She never looks back






穏やかな川のせせらぎ。太陽の光を反射する水面。まだ肌寒い日中の陽気に浸りながら私は河川敷の岩に座り釣り糸を垂らしていた。 下流の方では元気な子供たちが素手で魚を獲ろうと奮闘していて平和だなぁ、なんて暢気に思いつつ欠伸をひとつ。


「あ、釣れた。……頃合かな」


その辺の木の枝で見繕った竿を引き、水面から顔を出した釣り針の先端には活きのいい魚。 こんなに元気ならばさぞかし身が引き締まっていることだろう、なんて期待に胸を膨らませながら糸を掴みバケツへ投入すれば小さく飛沫が顔に掛かった。

生ぬるいんだか冷たいんだか微妙な風を受けて表現しづらい水滴の温度。でも、と。手の甲で拭い数日前の厄日に比べればなんとも可愛いものだと苦笑する。

同じ轍は踏むまい。次からはちゃんと確認してから出かけよう。意味合いは違えど大は小を兼ねると言うものだ、手持ちが多いに越したことは無い。

と、心に決めたは良いが釣り用具一式とバケツしか持って来ていない現状。こんなんだから抜作だなんだと言われるのか。まぁいい。 バケツの中で窮屈そうに泳ぐ魚を覗き込み、少し獲りすぎたかもしれないと後ろめたさを感じながらその場を後にした。







 ―光射す奈落の底―








「あのクソ馬鹿どこ行きやがった……!」


無人の聖域。リヴァイは昼時ともありを昼食に誘いに来たわけだがもぬけの殻となっている室内を見渡して舌打ちをひとつ。 昨日まで頑として聖域から出ようとしなかった癖にどういう風の吹き回しか、心境の変化か。引き篭ることに飽き気分転換でもと思い立ったのだろうか。

真相はどうであれ全くどうしてこうもフラフラと自由気ままな奴なんだ。いつも執務仕事をしていたと思えばサボタージュにハンジの所や本部の敷地内を彷徨いたりと。 いざ探すとなれば捕まえる事は容易ではないこの苦労を知ってほしいものである。眉間の皺を深く刻みながらリヴァイは器用に足で扉を閉め廊下に出た。


「兵長!食堂にも厩舎にも分隊長のお姿は確認できませんでした!」

「そうか……お前は仕事に戻れ。後は此方で何とかする」

「しかしおひとりでこの広い敷地内を探すとなると……」

「行きそうな場所に居ねぇとなれば外に出ているとしか考えられん。これ以上本部内を探しても無駄だ」


ペトラの報告を相変わらずの形相で聞いてはため息を零し。先ほどハンジの所へ見に行ったが居らず、他に思い当たる場所も探し尽くしたのだがやはり見つからないお尋ね者。 どこかに隠れているわけではないだろう。となれば残すところは外であるからして、街中を虱潰しに走り回っても無駄と言うわけで。捜索は打ち切らざるを得まい。 に与えられた3日間の非番中、管理を任されている身なのだが見失ったとエルヴィンに知られてしまえばいつもの如く回りくどい嫌味を言われるというのに何たる失態か。

それよりも詫びも兼ね『休養』と称して与えられた非番なのだ、その意味を理解している筈のが無闇矢鱈に動き回っているとは思えないが、もしものことがあれば。 我ながらに過保護すぎるかもしれない、と自覚しながら数日前のを目の当たりにした手前焦燥を感じてしまうのは致し方なく。





――あの日、を道中で拾い強引ではあるが寝かしつけた後。本部へ帰還し看護兵に治療されている間も眠り続けていた彼女は翌日の昼に起きた。 リヴァイはその実管理という名の監視を任されていた事もありの執務室で仕事をしていたのだが、先ほどの様に昼食を誘いに聖域へ足を踏み入れれば布団に包まる姿。


『……これはどういう状況だ』


布団を引っペがそうと試みるも頑として包まり続ける態度に痺れを切らし引きちぎる勢いではぎ取る事に成功したはいいものの。


『…………』

『…………』


うつ伏せに丸くなり頭を枕で覆う。まるで何者かから身を守るように。地震に耐える幼子のように。小さな体躯も相まってあまりにも痛々しい姿に思わず無言で布団を掛けたのは記憶に新しい。

一体何が彼女をそうさせるのか。分からないでも無いが、真意は他にあるのだろう。それを知る事は許されない気がしてリヴァイは問いかけることも言葉をかけることも出来なかったという。





