She never looks back
―ただいたずらにきみを笑う―
「・、只今帰還しました」
それは静かな夜だった。ひと仕事を終えいつもの如く団長室に入り、未だ執務を続けていた彼に報告を口にする。
「おかえり、」
手を止め労わるように柔らかな笑みを浮かべた彼は羽ペンを置き場に戻し、真っ直ぐに此方を見据え次いで言葉を紡ぐ。ご苦労だった、と。
その瞬間、漸く私は全身から力を抜くのだ。ひと度ヘマをこけば命に関わる任務、情報を抱え彼の元にたどり着くまでは気を緩める事さえ許されない身ゆえに警戒心の塊となっていたわけで。
「貴方の顔を見たらどっと疲れが出てきました」
「ははは、君のその辛辣な言葉を聞いて安心したよ」
彼は笑みを深め私の心の内を悟る。というより慣れたものだ、口にも態度にも出さずとも分かっていた。伊達に長い付き合いではない。
ひとしきり雑談を交わし唐突に真摯な顔つきになった彼の態度を合図に報告を伝える。このやり取りもまた、私の凝り固まった体を解きほぐし安堵を齎すものだった。
「こうも毎度の事ながら期待以上の成果を挙げてもらうと基準値が麻痺してしまうな」
「ならば次の任務では手を抜きます」
「それが出来れば君も苦労はしないだろうね」
「仰る通りです」
苦笑をこぼす彼に私は表情を変えず瞬きをひとつ。会話がつまらないだとか、早く聖域に帰りたいと思っているわけではなくこの態度が常なのだ。
冗談を口にしながら内心で楽しんでいるのは皆まで言わず、それをおくびに出さないのが私。そう、私は表情筋が衰えている。目に見えるものと中身は大きなズレが生じているという事。
そんな私を理解してくれているのが彼。一歩距離を置き決して最奥まで踏み込まないばかりか手を伸ばすことさえしない、それがエルヴィン団長という人間だ。
他人行儀でもない。上官と部下、団長といち兵士。当たり前の距離感、されど実際はどこか近しいそれ。対面すればどこか不安にも似た見守る瞳がそこにある。
他の団員とは違い特別視されているのだろう、その理由は自分が一番理解していた。だからと言って調子に乗ることも鼻を高くする事もないけれど。
昔は彼の私に対する態度を聡い兵士に気づかれた事もあった。それゆえに妬まれる時もあった。
それを煩わしいとは思わない。私はただ恩返しが出来ればそれでいい、彼の為ならどんな無理難題な命令でも従えるとさえ思う。
そして彼は水面下で私を特別扱いする。表では他の兵士と平等に扱いながら裏では甘やかし。しかし、私へのアメとムチの使い方は誰よりも容赦はない。
使い勝手の良い”駒”として時には手を汚させ計画の手段とする。そう刷り込まれてきたと言えば否定できまい。私の義理堅さを利用し恩を売り縛り付け。
それでも時折隠しきれぬ慈愛を垣間見る度に、彼も苦悩しているのだと分かってしまう事が何よりも――私に忠誠心を奮い起こさせる要因となる。
駒として。彼の手足として。存在を認めて貰えているのならば。あわよくばいつか訪れるであろうその未来に辿り着くまで、私は彼の為に戦いたい。
それは信者のように。盲信するかのように、陶酔するかの如く。せめて切り捨てられるまでは彼の下に。
――私たちの関係は少し、歪んでいる。
ただの駒として利用されていたのならば、操り人形のように淡々と命令に従っていただろう。しかし私たちには絶対的な”信頼”があった。だからこそ敬愛を抱き彼の意志に付き従う。
彼もまた慈しみを持ち私に甘さを与え絶妙な均衡を保つ。手のひらの上で転がすと見せかけ期待を胸に私を見守る。どっかの誰かさんとの関係よりは単純でいて強固である。
「たまには一杯どうだい? 最近アルコール摂取が目に余るゲルガーから押収してきた酒があるんだ」
「やめてあげてくださいよ。彼唯一の楽しみなんですから」
