She never looks back








ここは何処だ。薄暗い辺りを霞む視界に入れリヴァイは目を凝らす。焦点がいまいち合わない。 寝ぼけているというよりも薬の作用であるその感覚に辟易しながらも手首に感じる違和感に盛大な舌打ちをひとつ。


「起きたかしら?」


不意に背後から声が掛かり、振り向こうとするも思い通りにいかない。頭の中に鉛でも入れられたかのように重く動かす事がままならないのだ。 今一度舌打ち。そんなリヴァイの様子に声の主は心底愉快そうに笑う。


「もう少し大人しくしててちょうだい……まだその時では無いのだから」


クスクスと抑える気のない笑声は薄暗い室内に響きわたった。









 ―慈悲はない―









遡ること数刻前。リヴァイと共に潜入捜査に来ていたはとある貴族の男の前に膝まづいていた。 無駄に豪華な装飾品が至る所に設えられている一室。目の前の男は苛立ち気味に口を開く。


「いつになれば人類最強と会えるのだ?」

「……今しばらくお待ちください、旦那様。そろそろ食事に盛った薬も効き始めましょう」

「楽しみでならんな……娘も大層喜ぶというもの。父親としての威厳も返り咲く、そうは思わんかね」

「仰っしゃる通りでございます旦那様」


卑しい笑みを浮かべた男は跪くに手を伸ばしサラリと頬に指を這わせると顎を持ち上げ問う。


「そなたも潤しいが……人類最強は更に極上なのだろう?」


は切なげに眉を顰めた。口元を震わせ男の手から逃れるように顔を背け。


「……はい。僕なんて足元にも及ばないくらい――美しゅうございます、旦那様」


まるで嫉妬に心を乱される少年。胸元を握り悔しそうに唇を噛む姿を見て男はより一層喜色に顔を歪めるのだ。変態趣向のこの貴族は。




そんなこんなで屋敷裏手の岩窟にやってきたは木々に隠された入口に足を踏み入れ人工的に作られた階段を降りる。ランプだけでは心許無い薄暗さの中を進み暫くすれば鉄扉。 音を立てないように開けるも錆びたそれは無情にも鳴ってしまう。しかしそれでも構わない。どうせ気配を消しても中にいる男には意味をなさないのだから。


「……薬を盛るなんざ大層な事してくれるじゃねぇか。なぁ、クソ野郎」


首を擡げたまま宣うリヴァイは未だに薬が抜け切れていないご様子。それでもひしひしと伝わってくる威圧感は普段通り健在なのだから感服する他ない。 いくら打ち合わせ通りだとしても少しは抑えて貰いたいものだ。恐らく体の不調からくる倦怠感が演技に拍車をかけているのだろう、こうなるならば他にやり様はあったのでは。甚だ疑問である。


「兵長、旦那様が貴方にお会いしたいとの事です。本当は僕が愛される筈なのに……」

「…………」

「貴方さえ居なければ……今ここで殺してやりたいくらいです……でも旦那様のご命令なので生かしておいてあげますね」

「(誰だこいつ……)」


さぁ行きますよ、と椅子に繋がれていた鎖を外しはリヴァイを連れ出した。のだが、後ろに座っていた女から声が掛かり歩みを止める。


「お父様が終わったら私の番よ?分かっているの、このパッと出の役立たず」

「ご安心くださいお嬢様……直ぐに終わりますよ」

「ならいいわ。ちゃんと私の部屋に連れてきてちょうだいね」

「かしこまりました」


ふたりのやり取りを静観していたリヴァイはふらつく足に力を入れさっさと終わらせろと言外に訴える。必要な演出とはいえ薬の分量間違えてないか、心の中で悪態ついた。 そんなリヴァイの様子に気付いていながらもは緩慢な足取りで目的地へと歩を進めるのだ。決して嫌がらせではない。一応気をつかっているのである。


「旦那様は僕という美しい人形がありながら貴方を求めた。忌々しい……早く弄ばれて捨てられればいいのに」


そんなこんなで岩窟内を進み入口へと向かう道中、は尚も演技を続けていた。いつもの無表情ではなくその顔にはありありと憎悪の感情が浮かんでいる。 本当に同一人物か疑わしくなるほどに。


「おい、そろそろ演技はよせ。むず痒くてかなわん」

「……誰が聞いてるかもわからないのだからこれも必要な演出――」

「ちっとばかし楽しくなってんだろ、お前」

「てへぺろ」


この演技力あっての単独任務というわけか。指摘すればいつもの無表情に戻りそれをみて安堵する己がいる。 今回は(自称)美少年の仮面。旦那様とやらに小悪魔のように誘惑し夜を共にするという内容であり、リヴァイがこの任務に追加される数週間前からは下準備をしていたという。