そんな状況は2日目も続き飲まず食わずのまま3日目を迎えたわけなのだがこのザマは何だ。何故少し席を外した隙に姿をくらまされ探し回るハメになっているのか。 正直そろそろひょっこり起きてきていつもの様に何食わぬ顔で冗談でも言ってくるかと思っていた。そう油断していたことは認める。しかし叩きつけられた現実は想像とかけ離れていて。

人間誰しも思うところがあってふらっと放浪したくなる時もあるだろう。それにはまだ非番の真っ只中、いくら監視を任されようとも兎や角言うべきではないのかもしれない。 相手は二十歳を超えた大人だ。そろそろアラサーに仲間入りする年頃であるからして兵士として、大人としての節度はわきまえている。そう、思うのだが。

(戦闘中や単独任務中において『守りたい』とは思わねぇが……時たまこんな日常下で無性に抱かせる……ほとほと厄介な奴だ)

守るのではなく、背中を預け守らなくてもいい存在。しかし死線を潜るような状況ではない平穏なちょっとした瞬間、ふと垣間見える危うさを目にした時に感じる庇護欲。 それは確かにリヴァイの胸に芽生える感情だ。壁外ではなく壁内で『守りたい』と思うなぞ奇妙なものだと鼻を鳴らす。


それはさて置き、喜怒哀楽が欠如していると言っても過言ではない無表情、冷酷な瞳、辛辣な物言い。蓋を開ければ表情筋の衰えを補う表情、慈愛に満ちた瞳、冗談を紡ぐ口。 どちらも本物であり不思議な表裏一体をなすという人間はその実、甚だ実直なまでに分かり易い。冷酷人間とは優しさを表現し、普段の抜作さは気を許している証拠で。

(それと同時に……真理を隠すことに慣れすぎた難儀な奴でもある、か)

全てが偽りではなく、全てが本性だ。優しさも抜作さも彼女の嘘偽りのない姿。しかしそれだけではなく一筋縄ではいかないのがという人間である。

真理は隠し、それ以外のものは躊躇いもなく開示する。周りの人間に見える部分だけを見せ理解した気にさせる。そうして巧妙にも真理を悟られないように生きてきたのだろう、一種の誤魔化しというべきか。 今更素直になれとは言わない。が、せめて己にだけは教えてほしいものだと。独占欲にも似たそれ。いつか知るその時が来る、とは限らない未来にリヴァイは何を感じ何を思うのか。


「守らなくてもいい、と思わせる事も『誤魔化し』かもしれねぇな」


弱くて脆い癖に人一倍強くありたいと望む彼女の足掻き。守られるのではなく守りたいと望み、共に戦いたいと望むその思いが理解できてしまうからこそ。


「理解者ってのは見えちゃいけねぇもんまで見えちまう……誤魔化すなら徹底的に誤魔化せってんだ」


そして生き残るという確固たる意志。それゆえに背中を預ける。自由に舞わせる。これが正しい選択かは分からないが見えてしまうリヴァイはその『綻び』を見て見ぬふりに徹するのだ。 自身が望まぬ限り。これ以上踏み込むなと境界線を引く限り。例え危うさに庇護欲を掻き立てられようとも、見えてしまうもどかしさに苛立ちにも似た感情を燻らせたとしても。

彼女の望むままに踏み込まず行動を起こさないとして、それが彼女の苦しみを和らげる事に繋がるわけではないと知っていながら何もしない己に腹を立てる事しか出来ない。





 ♂♀





「あれ、? どこ行ってたのさ?」

「……釣り」

「え?」

「暇だったから」

「あ、そっか。3日間非番だもんね」


本部に帰ってきたは書類片手に歩いていたハンジに背後から声を掛けられた。ハンジはバケツの中身を覗き込むと「大漁だね」と驚き、次いで窘めるように眉を寄せ言う。


「まだ過度な運動は控えなよ? 一応怪我人なんだから。3日間の非番は休養の為に与えられてると分かってるんだろ?」

「そこまで体力は使ってない」

「じゃあ言い方を変えようか。あまり重いものは持っちゃ駄目だ」

「……すなわち井戸で水汲みも出来ないと」

「そういうのは周りに任せればいいんだよ。ほら、どっかのマッチョとかに――噂をすればなんとやらだ」


些か心配のしすぎな気がしてならない発言に有り難さ半分呆れ半分で聞いていたなのだが、したり顔に変わったハンジの視線を辿った。 嫌な予感はしていたのだがそれは兎も角、振り返れば曰くどっかのマッチョ、改めリヴァイが此方に歩いてくる所で。