「冗談さ。いやなに、先日ナイルと飲んだ時にバーのマスターから頂いてな」
「そうですか。ナイル師団長に買わせたおみやじゃなくて良かったです」
「君は相変わらず変なところで勘が良いな」
「……親しき仲にも礼儀あり、という言葉をご存知ですか」
逆に言えば親しき仲だからこそ許される特権のようなものか、とどっかの誰かさんとのやり取りを思い返し納得した私は促されるままにソファに座る。
エルヴィン団長はガラス棚からグラスと例のお酒を持ち向かいに腰を下ろした。何でもいい、ささやかな任務成功のお祝いと洒落込むか。
「君に飲ませすぎるとリヴァイにお叱りを受けるからね、一杯だけだ」
「もとよりそのつもりです。貴方よりも私の方が後々面倒なのですよ。あの人は何かとつけて私に手厳しいですから」
「手厳しい? 甘すぎる、の間違いじゃないか?」
「……ハンジは兎も角、他の団員に対する態度と私に対する態度は雲泥の差があります。皺寄せはいつもこっちに……私はあの人の捌け口じゃないと言いたい」
「愛情の裏返し……気心許す関係と言うのは無遠慮と紙一重、と。なんだ、お互い様じゃないか」
「それを言っちゃオシマイですよ。たまには意味もない愚痴を言わせてください」
「君は酒に呑まれるというより雰囲気に呑まれるタイプだったな」
「呑まれて良い時と場所は選んでいるつもりです」
舌触りのいい洋酒を口に含み、飲み下す。次いで熱を持つ体。度数の強いお酒はすぐに酔いが回る。一杯だけ、と制限する真意を理解した。
「君の身持ちの硬さも仕事の真面目さも……部下としても私はいい人材に恵まれたと思う」
「身持ちの硬さは関係ないと思います」
グラスを空け、お酌をすればまた煽る。些かほろ酔い気分な彼は爽やかに、そして真摯に労りの言葉を口にする。
珍しい事もあったものだ、と訝しげに視線を向けると細められる瞳。絆されてなるものか、彼の常套手段である『アメ』はご機嫌取りの一種だ。
「これからもよろしく頼む、。特別報酬はこの酒だ」
「別に特別報酬が欲しくて成果を挙げているわけではありませんが……それよりも休暇を下さい。私も若くないんですからそろそろ身が持ちません」
「憲兵団とは違い日々強靭な肉体に仕上げている調査兵が情けないことを言うものではないよ」
「ぐぬぬ」
ほらみろ。また私は休暇を手に入れることが出来ない。かれこれ1ヶ月以上休んだ記憶が無いのだけれども相変わらず情け容赦のない団長様である。
所属兵科を間違えたか。なんて微塵も思わないところが私のちょろさなのか。どうやら彼のご機嫌取りは功を奏したらしい。ちくしょう。
決して羽目を外す事なく、落ち着き払ったお酒の席。軽口はそのままに盛り上がる事もなく退屈なわけでもない雰囲気。
喧しい盛り上げ役が居ない時はいつもこうだ。歓迎会や打ち上げなど滅多に出席しない私はこの雰囲気が好きだった。無論賑やかなのも嫌いではないが。
静かなお酒の席と言うのは時として諸刃の剣となりうる。それを知っていながら共にグラスを傾ける心地よさに私は酔いしれるのだ。
弱いだけで嫌いではないお酒を舌で堪能しながら。口当たりのいい物ならば尚の事。
「これを飲み終えたら早急にリヴァイの所へ行ってあげなさい。彼は君が帰還し顔を見るまでは安心出来ないからね」
最後の一口を流し込み少しむせる。期を見計らって放たれた言葉だという事は容易に察する事が出来た。
彼は分かってて底意地の悪い言動をする。私の反応を見るために。面白がっているとは皆まで言わず。
「……エルヴィン団長、貴方はそれを言いたいが為にお酒を用意しましたね」
「勘の良い女性は嫌いではないよ」
「冗談は結構です。折角の美酒だというのに酔えるものも覚めてしまうというもの……」
「ははは。酔っ払ってリヴァイの下に行けばどうなるか、分からない君ではないだろう?」