一体どんな顔で誘惑するというのか興味もあるがそれよりも嫉妬の方が大きい。任務だと分かっていてもが己以外に見せたこともない顔を見せるのが気に食わないのである。


「楽しいっちゃ楽しいんだけどねぇ。夜が憂鬱過ぎて……」

「変態じじぃの営みなんざ想像するだけでも吐き気を催すが……それはともかく、共にするとなると体張らずにどう切り抜ける?」

「あぁ、それは――」


はリヴァイのからの問に答えるべくジャケットの下を探った。取り出されたのは2本の注射器。彼女は制服に固定ベルトだけを装着しているのだがその操作装置のホルスターに忍ばせていたらしい。 反対側にはいつもの愛銃が収められているのだろう、正規の使い方ではないがよく考えたものである。感心するリヴァイを余所には革製のケースに収められていたそれを見せびらかすように掲げてみせた。


「ハンジ特製気持ちよくなるくーすーりー。これを打てばたちまち幻覚を見ることとなる!お相手は人間を型どった抱き枕です」

「……幻覚剤か。一歩間違えりゃ犯罪だな」


の悪ふざけを素通りしてリヴァイは納得がいったと重たい頭で頷いた。


「結構使ったのだけど頃合を見計らって今日でおしまい。漸く抱き枕と変態プレイに勤しむ変態を監視せずに済む……頼んだリヴァイ」


ハンジ特製というその危ない薬はが潜入し始めた頃から毎晩のように使用しているらしい。いい具合に記憶の混濁もみられそれを利用して今日の作戦が決行されたというわけだ。 使いすぎた感も否めないが大丈夫だろう、なんて宣うにリヴァイは呆れたようにため息を漏らす。


「それよりも俺が飲んだ薬の解毒剤はねぇのか。体が思うように動かん」


その実、リヴァイはエルヴィンの作戦指示書通り自ら飲んでいた。食事に薬を盛るなぞが許すはずもなく、タイミングを見計らって嫌々ながらも飲み下したわけで。 今はに支えられて漸く歩ける状態でいて支えを失えば階段から真っ逆さまに落ちかねない現状、一刻も早くこの倦怠感から解放されたいものだ。 催促すればは今思い出したと言わんばかりに解剤をリヴァイに射った。外の木陰で休めば次第に体は元通りになっていく。


「ハンジが『リヴァイには強力なのを用意しないと効かなそうだよね』なんて言うものだからつい」

「あのクソメガネ……帰ったら削ぐ」

「エルヴィン団長も笑ってたから同罪だね」

「無論お前もだ」


の頭を小突き立ち上がれば違和感はなく、凝り固まった体をほぐすように動かした。便利な薬だな、これが世に広まれば大変な事になるだろう。 そんなことを頭の隅で考えつつふたりは屋敷に向かった。


「旦那様……人類最強をお連れしました」

「お前は下がって良い。さぁ人類最強よ、私と遊ぼうではないか」


追い出されたが退出間際に見た横顔はこの上なく凶悪だったという。後は任せた。屋敷の廊下で壁にもたれながら室内から聞こえる騒音を聞き流した。






 ♂♀






旦那様とやらを片付け次に向かうは先ほどの女性の寝室だ。「汚ぇな…」なんて手を拭くリヴァイの前をいくは迷うことなく廊下を進む。


「ではよろしく。女性相手なのだからお手柔らかにね。気を利かせて30分くらい離れていた方がいいかね」

「バカ言え、30分じゃ足りねぇだろ」

「おっとそれは失礼した。2時間くらいかね」

「冗談だ、直ぐ出る。部屋の前で待機してろ。お前は本気でやりかねん」

「ちょいとお手洗い行ってくる。それまで楽しんアイタッ」


頭をはたかれつつ扉の前で別れたは今回のメインディッシュである目的の物の回収へと向かった。 場所は把握済みであるからして先ほど旦那様の部屋でいつの間にか拝借してきた鍵をチラつかせながら闇夜に紛れ。そして20分後、戻ってきたは頭を抱える事となる。


「これは予想外」


寝室前へと戻ってきたは誰もいない廊下でひとりごちた。本当に夜の営みを致しているのだろうか、待ち合わせている筈のリヴァイの姿が見当たらないのだ。 室内の様子を伺うにしてもこの分厚い扉からは音が一切漏れでない。ちょちょいと解錠しても良いが『最中』であったら気まづいにも程がある。 どうしたものか。は暫く逡巡する。別れてから30分はゆうに過ぎていた。

(腹を括りますか……)

いざゆかん、戦地へ。壁外に出る時でさえこんな躊躇しないだろう、決死の覚悟で扉を開けた。


「……本当に予想外すぎる」


室内には窓辺に置かれた椅子に座るリヴァイ。そしてその前で跪く女。一体全体ナニをしているのか……「昨晩はお楽しみでしたね」と言う練習でもしておくか、は扉から顔だけを出した体勢で内心嘆息した。

しかし様子がおかしいと言うことに気づかない筈もなく、足音を忍ばせ女の背後へ近寄れば違和感の正体を知る。

頭を擡げ目を瞑るリヴァイの膝に頭を乗せ太ももに手を這わす女。また薬を盛られたのかこの男は。 きっと厄日に違いない。扉前に落ちているハンカチに振り返りながら今一度嘆息。ミイラ取りがミイラになってどうするんだと呆れる他ない。

