかと考えれば私にも思うところはある。 ちょっとだけ顔を拝んでやろうという気まぐれでもあった。それがまさか心変わりするきっかけになるとは夢にも思うまい。


、ちゃん…?もしかして帰って来てくれたのぉ!?』

『帰って来た?何を――』

『やだもぉちゃんったら心配したのよぉ……いきなり家出するなんて……お父さんも泣きそうな顔しててねぇ……』

『家、出……?』


街頭だと言うのに人目も憚らず泣すがる叔母の言葉を聞いて頭の中で全てが繋がる瞬間を経験した。そうか、叔父と言ってもイカレポンチな叔父弟の方だったんだ、と。 散々虐げられて来たんだから考えずとも分かる事だろうに、売られたという衝撃に思考回路がねじ曲がってしまっていたのだろうと言っておく。

そうと分かればその後の展開は早かった。私を売った事に激怒した祖父と叔父夫婦はイカレポンチ共を追放、その息子は修行と称して知り合いのレストランに預けられた。子供に罪はないからね。 ちなみに追放とは『王都から追放』という事でもありイカレポンチ共を以降シーナ領域内で見かけたことはない。 実は結構歴史のあるレストランだったりもするので人気有名店ともあり色々とコネとやらはあったわけで。後は察して貰えると助かる。


「……とんでもねぇレストランだ。懐は探られるしおっかねぇな」

「これは余談だけど単独任務では今までの仕事場のコネもたまに使っている」

「エルヴィンがお前を重宝するのも道理か……」

「あの人の腹は底が知れないからねぇ……単独部隊を与えて貰えるまではいつ見限られるか冷や冷やしていた」

「そうは見えなかったがな。戦闘で真価を発揮出来ないお前を生かす事に執着していたと言っても過言じゃねぇ」

「単独任務要員だからかも。なら遠征に連れて行かなきゃ良かったのに」

「たとえ真価を発揮できなくともお前の生き残るという意志はしぶとい。反射神経からくる戦闘能力も相まって賭けたんだろう……あいつは博打が好きだからな」

「慢性的な人材不足もあったからと……他の団員に示しがつかないってのもあったんだろうね。本当に狡い人……一体どこまで見据えているんだか。これじゃあ文句を言える道理がない」

「今更だな。アイツの事はお前の方が詳しいだろう」

「……いや、やっぱりエルヴィン団長は腹の底が知れない人だよ。何度してやられた事か」

「(可愛い子には旅をさせろ……とか言い出しそうだなあいつは)」


話は戻るが私は人生というものに疲れていたのかもしれない。10代半ばの小娘が何をほざいてやがんだと言われるかも知れないが幼い頃に大好きな両親を亡くし、引き取られた先では感傷に浸る暇もない忙しい日々。 イカレポンチ共からの虐げ、暴力にも怯えそれでも叔父たちに気づかれない悲しさ。突然売られるという衝撃的な現実。人には言えないような仕事で自分を偽り精神を削る日々での疲弊感。そして我武者羅に働く中でふと感じるのは――虚無感。 何をして何の為に生きるのか。やりたい事が見つからないのならそれを探しに行くのもいいかもしれない。でもそんな気力は皆無に等しい、しかしそんな中で見つけた『生きる意味』とは。


『おやっさん、わしゃ疲れたよ』

『小僧が何言ってんだぁ?サボってねぇで働け!』


城壁都市に住み始めてみて初めて思ったことはその壁の先、そのまた先の壁の向こう側を見てみたいという曖昧な好奇心。工業都市やレストランと閉鎖的な空間に居ては湧き出てこなかっただろうそれ。 とりあえず試しにと運送を生業とする仕事を主に選んだ。だけどやっぱりそれは『壁の中』であって本物の『外』ではない。 そんな事を頭の隅でぼんやりと思っていた時だ。駐屯兵に酒を運んだ時に登らせて貰った壁上で、私は自由を垣間見た。見渡す限り壁なぞ無く無限に広がる地平線。――これだ、と思った。