「えぇ、貴方に雷が落ちる事は確定的に明らかでしょうね」
「そう怒らないでくれ。文章がおかしくなっているよ」
「貴方は私の酔を覚まして証拠を隠滅しようとしている……保身か、保身に走ったなこんちくしょう」
「単独任務で兵団を空けている間の彼を知らない君には分からないだろうな……本当に大変なんだ」
「具体的にはどのような?」
「まずがいつ帰ってくるか毎日聞いてくる」
「想像に難くないですね」
「そして日数を告げれば私に悪態吐く」
「はぁ」
「それに加え睨みが尋常ではない」
「はぁ……」
「ハンジにも八つ当たりをし始める始末だ」
「……全部いつものことじゃないですか。どこに変化が見受けられるのか分かりません」
「雰囲気がいつもの比ではないんだ。彼の苛立ちは兵団内全土を侵食する」
「はいそれダウトです」
「やはり通用しないか」
「あの人は周りに迷惑を掛けるような人ではありません」
「君と違ってな」
「それを言っちゃオシマイです」
ただでは転ばぬ男よ。土産にカウンターを拝領した私は団長室を出た。興が削がれたと言わんばかりに振り返ることなく。
「自分の発言に照れるとは……昔に比べて見違えたな、」
室内に残された彼がしみじみと零した言葉は、終ぞ私の耳に入ることはなかった。
♂♀
火照った体を冷やしながら廊下を進む。さして遠くもない目的地へ行こうとしていたのだが気が変わり聖域へ。不自然にも自然に方向を転換させる姿を見られていればさぞかし不審に映ったことだろう。
そんなしょうもない事を思いつつ自分の執務室の扉を開錠し足を踏み込めば室内は少し埃臭かった。
「今から掃除するのも億劫……」
別にゴミ溜めであろうと壁外であろうと睡眠をとる事は可能な私だ。後者は兎も角前者は慣れたもの。どちらも熟睡出来ないと言う共通点はあるけれど。
ならば多少埃臭くとも聖域で寝れば良いじゃないか、という言葉は最もである。しかし到底無理な話だ。何故ならこれからどっかの誰かさんに顔を見せに行かなければならないのだから。
「何故に帰って来てやる事が増えているのか……皆はもう少し私を労わるべき」
早く休ませて欲しい。紛うことなき本音だった。けれども、帰る居場所がある。剰え待っていてくれる人が居ると言う事は名状し難き幸福なこと。
それを身に沁みている私はなんだかんだ言いながらもお風呂に入り身支度を完了させるのだ。言葉と裏腹な態度は本心を表していること他ならない。
「帰ってたのか」
うつらうつらと寝間着のボタンを閉めていたら背後から声が掛かった。どっかの誰かさん自らお迎えに来るとはご苦労なことである。
もう少しゆっくりしていたかったのだけれど靴を鳴らし言外にさっさとしろ、と訴えてくるのだから素直に従う他ない。
「知っていた癖に白々しい」
「何を根拠に言ってやがる」
「私が帰ってきている事を知らなければ今頃部屋に居るはず」
「……たまたま通りがかっただけだ」
「隣室の先は行き止まり。しかもその隣室は無人。その手前にあるここを通りがかるとはこれ如何に」
「チッ……そこは何も言わず触れないのがセオリーだろうが」
「……むしゃくしゃしていた。反省はしている」
言葉を交わしながら屈み七分丈のボトムをはく。体勢を戻せば肩に掛かる重み。
「重い。退いて」
「お前の肩の高さは肘置きに丁度いい」
「そうだね。貴方の周りは高身長が多いからね――って重もももも肩が外れるっ」
疲れていると言うのに追い打ちか何かか。そうか。解放された肩をさすりながら物言いたげな目を向ければどこか遥か彼方に顔を逸しているリヴァイ。
何を考えているのやら、まぁこれも好都合。顔を近づけられたら飲酒しているとバレてしまうのだ。添い寝をするのだから時間の問題ではあるが。
「さっさと寝るぞ」