内心で額に手をあてながらは現状を理解すると共に足を振りかぶった。体の回転を利用したそれは綺麗に弧を描き踵が直撃した女は無慈悲にも真横にぶっ飛び。 毎日のように鍛えられている強靭な脚力はひ弱な女をいとも簡単に鈍い音を響かせ蹴散らす事ができる。対人格闘というよりもただの一方的な攻撃、慈悲はない。 お手柔らかにと言ったのは誰だったか、当の本人は意識のないリヴァイを一瞥しては口を開いた。


「兵長に蹴られるよりはマシですよね」


いつもの無表情を貼り付けは頭を抱えてのたうち回る女に言い放つ。その瞳は底冷えするほど冷たく獲物を捉えた狩人の様に鋭い。


「一発で意識が飛んだ方が痛くなくて楽でしょうが生憎、私は力もなければ殺さずの格闘が得意ではありません……ですからもう暫く我慢してください」


長く艶やかな髪を掴み上げもう一蹴。女は声が出ないほどの痛みに顔を歪ませ涙を流し、口の端には血を滲ませていた。 そろそろ気絶して欲しいものだ。なぞとあえて急所を外しながら内心で嘯くは次いで3度繰り返しただろうか、息ひとつ乱さぬまま腹を蹴り上げようと足を引く。だが。


、もうよせ」


その声音はの思考を正常に戻すには十分な響きであった。物音で目覚めたのだろう、振り返ればリヴァイが険しい顔でを睨めつけている。


「……どう見てもやり過ぎだろうが」


何も言わないへ更に言葉を重ねるも振り返ったまま微動だにしない。どうしたというのか。いつもと様子がおかしいにリヴァイは疑問に思う。 彼女は単独任務時でもやたら無闇に敵でもない者を傷つけるような人間ではない。気絶させるだけならば的確に対処できる筈だ。 の足元で悶え苦しむ女を視界に入れながらリヴァイは眉を顰め、これ以上いたぶる様なマネをするなぞ見たくはないと言外に訴える。


「死にはしませんよ。手加減はしているつもりです」


暫し沈黙のあと抑揚のない声が鼓膜を揺らし、いつもと同じようでいて違うその声音はリヴァイの背筋を凍らせた。銃でもなくナイフでもなく飽くまでも素手で対処する様は手加減なぞとそんな生易しいものではない。 かといって楽しんでいるわけでもなく。ついと視線を外したは傍らに投げ出された女の手を見下ろし、徐ろに足を上げたかと思えば無慈悲にも力の限り踏みつけた。


「――っ!!」


手の甲は骨が砕かれ音を鳴らす。女は声にならない声を上げ僅かに繋ぎとめられていた意識が限界に達したのだろう、ぐったりと力なく横たわるその体が終ぞ動くことはなかった。


「はい、任務完了。帰りますか」

「オイ……お前――」


何事もなかったかのようにリヴァイの拘束を解き扉に向かう背に声をかけるも振り返ることなく早々に扉の向こう側へと姿を消す
足早に続いて廊下に出れば待っていたのか彼女は相も変わらず背を向けたまま佇んでいた。そしてため息をひとつ零すと呆れ混じりに口を開くのだ。


「相手は女だと油断するからいけないのですよ。あんな無様な姿晒しちゃって……私が居なかったらどうするのです?壁内だからと言って気を抜いてちゃ駄目じゃないですか地下街出身の癖してこのおたんこなすめ」


珍しくも饒舌にリヴァイを諌めるように。数々の単独任務をこなして来た彼女の言葉は重さが違う。茶化すような口調ではあるがそこには責め立てているようでその実憂慮する響きが含まれていて。


「油断していたことは認める。だが……あそこまでする必要はあったのか?」


リヴァイはの言葉の真意を理解している。しかし私腹を肥やすただの豚野郎と言えど敵ではない。先ほどのは明らかに常軌を逸していたその理由が知りたいのだ。


「何言ってるんです、やるからには徹底的にですよ」


単独であれば油断は命取りになる。ひとりで多数を相手にするならば尚のこと最後まで気を抜いてはいけない。 今回は単体だがたとえやりすぎだとしても、息の根をとめず安全を確保するにはこのくらいしなくてはならないのだと。そう諭されてしまえば何も言えまい。だが。


「まぁ最後のは……私情を挟んじゃってたかもしれないねぇ」


殺さないだけマシだという事にしておいて、と次いで宣うにはたと瞠目したリヴァイは自然と口角が持ち上がるのを感じ手を添えた。つくづく素直じゃねぇな。言外で茶化す。

無慈悲ながら女を蹴り上げる冷酷さも、必要以上に手を折る非情さも全ては己の為にしたもので。 決して嫉妬したとは思ってもいないのだろうこの鈍感ながいつか素直になる時が来るのだろうか、とリヴァイは思い馳せながら先を行く彼女と共に帰路に着くのであった。






END.












ATOGAKI

『路地裏のマント』の逆ver.(のつもり)。任務内容は適当です。それはそうと決して兵長は変態趣味に付き合ったワケではないです。はい。もしかしたら前回のマッサさんも直接対峙していたら手を折られていたかもしれませんね。なんつって。