『特別に登らせてやったんだから落ちんなよ、小僧』

『……』


同時に目下に蔓延る巨人に恐怖を抱いたのも事実だ。巨人自体は流石に常識なので知ってはいたが実物を見るのは初めてだった。何だあの気持ち悪い生物?は。駐屯兵に聞いたら壁を登れない馬鹿だと教えてくれた。 馬鹿と言っても人類を絶滅の危機に追い詰めたくらいだ、強いに違いない。それなのに何故調査兵団は果敢にも外に出るのだろうか。様々な考えが脳裏を過ぎる。 人々は外に出るなんて気がふれているとしか思えない、なんて言っていた。それは駐屯兵も同様であいつらは巨人と同じくらい馬鹿だと私に言い聞かせる。だけど私は、考えてみて何となく外に出る気持ちが分かる気がした。


『態々食われに行ってんだ。バカとしか言いようがねぇだろう?』

『……そうですかね』


だって初めて垣間見た『外』は極上な料理と似ている。それを食べいたと思うのは当然だ。それを追い求めるのも道理だ。どんな味がするのだろうか、どのくらい美味しいのだろうかと涎を垂らす好奇心。 そして料理人の腕が疼く。食べる側ではなく作る側として。初めて教わるレシピを見て作りたいと思う創作願望。次は何を教えてもらえるのか、何を作れるようになるのか。また次へ次へと追い求める底なしの追求心。 何だかんだいいつつレストランの仕事は好きだった。みるみる成長して行ったのはその現れだ。思い出すも私はもう捨てた。否、捨てられたのだ。必要ないと見限られたのだ。迫り上がる嫌悪感に臍を噛み壁上を後にする。


「だけど壁の外への好奇心を抑えきれず兵士に志願する事を決めた。勿論調査兵団志望という志有りきで」

「……よくそんな中で死にてぇと思わなかったな。虐待されていた挙句売られた事といい普通なら絶望するところだろ」

「自分でも吃驚だよ。恐らく疲れて死ぬ事を考える余裕も無かったのかもね。引き取られた以降は我武者羅だったし、まぁ……それに色々見ていく内に私の境遇は恵まれている方だと分かったから」

「……そうか」

「それに壁に登ってからは私の好奇心は死にたいと思う心を殺したらしい。城壁都市に住み始めたのが運の尽き。思春期だったし」

「随分早い時点で転換期を迎えたわけか。今じゃ生き残るというしぶとい意志はそれだけでは無いようだがな」

「死んだら何もできないと調査兵になってから学んだからね。ある意味家族同然に接してきた親しい同期のお陰かな。守れなかった自分への戒めのようなもの」

「……お前も大概だな」

「お褒めに預かり光栄です」


生きる意味を見いだせるのは壁の外しか無いのではと思った。確信にも似た思考に忘れていた意志というものが湧き上がる。疲労感と虚無感に苛まれていた私は壁外の光景に心が突き動かされたと言っても過言ではない。

――しかし、この好奇心は一度身を潜めざるを得ない状況になる。原因は言わずもがな叔父たちとの和解だ。捨てられたと思っていたのに真実は全くの別物で、誤解だと気づいた時はそれはもう頭の中は真っ白になった。 でも暖かく家族に迎えられ止まっていた思考は再び動き出す。叔父たちは何年も行方知れずで売られていたと言う事実を知らずに、剰え家出したと聞いていたにも関わらずそれでも信じて待っていてくれたのだと。

3年間恨んでいなかったと言えば嘘だ。だからこそ、それを詫びたいと思った。こんなにも素晴らしい人たちに対して何程恩知らずだったか痛感したのだ。 その後はただ只管包丁を握った。頭の奥底に封印していた接客技術も心得も引っ張り出して貢献に尽くした。彼らと接せれば接する程、家族が居ると言う有り難みが身に染みる。だけど――それと共に湧き出るものは抑えられなくて。