こっそり戻るつもりでは居た。せめてバケツだけは見られないようさっさと食堂に持って行き何事も無かったかのように振舞おうと。甘かったか。まさかこんなにも早く見つかるとは。 監視する身であるリヴァイが隙を突いて抜け出した事を見逃すはずもなく、腹を据えかねているというのは火を見るよりも明らかであるからして。

ハンジはじゃあね、と挨拶をそこそこに気を利かせるよろしく去って行った。と、言うよりも巻き添えを食わないように逃げたと言うべきか。


「オイ……どこに行っていた」


それもそのはず、リヴァイは相当お怒りの上に説教は免れないわけで。居合わせたくはないというハンジの気持ちは痛いほど分かる事の悲しきかな。


「……貴方には関係ない」


ならばと己も逃げる為に突慳貪な物言いをしては横を通り過ぎた。当然の事ながら許されるわけもなく腕を掴まれ引き止められるのだが。


「答えろ。俺がお前の行動を把握する義務がある事ぐらい分かる筈だ」

「非番の時ぐらい好きにさせてもらいたいけども……釣りに行っていた。これで満足なの」


決して交わることのない視線。頑なに顔を向けないばかりか振り返ろうともしないは、背後から舌打ちをいただきながらこの場をどう切り抜けるか考えあぐねるのである。


「……探し回ったこっちの気も知らねぇで暢気に釣りとはいいご身分だな、よ」


掴まれた腕が悲鳴を上げた。本気ではないにしろこうも力を込められては抗議したくなると言うもの。例え自業自得だとしてもにだって思うところはあるからして。


「私にもひとりになりたい時がある。何も告げず出て行ったのは謝罪するけれども……目くじら立てる程の事でもないでしょうに何だと言うの」

「……どうやらお前は監視されている理由が理解できていないらしい」


しかしリヴァイの本気な態度に自重しなくてはならないようだ。正直自身いつもの軽口を叩けるような余裕はなく、かといって振り払い逃げることもできなんだ。


「2日もお休みを頂ければ回復もする。ただの打撲で大げさすぎ」

「それは……あいつなりの労わりだ、甘さの使いどころって奴だろう」

「じゃあ何故に3日間も監視する必要があるというの」

「見張ってねぇとどっかに行っちまうからな、お前は。今のように」

「出掛けても問題はない筈。流石に無様な姿を晒したからと言ってセンチメンタルなジャーニーなんてしない」

「してんじゃねぇか。感傷に浸って釣りしに行く事をセンチメンタルジャーニーと言わずなんて言うんだ」

「旅行じゃない」

「屁理屈ぬかせ」

「正論を言ったまで」

「ちったぁ自分の非を認めたらどうだ……お前の身勝手な行動の所為でどれほどの団員が迷惑したと思ってやがる」


奥歯が軋む。無意識に拳を握り締めは腕を振り払った。簡単に離されたそれに拍子抜けするも痛む部分は熱を持ち、それが更に胸を締め付ける。 分かっているのだ。この痛みも、リヴァイの苛立ちも。だからこそ。


「――ここに居たら……いつまで経ってもセンチメンタルな気分は治らない」


あの日、意識を取り戻したと同時に認識したのは『光』だった。直に差し込む日差し。何気ない日常では忘れたかのように平気だった筈のそれ。むしろ焦がれていたそれ。 寝相のお陰でいつもは陽を浴びたまま起きることは無いが寝室にカーテンをつけない理由はここにある。

布団さえあればまだマシだったのかもしれない。意識の浮上と共に認識したそれは現実を叩きつけられた後では苦痛でしかなく。逃げる様に布団を被り遮った。 だがは光の――『皆の優しさ』を知ってしまっていたからこそ、再び光の下に這い出たのだ。縋る様に、切望するように。それが3日目の今日と言うわけで。


「優しさに触れれば触れるほど自分の弱さを、痛感し続けるから」


布団から出て底知れぬ感情に身震いをしたのは記憶に新しい。眩しさに目を瞬かせ何度も躊躇した。執務室に居るリヴァイの気配に苦痛さえ感じた。 あの雨の中の幻覚が悪夢のように思えてしまうのは現実から目を背けていることに他ならないと知っていながら拒絶してしまう。

