She never looks back
―暫しの休息を君に―
とある日。手隙になったリヴァイはの執務室へ赴いていた。彼女の煎れる紅茶が目的ではないと言えば嘘になるも、淹れろと言っても気まぐれでしか淹れてくれない人間なので一種の賭けのような心境でここにいる。のだが。
「なにもやるきがおきない」
時間帯的にも小休憩をしてもいい頃合いなのは分かる。だがソファに横たわりだらしなく過ごすのはこれ如何に。いくら休もうが仕事中には変わりないのだ、お昼休みならいざ知らず。
「……執務中ならいつもの事じゃねぇか」
「ちがう。ほんとうになにもしたくない」
のしょうもない姿に呆れるも初めてお目にかかるそれに付き合うのも一興、リヴァイは紅茶を淹れ向かい側に腰をおろし観察することにした。
「甘ったれたこと言ってんじゃねぇ。いい歳こいてみっともねぇだろうが」
「いまこうはいがきてもたいおうできない。リヴァイだってさぼっているくせにえらそうなこといわないで」
「バカ言え、お前の書類待ちだ。さっさと仕上げねぇとエルヴィンにチクるぞ」
「……もう……すきにしていい。とにかくわたしはなにもしない」
まぁ、人間誰しも本当に何もしたくない日というのはあるだろう。にもそう言った日があるのかと意外に思うと同時に、何故こんな唐突に来てしまったのか皆目見当もつかないリヴァイ。
そういうものなのか、それとも何かきっかけになる理由があるのだろうか。
「朝からこの調子なのか、お前は」
「いすにすわったとたんに……ちからがぬけた」
「お前の椅子はリラクゼーション効果でも備わっているのか?」
「ふっかふかのだんちょういすにすわりたい……まるでわたのようにふっかふかできもちいい……」
「おい、戻ってこい。団長椅子は言う程ふかふかじゃねぇだろ」
「リヴァイ……エルヴィンだんちょーにきゅうかとどけだしてきて」
「人を使うな、てめぇで行け」
「そんなーけちくさいなーくそやろー」
間延びした口調は喋ることさえ億劫になってきている証拠だろう。ソファに合わせたシンプルなクッションに頬をすり寄せリヴァイに顔を向けているは抗議するように目を据わらせた。
可愛いと思うかウザイと思うかは自由だ。リヴァイは僅かに瞳の鋭さを緩め嘆息をひとつ。どうやら前者らしい。物珍しさゆえか弱みゆえか何はともあれ絆されてしまった方の負けである。
「チッ……そんな無様な姿を他の団員に晒すわけにもいかん」
取り敢えず聖域に場所を移すか、と立ち上がるリヴァイ。彼は聖域のスペアキーを持っている唯一の人間であるからして、どうせ命令しても自ら施錠しないだろうを見越しての行動である。
執務室に放置しておけばエルヴィンの所に行く間に見つかり兼ねないばかりか急用があれば対応せざるを得まい。どちらにせよ施錠できる場所でなければ醜態を晒す事になってしまう。
今一度嘆息しつつリヴァイはの傍に寄りうつ伏せに寝転がる体を抱き上げた。
「いやぁ、かたじけない」
「後で覚えてやがれ、――ってお前……道理で……」
あからさまな高体温、緩みきった態度。恐らく軽口こそ叩くが相当辛いに違いない。制服の上からでも分かる異常な体を抱えながら相変わらずの無表情に、こんな時くらい顔に出せと言いたいところである。
「そういえば……からだがだるいねぇ」
「……お前でも風邪を引くことがあるんだな」
「どういういみだこら」
最近は寒さがより一層厳しくなってきている上にろくな休暇も無かったの体が限界を迎えたという事か。壁外遠征が終わった後で良かったと安堵するべきか純粋に体調不良を慮るべきか。
どうであれ早急にエルヴィンに報告する必要がある、とリヴァイはをベッドに運び抜かりなく施錠をすると執務室を出た。
「風邪を引いたと……やはりも人の子か」
「お前の中であいつは何者だったんだ」
「ははは、が風邪を引くなんて初めてだからな。正直驚いたよ」
エルヴィンの元へ行けばリヴァイ同様失礼な事を宣う。そんな彼をリヴァイは分からないでもないのだが、ともあれ入団してから風邪を引いたことがないらしいに感心する。
健康児か、あいつは。普段これといって体調管理に気を使っているようには見えなかったのだが、エルヴィンが言うなら本当に初めてなのだろう。
流石に入団前の事は知る術もないので兎も角とし、もそれなりに調査兵になってから年を重ねているわけで。