「私の血には『好奇心』と同じく受け継がれたものがあったらしい。それは今までに形成された人格や性格とは別の生まれながらにして持つ『本能』」

「何か力に目覚めたような瞬間があったのか……?」

「……貴方とは違ってそんな大層なものでは無い。私は正真正銘その他大勢のありふれた一般人。ちょっと思わせ振りな言い回しをしたのは謝罪する。てへぺろ」

「その舌を出しながら自分の頭を小突く仕草を今すぐやめろ。俺のジャックナイフが暴れださん内にな」

「いくら私が可愛いからってこんな公衆の面前で発情しないで」

「冗談だ」

「……そう」

「(何故そこで落ち込む)」


レストランは祖父が始めたものだ。以前祖父は言っていた。「料理を追求するのが俺の本能だ」と。私の父親はその本能である追求心を最も受け継いでいると思う。 研究職に就いたのがそれを裏付けていると言っても過言ではない。ただ祖父と進む道が違えたというだけでその根本には同じものが存在する。

父親の底なしの追求心、そして母親の変なノリの裏側に潜む好奇心。私は素晴らしい程の奇っ怪なサラブレッドだった。 振り返る事を許さず目まぐるしく過ぎ行く時間の中で忘れ去られていた記憶――どうやら私の本能はそんな研究者の両親から根強く受け継いでしまったらしい。 おまけに生まれてから物心がつく前後に研究への洗脳もどきをされていた事も相まって自分は料理の道に進むべき人間ではないと気づいたのだ。

――そして思い至る。両親は何の為に研究していたのかを。研究成果が云々、これが成功すれば云々。いつだってそうだ。研究の話の先には必ず『壁の外』が存在していた。

追求心は料理を教わって行く内に無意識下で頑丈に鍛え上げられ、壁の外を見てみたいと言う好奇心は忘れ去られていた記憶から漏れ出た一部という訳で。 ふとした拍子に思い出したそれは私の本能を呼び起こすには十分すぎるほど大きなものだった。誰かさんの言い方で言えば「クッッソでっかいぜ!」だ。


『やはりお前は兄貴(の娘)なんだな。アイツは壁の外(への道)に進んだ。分かっていたさ……お前の(料理に対する)追求心は(研究に没頭する兄貴に)良く似ていた』

『……?』

ちゃんは貴方のお父さんに良く似ているからいつかはこうなるって分かってたのよぉ……寂しいけれど私たちは貴方の意志を尊重するわぁ』

『……今まで、本当にお世話になりました。育ててくれて……引き取ってくれてありがとう』

『うふふ。たまには顔見せにいらっしゃい。それと、料理と接客の事は忘れない事。お手伝いを頼むからねぇ』


しかしただ本能のままに料理への道を蹴り、再び志願する事を決めたわけではない。この3年間で私は人に言えないような事ばかりしていたから後ろめたさがあった。 もし過去を暴かれてしまえば経営にも支障をきたすかもしれない。迷惑になるかもしれない、と。


「だからみんなには3年間の事を言えないで居る。エルヴィン団長だけしか知らないよ。あとリヴァイ」

「その取ってつけたような言い方はやめろ。なんだか虚しくなってくる」


紛うことなくそれは『逃げ』だった。恩が云々言っていた筈なのに、罪滅ぼしもろくにしないでなんて不孝者か。でも叔父夫婦は良いと言ってくれて。


「あのふたりはそんな私に気づいていたのかもしれない。女ひとりで3年間もどうやって生きてこれたのか聞かないでいてくれたのだから……気を遣わせてしまったんだろうねぇ」

「彼らにも思うところがあったんだろう。だからお前の意志を尊重したと捉えればいい」

「そういうものなの」

「そういうもんだ」


優しさに満ち満ちた人たちを守りたいと思った。いつか壁が破られるかもしれないという脅威から――調査兵団に入団し巨人と直に対峙した私は次第に考えを改めて行くのである。 まぁ、色々あった。同期を亡くしたりと。それがトラウマになっているのかもしれない。それはまた別の話。

そんなこんなで長いようで短い人生を歩んだ私は、今こうして調査兵団に身を起き単独部隊隊長という身分不相応なのでは、と思わざるを得ない立場になった訳だ。 だけど行動や意識の主体である自我意識は唯一無二のもの。これからもこの道を進むのだろう。両親が追い求めた先にあるものを見たいがために。己の欲求を満たすために。そして今まで出会ってきた守るべき人たちを守るために。 それが私の『地面を這ってでも生き延びなければならない』という確固たる意志を掲げる理由に他ならない。