己の弱さなぞ今まで幾度となく目にしてきた事だ。それでも己は振り返らず立ち続けようと決めた筈だった、それなのに。


「浸かりすぎたんだろうね……こんな事じゃ、戦えなくなりそう」


恐らく、今死を目の当たりにすれば心が折れてしまうのだろう。光を拒みながら光を失う事を良しとしないなぞと矛盾にも程がある。 それを解消するためにも強くあろうとしていたのに。布団に包まりどっかの誰かさんの所為で、と責任転嫁しては自己嫌悪に陥る。2日間はそれの繰り返しで。

最低だ。最悪だ。そう自覚しながら結局は布団から這い出て光の下に足をつけ外に出た。その事に安堵する己が許せなくて。それが何よりも己の弱さを痛感する瞬間だと理解した。


「――そんなくだらねぇ理由で戦えなくなるだと? 泥濘に這いつくばっていても引金を絞る力も残って無くとも立ち上がった奴の言葉とは思えんな」


雨の中での光景が脳裏を過ぎり、同時に立ち上がるまでの思考が蘇った。身勝手な矛盾を抱く己の弱さに嫌悪しては拳を握り締める。


「泣き言ほざく前にさっさとそのセンチメンタルな気分とやらを治せ。『療養』とは何も体だけの事じゃねぇだろうが」


よき理解者でありだいすきな仲良しは、もしかしたら真理に勘づいているのかもしれない。震える拳を解きながらは息を吐き歩みを再開させた。 全てを知られる前に。これ以上見透かされる前に。リヴァイもまた奥歯を噛み締めているという事を察せられずその場を離れた。








――ハンジとモブリットの閑談。


「明日から遠征に向けて合同訓練が始まりますね。さんが復活なさったと聞いて安心しました。軽傷ではありましたが体調が優れず寝込んでいらしたんですよね?」

「んー……は非番になると引きこもる干物女だからね。食事を忘れて読書に耽ったりひたすら寝てたり……かと思えばふらっと彷徨いたり出かけて釣りに行ったりするんだけどさ」

「今回もそうであったと……?」

「どうだろうね。リヴァイに抱えられて帰還した時は酷く体力を消耗してたし、本当に寝込んでたんだと思う」

「まだ春先にも関わらず雨でずぶ濡れでしたから……」

「でもそれだけじゃない。という人間は本心を隠すだろ? つまりは溜め込むタイプなんだ」

「身体的なものだけではないと?」

「おそらくね。まだ完全に回復はしきれてないだろう。さっきは敢えて触れなかったけど、あれは相当参ってるよ」

「……よくわかりますね。俺にはさっぱりですよ」

「じゃあそんなモブリットにヒントを教えてあげるよ。の判別の仕方はずばり『冗談を言うか言わないか』だ」

「え? 単純といいますか……らしい、と言えばそうですけど……」

「気の置けない人間に対してだけ有効なものだけどね。君も覚えておくんだ、冗談を言わない時は『精神』が極限状態だって事を……うっかりボケたら泣きを見る」

「分隊長……やったクチですね」

「経験者は語るってね。滅多に無いけど。でもね、腫れ物を扱うように優しくしちゃ駄目だ。余計傷つけてしまう」

さんを攻略するのは雲を掴むような話ってことですね……」

「リヴァイ以外は誰もできないから安心しなよ。と言うか君は、を狙ってたのかい?」

「そ、そういうわけではありませんが……俺がさんをどうこうするなんて烏滸がましいと言うか何と言いますか……」

「君はそのまま気の置けない仲間でいてくれ。理由は……分かるか。それよりも警戒するのは背後だ」

さんは言わずもがなですが兵長だって敵に回したくありませんよ」

「流石はモブリット、空気が読めるね」

「貴方は読まないですけどね」

「失礼だな君は。読んだからこそ逃げてきたんじゃないか」

「(さん……貴方は友人を選んだほうがいいかもしれません)」

「あーぁ。今頃リヴァイに弱音でも吐いてるんじゃないかな。そんでリヴァイは『泣き言ほざくな』とか言っちゃってるんだよきっとさ。弱みにつけ入る折角のチャンスだってのに」

「(さん……やはり貴方は気の置けない人間を選んだ方が、いやそれより兵長か。兵長、共通の話し相手は選んだ方がいいかもしれません)」

「お互いさ、支え合える人間ってのを作ったほうがいいんだよ。そうでなくともふたりとも素直じゃないんだからさ」

「十分支え合っていると見受けられますが……」

「頑固と言うか強情っぱりなところがあるからね。真に支え合うのは容易じゃない。良く言えば奥が深い、悪く言えばめんどくさいんだよ、あのふたりはさ。拳で語り合いすればいいんじゃないかな」