今度は後ろ向きに肩を組まれ連行される形になった。一歩間違えればヘッドロックだ。それよりも後ろ歩きは辛い。足を縺れさせながら抗議するも敢え無く却下された。
一体全体なんだと言うのか。耳元で暫し声を荒げればほんの少し振り返るのだがそれだけで――ふと、思い至る。
例え一杯であろうと飲んでない側からしてみればお酒の香りは分かるはず。それに酔いは覚めたかもしれないが呼吸をすれば鼻につくだろう。面と向かってはいないものの至近距離には変わり無いのだから。
なのに何も咎めないばかりか指摘さえもしてこないリヴァイに疑問を持った。だけどそれはこの人が足を止めた私を思わず振り返ってしまうという失態を犯した瞬間、判明することとなる。
「……貴方も飲んだの」
「あぁ……食後に、エルヴィンの野郎が」
やはりエルヴィン団長は腹の底が知れない人だ。というより用意周到というか頭の無駄使いというか。事前にちゃっかりリヴァイにも飲ませて反論を封じていたと言うわけで。
私の比ではない量を飲酒したであろうこの人からは素面の人間を酔わせてしまいそうな程、濃厚なお酒の匂いが漂っていた。
「してやられたねぇ……」
「らしいな」
お互い何も言えないのだから全てエルヴィン団長の思惑通りであるからして云々。いつの間にか手を引かれてリヴァイの寝室へ向かう道中、私は色々な意味合いを込めた嘆息を零した。
――かくして早々に布団に入った私はお酒の香りから逃げる様に背を向ける。久しぶりのふかふかなベッド、なんて堪能している場合ではないのだ。
背中にひっついてくる男からどうにかして逃げようと期を伺うも、私の思考など見え見えだと言わんばかりに寝技をかけられてしまえば文字通り手も足も出まい。
「お前も飲んでんだろ? 匂いなんざ気にするな」
「貴方と違って私は覚めちゃってるの。それに一杯しか飲んでないのだから貴方の濃厚な匂いが勝って酔う」
「酔っ払っちまえ。どうせ寝るだけだ」
「お願いだから喋らないで酔っ払い」
「酔ってねぇ」
「知ってる。このザル男」
「これじゃあ酔っ払いを盾にあれやこれや出来ねぇな……」
「前々から通用していない。私の気遣いという名のさじ加減で貴方が酔っ払いなのかそうでないのかは決まる」
「お優しいこって」
飲酒したリヴァイと添い寝するのは今後一切御免だと思いながら、結局睡魔に敗北した私は目を閉じる。
向き合って寝た方がお酒臭さは軽減されると学習したのは、強引に体を反転させられた事を理解するのも億劫になった微睡みと現実の狭間。
「俺を差し置いて他の野郎と酒盛りとは、感心しねぇな」
「先に飲んだくれていたくせに……よく、いう……」
「どうやらお前は分からねぇらしい、この複雑な男心が……嫉妬に狂っちまいそうだぜ」
「かれしづら……するんじゃあ、ない……」
だいすきな仲良し。リヴァイはそれ以下でもそれ以上でもない。そう思うのだけれど、この人が時折垣間見せる『感情』を察した時、ふと考えることがある。
エルヴィン団長が一歩前を行き手を挙げ命令を下し私が従うという関係ならば、この人と私の関係は一体どのようなものがしっくり来るのだろうか、と。
エルヴィン団長との様に上下関係を示唆する立ち位置なのか、それとも肩を並べ対等な人間として共に歩んで良いものなのか。
エルヴィン団長が土台である基礎を教えてくれたのなら、この人は応用を。その応用は木の枝のように縦横無尽に伸び、各々『意味』のある感情、事柄、経験。本当に様々なものへと行き着く。
私はこの人に、この人が相手でなければ知り得なかったであろう様々なものを教えて貰ったと思う。それはこれからも変わらないのだろうとも。とても幸福な事だ。そして同時に、申し訳なく思う。
対等な立場なぞと甚だ馬鹿げている考えではないのか。私はこの人に何が出来ているというのか。それでもやはり、エルヴィン団長とのような関係は想像できなくて。