「聞いていて疑問に思ったことがある……持ち前の演技力を駆使すれば冷酷人間と謂われずに済んだ筈だ」

「過酷な訓練もあるのにその上演技だなんてやってられない。でも素の自分は人見知りで無口な無表情。持ち前のノリで漸く親しい友人が出来たと思ったら全員殉死。……心身共に疲れていたと言っても過言ではない」

「……不器用なやつめ」

「ちょ……頭撫ぜてくれるのはいいけど私は感傷に浸った覚えはない。たとえそうであったとしても慰めは勘弁」

「まぁなんだ……癖だから気にするな」

「解せぬ……」


親しかった同期や他の仲間たちを次々に亡くし、戦いでは無力さを痛感していた時期もあった。 そんな私を見放さず影で人知れず救ってくれていたのが当時分隊長だったエルヴィン団長なのだがそれもまた別の話。

ちなみに両親と同じく研究者にならなかったのは頭が足りなかったからで、父親も祖父と道を違えたように私も父親と道を違えたらしい。 そんなところまで似なくてもいいのに、と自分でも呆れたものだ。だけど種類は違えど『壁の外』への思いは同じだと思っている。 こじつけだなんだと言われようが志願した切っ掛けはそれだったのだ。見逃して欲しい。






 ♂♀






話を終えたは背もたれに身を預け控えめに伸びをした。ここまでの経緯を話したのは久しぶりだ。少し緊張していたのかもしれない。 そんな彼女の様子を横目で一瞥したリヴァイは背もたれに掛けていた腕を立てると頬杖をつき息を吐く。前々から聞きたかった答えに、叩いて出たものは埃どころではなかったと笑う他ない。

普段抜け作な彼女のたまに垣間見せる一面には末恐ろしいと感じたことがあるが、それが過去の経験からなるものなのだと思い返せば納得いくのも確かで。 それとは別に違うものが見え隠れしている様な錯覚を覚えては考えを振り払う。恐らくまだ教えては貰えないのだろうと察しているからこそ。


「訓練兵になっても休日は実家のお手伝いをたまーにやったりとかしてたんだけど、ここ数年は大層な役職を頂いたし忙しかった……腕が鈍った事への言い訳を添えておく」

「お前は一点集中型だ。その集中力に比例して追求し得たものは確かな力として身に付けられているんだろう。叩き込まれたそれは忘れるなんざ出来ねぇだろうよ」

「褒めたって何も出てこないよ」

「事実だ」

「……本当に今日はどうしたの。熱でもあるの」

「嘘は言わねぇだけだ」

「冗談は言うけどね」

「お前ほどじゃねぇよ」


本当に今日のリヴァイはおかしい。ちょっと浮かれていると言うか。褒めちぎる……とまでは言わないが優しい気がする。は訝しげにリヴァイを見ては首をかしげるのだった。


「怪しい……さては貴様、何か企んでいるのではあるまい」

「バカ言え、たまには気分がいい時もある」

「……そう。そう言う事にしておく」

「そうしろ。変に勘ぐるだけ野暮ってもんだ」


前々から疑問に思っていた事が矢継ぎ早に判明したのだ。少しばかりご機嫌になったってばちは当たるまい。それ程までにが心を開いていると言う証拠の他ならないのだから。






To be continued.














ATOGAKI

過去を小出しにするのは頭が追いつかなくなる危険性があったので一気に書いてみました。決して面倒だからではryお陰で長くなってしまった。猛省。お付き合いいただき誠にありがとうございました。次で終わりです。
形見ナイフは『寝起きドッキリ』と『聖域は危険地帯につき』に出てきたあれです。

今までの答え合わせという名の辻褄合わせ回でした。何度も見返しては修正し続けたんですが、はて。大丈夫かこれ。矛盾とかあったらすみません。 実は主人公の年齢もばっちり決まっているのですが公開するか躊躇っているです。