「そんな薄情な……」

「あはは。ちょっとした嫉妬ってところかな。私の方がと知り合ったのはリヴァイよりも先なのに……悔しいのかなぁ」

「(さん、兵長……仲間はずれにすると被験体にされかねませんよ……『愛情たっぷり』な薬を盛られてしまいます)」

「さて、と。私たちは明日の準備に取り掛からなくちゃね。実験用対巨人捕獲兵器の最終確認だ」

「実行は我々が?」

「何言ってるのさ、とリヴァイに決まってるじゃん。今回のは大きめに作っちゃったから足場でも作っておかないとねー」

「愛情をかける方向が間違っている気がしてなりません……何より分隊長、失礼すぎます」





 ♂♀





「ミケ、もう少し右だ……今度は高さがズレてんじゃねぇか、しっかりやれ」

「片方を抑えていてくれる人間が必要だとは思わないか?」

「オイ、そりゃ遠まわしな嫌味か?」

「スン……脚立はどこに行ったんだろうな。共有の備品を根こそぎ持っていく人間……ハンジか」

「まったく、あんなもんしこたま掻払うなんざ一体何に使うってんだ……後で削ぐ」


はとうとう痺れを切らし勢いよく布団をはぐると寝てる人間の真横、もとい窓辺でお構いなしに喧しいふたりを見遣りひと言。


「……なにを、しているのです?」


杭を打つ音、押し黙る男ふたり。窓辺には平たい木の棒が何本も束ねられた『何か』が立てかけられており、それを窓に取り付けようとしているのは容易に想像がついた。

別に己の聖域に細工を施すのは構わない。命に関わるような物でもなく、ましてやおふざけでやっているわけではないだろう。態度はふざけてるにも程があるが。 しかし時間帯を考えて欲しいものである。現在夜の11時。消灯時間はとうの昔に過ぎているのだが、これではお隣の先輩に怒られる気がしてならない。勘弁してくれ。は据わる目で言外に訴えた。

だが男ふたり、大男とマッチョは雁首揃えて窓の上部を見上げたままで目を合わそうともしない。これは一体全体どういった嫌がらせなのか。疑問に思いながら渋々起き上がり事態を見守ることにしたを余所にふたりは会話を再開させた。


「お前がうるせぇから起きちまっただろうが」

「と言いつつも俺が居て良かったと胸を撫で下ろしている様に見受けられるが」

「バカ言え、別に気まずさなんざ感じちゃいねぇよ。俺ひとりでやってたら起こさずもっと静かに出来た」

「内密に取り付けを完了させようとするその魂胆が全てを物語ってるぞ」

「まぁなんだ……事情説明が終わるまで逃げるなよ、ミケ」

「……よし、終わったぞ。じゃあ俺はエルヴィンに呼ばれているからあしからず」

「オイ待て行くな気まずいにも程がある」

「悪いな、リヴァイ。団長の命令に背くことは立派な規律違反、懲罰房行きは御免なんだ」

「この裏切りもんが……いや、エルヴィンの野郎は会食で出かけてるじゃねぇか」

「その迎えを頼まれているからこそこんな時間まで起きているんだ、残念だったな」

「迎えだと? 嘘ほざくんじゃねぇ。あいつは馬車で帰ってくる筈だ」

「……リヴァイ、俺は馬に蹴られたくは無い……分かってくれ」

「わかった。てめぇはそのまま馬車馬に蹴られろ。その前に俺が蹴るがな」

「武力行使とはいただけないな。ほら見てみろ、が俺たちの会話を聞いて笑ってるぞ」

「なんだと? ――って笑うどころかむしろめちゃくちゃ怒ってんじゃねぇか」

「じゃあな。健闘を祈る」

「チッ……でかい図体して逃げ足の早い奴だ」


は思った。こんな会話を聞かされてどうしろと、と。残されたリヴァイと変わらず上体を起こしたままベッドに座る。もう一度言おう、どうしろと。


「…………」

「…………」


何だかまで気まずくなってきたところでリヴァイが根を上げるよろしく振り返った。その眉間には深々と皺が刻まれており、何故に貴方が不機嫌なのと問いかけたくなるのも道理である。 先程までふたりが居た窓を見れば垂れ下がるブラインド。木製で丈夫そうだ。それに加え聖域に自然と馴染むデザイン。の趣味的にも申し分ないそれは傾きもせず美しいまでに掛けられ外への視界を遮断していた。