分からない。しっくりくる関係とは。今は『だいすきな仲良し』で互いに納得しているから良い。でも――
「冗談の中だけでも、彼氏ヅラさせろってんだ」
――それも時間の問題だとどこか焦る私が存在するのも、確かだ。
♂♀
リヴァイとの関係はさて置き。あれから時を経て馬車に乗りながら指定された場所への道中、私は何故にある人物のプライベートの時間にまで介入せざるを得ないのか首を傾げる他ない。
いつもの事だけれども。何を隠そう、飲みに行ったエルヴィン団長のお迎えを頼まれていると言うわけで。いつぞやは鬱々とし部屋に引き篭っていたお陰で出来なかったが。
横切る通行人を視認しては手綱を引く。昔の経験が役立つと言えばこのように御者として馬車に乗る時だ。彼が出かける際は時折こうして護衛を兼ね馬を操る時もあったり、なかったり。
あぁ、任務ならば嬉々として御者にでも何にでもなろう。しかし。何故にナイル師団長との会食でもないプライベートな飲み会のお迎えに利用されているのか。非常に解せぬ。そのひと言に尽きる。
「・か。毎度の事ながらご苦労だな」
バーの前に横付けし店内へ呼びに行くかと腰を上げる瞬間、扉から出てきたふたりに足の力を抜いた。私を目にするなり髭を蓄えた男は鼻を鳴らしやがりまして久しぶりに会ったと言うのに随分な台詞である。
「団長の命令は絶対なので。てかいい加減フルネーム呼びはやめてくださいナイル師団長」
「ふん。ろくに顔も見せないお前に言われたくなどない。上官の前でくらい帽子を取ったらどうだ」
私は極力公の場、そして他の兵団にも素顔を見せてはならない立場である。と言うわけで深々と被ったキャスケットのつばを今一度引き下げ、煽るよろしく軽く会釈をしておく。
勿論いつもの軽口を添えて。
「うっす。私は貴方に忠誠を誓ったわけではありませんからね。必要性を感じません」
「小生意気な坊主だ。まったくリヴァイもそうだがエルヴィン、お前は部下にどういう教育をしている?」
実に優秀だろう?そう宣うエルヴィン団長の顔はどこまでも腹の底が知れない。恐らくナイル師団長も同じことを思っているだろう、彼らの付き合いの長さは私の比ではないのだから。
男と勘違いされているのを良い事に少し生意気でも許されるであろうその場の空気。エルヴィン団長が傍に居るということも相まりもっと煽っておくべきかと逡巡するも、いい加減怒られそうなので自重する。
根本にある真面目さを垣間見せてしまえばいざという時に不都合が生じてしまうかもれないのだ、それすなわち演技力大事。好きで生意気な煽りをしているわけではないと言い訳を今ここに。
「団長がお世話になりやしたー。貴方もさっさと帰って酒臭いと叱られてくださいねー」
「言葉が過ぎるぞ。公衆の面前で怒鳴り散らされたいのかお前は」
「お好きにどうぞ。憲兵団師団長サマの評判が悪くなるだけですが」
「これは教育だ。団員思いの良い上官と世間には映る」
「……左様ですか」
私服の御者のどこをどう見れば兵士だと思われるのだろうか。やはり酔っ払いの相手は疲れる。反論する気も失せた私はやれやれ、と肩を竦めその様子を睨めつけたナイル師団長はエルヴィン団長との挨拶をそこそこに足早に去っていった。
「良くやった、。彼は別れ際の絡みが面倒なんだ」
「はぁ……汚れ役は構いませんが、後々フォローしておいてくださいよ」
「次に会う時も君に迎えを頼もうと思っていたんだがね」
「堂々巡りってことですか、そうですか。諦めることにします」
エルヴィン団長が馬車に乗り込んだのを確認し馬を走らせる。今回は一頭立ての二輪幌馬車だ。従って乗員が真後ろに居るので会話がスムーズに出来た。
彼の護衛を兼ねている時などいち早く守れるように普段の四輪馬車とは異なるそれ。
「……俺はロクデナシの男、だな」