よく言われている『なんとかは風邪を引かない』又は『なんとかは風邪を引いても気づかない』このふたつを選ぶならば、本人も久しぶりとあってか気付いてなかった事といい絶対に後者だとリヴァイは確信した。
「些か無理をさせすぎてしまったかな。一ヶ月くらいは問題ないと思っていたんだが……」
「もしかしなくとも今までにも一ヶ月休暇を与えず酷使し続けた事があるなんざ言わねぇよな?」
「……最大三ヶ月だ」
「お前……あいつを何だと思ってやがる……」
これは酷い。まさに馬車馬だ、は。いくら使い勝手がいいからと言ってもあまりに気の毒である。が普段休暇について執拗以上に確認しては、貪欲とも言える態度を取る裏にこのような理由があったとは。
彼女の気苦労が垣間見れた瞬間である。今度サボっていても叱らずに放っておこうと心に決めた。同時に先ほど思った事を撤回する。
「最低でも一週間は休ませてやれ」
「いや、三日だ。それ以上は許可できない」
「何故だ」
「四日後に単独任務がある。でなければ出来ない内容だ」
「予定をずらすことは」
「無理だ」
「チッ……アメとムチの使いどころがおかしいだろ、エルヴィンよ」
つくづくエルヴィンという男はに甘いと記憶している。しかし今回はどうにもならない体調不良にも関わらず鞭を打つという。
その裏腹な態度にわけがわからないというのがリヴァイの見解である。眉をしかめるリヴァイにエルヴィンは微笑むと口を開いた。
「それは違うな、リヴァイ。こういう時があるからこそ普段は甘くしている」
エルヴィンなりの労りと捉えるべきなのだろうか。
「なるほどな。一応曲がりなりにも後ろめたさとやらは持っているというわけか」
「そんな物を持っていたら駒として使役しないさ。流石に労りはするが」
しかしエルヴィンは否定する。後ろめたさなぞとそんな物は持ち合わせていない、と。
非道な決断ができる人間とはいえ、あんなに目を掛けている筈のに対してどこまでも冷ややかな言葉は予想外であった。
「……あいつはそれを知っているのか?」
一方、はエルヴィンを執拗に敬愛している。彼に託された任務に取り組む姿勢は壁外調査を抜かして並外れた真面目さを見せるのがその証拠だ。
それに彼女はどんなに無理難題を突き付けられようとも首を横に振ることはない。生意気な口はきくがそれはただの挨拶のようなものだ。つまりは言わずもがな信頼からくるもので。
「全て合意の上だ。だからこそ彼女からの不満や失言に対して何も言わないばかりか咎めようとも思わない。不快に感じたこともないがな。長い付き合いだ、甘さの使いどころを見誤れば早々に見限らざるを得ない事態になっていただろう」
「……『腹の底が知れない』というあいつの言葉も道理だな」
「褒め言葉だよ。まぁ、は別の意味合いを込めてそう口にするんだろう」
「結局甘いだろ、お前」
「それを公言しまえば贔屓になってしまうからね。建前は必要だ」
つくづく甘い。甘さの使いどころを見極めながらも如何に駒として使い続けられるようにするか思案する様は甘い以外に何と言えばいいのか。
自身の使い勝手を考えれば道理ではあるが。恐らくアメとムチの使いどころは間違えていないのだろう、だが酷使しすぎはどうかと思う。
「任務がなければ一週間や二週間いくらでも休暇を与えても問題ないんだが……今回ばかりはそうも言ってられない状況だ、致し方ない」
そう嘯くエルヴィンを睨み上げながらリヴァイはその場を後にした。何はともあれ三日で風邪を治さなくては任務に支障がきたしかねない。
一秒でも早く、そして任務中にもしもの事が無いよう万全を期しなければと医務室に寄ってはの待つ聖域へ向かう足取りを早めるリヴァイであった。
♂♀
「リヴァイ……わたしはもうだめかもしれない……」
「ただの風邪で何ほざいてやがる……弱気なお前も悪くはないがな」
ご飯を食べ終え薬を飲ませ、着替えも済ませた後。熱に浮かされているは滅多なことを口走る。
いつも強うあろうと虚勢を重ねる人間でも病気には抗えないのか、ある意味貴重な姿に目眩を感じた。
「かぜなんてれすとらんにひきとられていちねんいこうひいていない」
「忙しすぎて体力ばかりついたのか」
「ひものおんなだからね」
「……あぁ、裸のまま起きる事なんざ無さそうだしな」
「それはかんけいないとおもう」
「そうか。処女か」
「ふくぐらいきてねる」
「非処女なのか?」
「……きんそくじこうです」