いや、冷静に状況を確認している場合ではない。は聖域に新たに加わったブラインドから視線をリヴァイに移し未だ睨めつけてくる瞳を見返すと口を開いた。


「結構なお手前で」

「やったのは俺じゃねぇ」

「素晴らしいセンスをお持ちで」

「抜かりはねぇ。お前の好みは熟知している」

「そう。いつ買ってきたの」

「監視もお役御免になったからな。さっき街で買ってきた」

「それはお疲れ様です」

「礼のひとつも言えねぇのか。ちなみに代金は給料から天引きしといてやる」

「あれ、嬉しいけれども押し売り詐欺か何かなの。これは酷い」

「……気に入ったのか?」

「もちろん」

「そうか」


つかつかとベッドに歩み寄っては尊大な態度で腰掛けるリヴァイ。再び沈黙が降りるそこに気まずさは無い、のだが疑問が解消されたわけではなく。 どこか安堵したように息を吐いては肘を腿に乗せ前のめるその背から心情を察する事は難しい。代わりに再び取り付けられたばかりのブラインドを眺めた。目のやり場に困っているのが正直なところだ。


「……これで奇妙な寝相も治りゃいいんだがな」

「それはまた別かと」


まさか寝相矯正のためだけに取り付けたのではあるまい。やはり見透かされていたと思うべきか。光を求めながらもそれを拒み布団に潜る甚だ馬鹿げた矛盾を。 少しの間をあけ紡がれたそれ。巧妙にも核心から逸れた言い回しが何よりの証拠だった。

お節介だなんだと言うつもりは毛頭ない。しかし、その回りくどくも実直な気遣いがの心を抉るのだと理解している筈だ。 その上で行動を起こした彼の葛藤し導き出した結論はだけではなく互いの苦しさを生んでしまうと言うのに敢えて行った理由とは。


「窓から洩れる冷気の軽減処置だ。寒さは体力を奪う……その影響を直に受けるお前の寝相にうってつけだとは思わねぇか」


拗れてしまっているのだろう。が線引きを口にした時から。もしかしたらもっと以前からなのかもしれない。だからこそお互い行動する事に躊躇するのだ。素直になれなくなると学んでいると言うのにも関わらず、それでも行動してしまう矛盾を抱えながら。

決して上辺だけで付き合ってきたわけではないけれども、核心に触れず接してきた代償というものは解きほぐせない糸の束となり互いを雁字搦めに絡め取る。 言葉にしてしまったがそう思うのならば、言われた側のリヴァイは尚の事苦悩しているだろう。引かれた線の手前で踏み込むこともできず、かと言って諦める事もできずに悶々と。

恐らくこの苦しみは、リヴァイ自身から漏れ出た苦しみの片鱗だ。


「もう、春だけれども」

「冷え込む夜の間だけだ。陽が昇れば開けてやるから安心して生足を晒せ。日差しが嫌なら俺が舐め回して温めてやってもいいが」

「やめて」

「それに女が下半身を冷やすのは良くないと聞く。頭寒足熱と言うだろう」

「今更過ぎてもはや無縁の話かと」



――もしそうであらば、その苦しみを和らげる為にどうすればいいのだろうか。



は徐ろに手を伸ばした。拒み逃げ出した筈のそこへ。線の、手前へ。


「心配せずとも……貴方が隣に居るから、寒くない」


温もりを分け与えてくれる存在、例え拒むべき光そのものだとしても。


「そりゃあ……本心か?」


彼の苦しみを和らげる為ならば、喜んで焼かれよう。共に居なければ感じることもない苦痛だけれども。 お互い手放せないまでに求めてしまうのだから致し方ないと言い訳を繰り返しは――その背に触れた。


「こんな時に嘘を吐くほど空気の読めない人間じゃない」

「そういや冗談すら言えねぇ有り様だったな」

「一度落ちるととことん落ちるタイプ。根は真面目だからね」

「てめぇで言ってちゃ世話ねぇな」


漸く振り返ったリヴァイは躊躇うことなく伸ばされている手をとった。複雑でいてほとほと厄介な心を持つの難儀さを受け入れる様に。 己にはそのくらいしかできないと言わんばかりに。――苦しみを共有するように。


「俺たちはヤマアラシか何かか」

「……傷つくのはいつも貴方の方」

「結構なこった。男の度量が試されてるだけだろ」

「誤魔化さなくていい、痛いのなら正直に言うべき」

「誤魔化してんのはお前だろうが」

「隠してるだけだよ」

「同じことだ。まぁ、驕っていないだけマシというべきか……」

「……貴方もたまに鈍感なのだけれども」

「あ?」

「何でもない、気にしないで」


リヴァイは踏み込むことは出来ないまでも、今はまだ一線の上で触れられる事に満たされるだけで良しとする。 は踏み込ませることはできないまでも、待っていてくれる優しさに卑怯にも手を伸ばす。


「実のところ、お前はマゾヒストではなくサディストなんじゃねぇのか」


それでいいと言ってくれる限り、塗炭の苦しみに甘んじ。そしてリヴァイは。


「ごめん、なさい」

「別に謝罪を求めちゃいねぇよ……いづれたどり着くであろう未来が楽しみでならないってだけだ。倍返しじゃ足りんだろうな」

「その自信はどこから来るのやら……私にはまだ当分無理な話」

「存分に悩め。そして悔いのない方を選べ。急いで出した答えに気持ちは着いていかないからな……曖昧なまま嬲っても楽しくともなんともねぇ」

「なに、これは貴方の性癖の話だったの」


――掴んだ手をそのままに布団に潜り目が据わるをひしと抱きしめるのだ。逃がしてなるものかと、退路を断つように。


「なぁ、よ。お前がいくら『何か』を拒もうとも添い寝する事だけは拒んでくれるな。今はまだそれだけで満足してやる。 卑怯だなんだと自己嫌悪するのはこの際置いておくが、釣った魚に餌ぐらいくれてやれ。断食はサディストではなくただの鬼畜だ」


互いの譲歩すべき点を提案する。自己嫌悪然り、苦痛然り。踏み込ませたくないと言いながらも手を伸ばすその矛盾を受け入れる代わりに、リヴァイの気が変わらないよう餌を与え続けろと。 離れるつもりなぞ毛頭無い。しかし、こうでも言わないとはこれからも延々と苦しみ続けてしまうからこその言葉。

が求め苦しむように、リヴァイもまた求めている事を理解させる為に。そして、彼の苦しみは添い寝という名の餌で和らぐのだと言外に諭す。些か強引ではあるけれど、お互い様なのだと。

足を絡ませ体温を感じさせるべく更にと全身に触れる。拒む隙間なぞ与えないと言わんばかりに。彼のへの甘さは相変わらずのようだ。 否――彼女に苦しみを与えると分かっていながら共にする理由を正当化し腕の中に閉じ込めるやり方は身勝手そのものなのかもしれない、なぞと元も子もないことを思ってはいるのだが。いやはや。


「釣り上げた覚えは無い、のだけれども……」

「釣りの手腕はなかなかのもんだ。誇って良いぞ」

「普通の釣りならね」

「160cmは大物じゃないとでも?」

「いや、貴方はそれでいいのか、と……」

「バカ言え、比喩だ」

「そう。危うく三枚おろしにするところだった」


本気でやりかねない口調の冗談に漸くいつもの調子が戻ってきたのだとため息をひとつ。だが同時に拒む『何か』がリヴァイ自信の事だと分かっているからこそ、もしかしたら寝ぼけて包丁を持ち出してくるかもしれないという悪寒に眉をヒクつかせたり。


「冗談ほざいでねぇで寝るぞ」


何はともあれ3日間を費やして奈落のような底から這い上がってこれたに世話のかかる女だとぼやきつつ、リヴァイは抱きしめる腕に更なる力を籠めた。 くぐもる呻き声が胸元を震わせ、そのこそばゆさが心地よいと眉間の皺を絆されながら。


「貴方の眩しさのお陰、かもしれないねぇ」


光を求めながら光を拒む矛盾。しかし這い上がってこれたのはその眩しい光が先導してくれたからなのだろう。は背に触れた温もりを忘れないようにと布団の影で手のひらを握り締めた。


「そんな大層なもんじゃねぇだろ……俺はただ何もせず待っていただけだ」


そしてリヴァイはしみじみと宣うの頭を撫ぜ目を閉じる。己の苦しみを和らげる為に触れられた手解きほぐしては今一度繋ぎ、手放さんと絡め。


「そんなことは、ない」

「はっ……何故だろうな。お前の事なら待つのも悪くないと思える」


気は長くない方なんだが満更でもないのだと口角を上げた。それもこれも『急いては事を仕損じる』という言葉のお陰か。 考えてみればどちらか一方ではなくお互いに言える事なのだと苦笑に変え、顔を上げたに額を合わす。