「なぁ、よ。風邪を引いたときは汗をかくと治りが早いらしい」
「え……きんとれはしたくない」
「(処女と捉えて良いのかもしれねぇな)」
だから何だと言うわけではないが。それはさて置き呂律は怪しいが思考はしっかりしているらしいとの会話に興じるのは結構なのだが、そろそろ執務に戻らねばなるまい。
これでも忙しい身であるからして後ろ髪を引かれながらリヴァイは己の執務室に戻ろうと立ち上がる。のだが。
「もういくの」
「……非番じゃねぇからな」
「そう……しごとがんばって」
「あぁ。頑張りたいのは山々だが……」
リヴァイはどうすべきか考えあぐねた。何故なら己のズボンのベルト部分を掴まれているからである。可愛らしく袖や裾じゃないところは流石干物女と言うべきか。
足を止めざるを得ない場所を的確に捕らえるに、むしろ逆に計算高いのではないかと錯覚してしまう。ただの反射神経から来るものだとしても、である。
「はやくいけばいい」
「お前な……言動が矛盾してると気付いてねぇのか……?」
「そんなことはない。わたしはげんきである」
「薬が回ってきて眠いだろお前。会話が成立してねぇぞ」
「そんなことはない。わたしはげんきである」
「…………」
これ以上会話を重ねても堂々巡りだ。そう悟るリヴァイ。普段の様子からは想像もできない状況ゆえに心行くまで堪能しても良いのだが、いやはや。いやはや。
「お前は俺にどうして欲しいんだ……」
再び椅子に座り未だ離されることのない手を一瞥してはため息をひとつ。考えないようにしてはいたが、このままだと絶対に離れられまい。
無論、リヴァイ自身が。添い寝してもリヴァイが一方的に抱きしめるだけで状況は違えどこうもから引き止められては、いやはや。いやはや。
そして追い討ちをかけてくるに今一度ため息をつくのである。
「……ねるまでで、いい」
「まったく……可愛いところもあるじゃねぇか、よ」
ついと逸らされた視線にやれやれとベルトを掴む手を優しく解いては指を絡め、ベッドに腰掛けた。
空いている方の手を熱があるにしては普段とあまり差異のない色合いをした頬に滑らせれば気持ち良さげに細められる瞳。
一瞬にしてここだけ時が止まったかのような穏やかな雰囲気に変わる中、安心させるようにリヴァイは甘えたなの頭を撫ぜる。
「添い寝はいいのか?」
「それはいらない」
「そうかよ」
「……よるだけで、じゅうぶん……」
「……そうか」
次第に寝息を立て始めるのを確認しながら暫く撫ぜる手を止めることができなかった。
無防備に眠るは添い寝した時となんら変わりない寝顔なのだが、なかなかどうして違って見えてしまうのか。
「そのままマヌケ面で眠っとけ」
恐らく弱気な今、魘される事があれば平気ではいられまい。病は気から云々、悪化してしまうかもしれない。こんなにも弱って甘えたなも良いが一刻も早く治さねばとも思う。
その複雑な心境に眉を曇らせながらリヴァイは身を屈めるとそのままの額に唇を落とした。起きてくれるなよ、と心の中で囁く彼に邪な気持ちは一切無かったという。
――かくして四日後、久しぶりな病気ともあり一向に治る気配のないの代わりに単独任務に駆り出されたリヴァイは、団長執務室で交わしたエルヴィンとの会話を思い返しては舌打ちを盛大に響かせるのである。
『そうか……は治らないと……困ったな、代わりを務められる団員は……見つからなければやはり彼女に向かわせる他ない……』
『……俺が行く』
『珍しいじゃないか、お前自ら名乗り出るとは』
『あいつの部屋で書類は確認した。ああいった類のものは俺が代理を務めても問題ない筈だ』
『そうだな。お前になら問題なく任せられる。頼んだぞ』
『……俺が不在の間、聖域には気をつけろよ。今のあいつはなんの見境もなく攻撃してくる』
『抜かったか……早めの帰還を待っているよ、リヴァイ』
『…………』
まさかが治っていたとしてもあの手この手を使ってリヴァイに向かわせようとしていたとは露知らず。
まさかが風邪を引くと見境なくナイフを投げてよこすなぞ計算外な事だったと冷や汗を流していたとは露知らず。
まさか何はともあれ全てエルヴィンの思惑通りだとは露知らずリヴァイは任務に勤しむのであった。
END.
ATOGAKI
何だかんだいいつつ結局甘いではないか。でもいざとなれば切り捨てます。台詞がひらがなで読みづらくてすみません。風邪を引くとこうなるらしい。