「石の上にも3年、とかどう」

「3年も待ってられるか」

「じゃあ果報は寝て待て」

「こればっかりは運じゃどうにもならん」


いつも通りふざけた事を抜かすの瞳を伺うと僅かに揺れ動いた。それもそうか、と呟く彼女の内心は一体どのような感情に染まっているのだろうか。 引き際は弁えているつもりゆえに、あまりハッパを掛けるのも酷かと合わせていた額を離し再び己の胸に埋めさせる。


「待つ間が花と……」

「あぁ、どんな仕返しをしてやろうか想像すんのは愉快だ」

「いざ現実になってみると拍子抜けするって事ですね、わかります」

「結果は誰にも分からん」

「否定してくれても良いと思うのだけれども」

「干物女だしな……」

「何も言い返せないところを突かないでいただきたい」


恐らく後ろめたさを感じているのだろう。這い上がってきたばかりだというのになんと後ろ向きな発言か。 これもの性格といえばそうなのだがリヴァイは揶揄い混じりに冗談を。


「なんだ、まだ突いちゃいねぇだろ」

「私の太ももが動き出さない内にその口を噤むといい」

「動かせないように挟むまでだ」

「分かった大人しくしているからやめて私の足が折れる洒落にならな――」

「ヤワな鍛え方してねぇだろ。なぁ、干物女よ……かわい子ちゃんぶるのはよせ」

「鎮まれ私の左足」


忌々しげに力を込められるもリヴァイの手はビクともしないのが悲しきかな。まあ敵わないことは百も承知。はふて寝するに限るよろしく全身の力を抜いた。 すると襲い来る睡魔。休養の筈な3日間はろくに寝れていなかった反動が好機と言わんばかりに身を委ね――


「望んでいたのなら素直に縋れ、馬鹿が」


リヴァイもまた一週間ほど振りの添い寝に安堵する。わがままだろうがなんだろうが喜んで受け止めてやる。そう言外に告げ。


「身勝手なのはお互い様だ」


の矛盾する心の身勝手さにリヴァイは思う。胸の内に秘めた本音を。何もできないけれどせめて共に居させて欲しい、という強欲さを身勝手と言わずなんと言うのかと。 隠された甚だ滑稽なそれはふたりの関係を拗れるさせるのも道理。

そしてその複雑な関係に安堵する事は酔狂なのだろうか。己も大概難儀な性格をしている事実に自嘲をこぼしては瞼を落とすのであった。




END.
















おまけ

「起きろ寝坊助」
「うわっ眩しい、溶ける」
「…………」
「『やべぇ、癖になりそうだ』」
「読心術の心得でもあんのかお前は」
「そんな楽しそうな顔をしてよく言う」
「今日から合同訓練だ、遅れるんじゃねぇぞ」
「話を逸らすんじゃない」

おまけのおまけ

「…………」
「…………」
「どうだい?君たちの為に足場を取り付けてみた」
「対巨人用捕獲兵器なのに持ち運びが不便ではないかと」
「オイ、ツッコミどころはこそじゃねぇ」
「気に入ってくれて良かったよ。使い方はモブリットに聞いてくれ」

「あ、逃げた」
「燃やすか」
「費用が勿体無い。目標を捕捉、リヴァイ構えて」
「しょうがねぇな」

「ハンジ分隊長、自業自得です」

おわり








ATOGAKI

主人公の心境は暫く触れられないと言ったな。アレは嘘だ。などと意味不明なことを供述しており原因は未だ不明。更新が遅れた挙句ふざけたことを抜かしよるわい。

落ちるところまで落ちると何もかも嫌んなっちゃいますよね。今回はそんな話を書いた筈。 兵長は自分さえ主人公を求めなければお互い苦痛に苛まれる事もなかったと思っていると思います。けれども主人公も主人公でまぁアレなんでやっぱりお互い様かなと。考えがまとまりません。困ったちゃん。

モブリット→主人公は絶対にありえないです。きっと彼はハンジの事で手一杯ですし。今回ごちゃっとした書き方ですみません。おまけの手抜き感。それを言っちゃおしまいだ。

↓必要だと判断した管理人による懺悔と捕捉をば。
捕捉説明