随分と酔っ払っているらしい、そんな彼が唐突に紡ぐ言葉を否が応にも耳にしてしまうという欠陥品である。なんつって。
「……貴方が私の前で弱気になるのは初めてではありませんか。素の自分を出すなぞとらしくない」
恐らくナイル師団長に何かを言われたのだろう、古くからの友人だからこそ言える事を。エルヴィン団長は立場ゆえになかなかどうして対等に発言してくれる人間が居ないのだ。
まぁ、幹部の数人は容赦なく言うのだろうけれど。私は悪態こそ吐けど流石にプライベートな事まで口出しをする事はない。超えてはいけない一線は弁えているつもりなもので。
「たまにはあるさ。そろそろ君に『団長の顔』をするのも億劫になってきたんだ」
「…………」
そんな私を揺さぶる彼に何も言えなくなった。本当にこれだから酔っ払いは。発言というものは時として取り返しのつかない鋭利な刃となりうると知りながら、私の反応を面白がっているに違いない。
今回は別に傷つくようなものではないにしても、ナイル師団長の発言を借りるのならば「言葉が過ぎる」と言う他ない。
「それもこれもリヴァイが意気地ない所為だな」
「その言葉は遠まわしに私へ催促していると受け取っても良いのでしょうね」
彼は私の前で団長として振る舞う。リヴァイたちを前にした時との口調とは違うそれ。一人称の違い。昔からそうだ。壁を作るだとか一線を引くだとか気心知れた仲だというのにつれない事をしているわけではない。
ただ、彼は。
「分かっているならこれ以上何も言わないさ……それはそうと、早く子離れさせてくれ」
なんだか良く分からない事を宣い、私を甘やかす。威厳を保ちながら。私からの敬愛と尊敬を蔑ろにしない程度に。決して甘やかし過ぎず、何とかには旅をさせろよろしく成長を見守る何者かのように。
だからこそ私はそれに甘んじ、そして頼りすぎず彼からの慈愛の籠る瞳を一身に受けるのだ。
「何も言わないという言葉は何処へ……貴方はいつから私のお義父さんになったのでしょうか」
今現在進行形での弱さに葛藤し引きこもるような危うい私ではなく、強くなって安心させてくれと。でないと子離れできない親のままだ。そう言いたいらしい。
彼の駒である私が強くならねば、駒よりも深い関係である腹心として扱えないと。
「さて……いつからだろうね」
背中に感じる無言の圧力に素知らぬ顔をして私は前だけを向き続ける。期待されている事は素直に喜ぶべきだ。
しかし素直に喜べない自分の不甲斐なさ。買いかぶりすぎだと一蹴してしまう罪悪感。この調子では恩を返し終えるのはいつになるやら、と嘆息をひとつ。
頬を掻く私の様子を見たエルヴィン団長は、責めるでもなくただいたずらに笑う。腹が立ったので馬の速度を上げれば今度は心底面白がる笑声が聞こえてきた。ちくしょう。後で覚えてろ。言外に威嚇する。
「、あまり揺らしてくれるな」
「思い切って全て吐き出してしまいましょう。明日の執務に支障が出ないように」
「私もそう若くないんだ、もう少し労わって欲しいものだな」
「その言葉そっくりそのままお返しします」
「ああ言えばこう言う……そんな子に育てた覚えは無いぞ」
「えぇ、貴方が私を馬車馬の如く働かせたお陰で性格は弄れてしまいましたよ。まったく……」
このようにふざけたやり取りをしながらも保たれた私たちの歪んだ関係は強固でありながら、至って単純なのである。
「私も早く……親離れしたいものですねぇ」
背後の座席で目を瞑る彼の気配を感じながら私は手綱を引き、馬の速度を落とす。それは父を労わる子のように。なんて、したことのない親孝行の真似事を。
いくら私が焦ろうとも団長の顔を剥がすのは当分先の話ですよ、と。親不孝ものな私は彼から聞こえてくる寝息に口角を上げた。
END.
ATOGAKI
ナイルさん初登場?顔見知りではありますが特段親しいと言う間柄ではありません。近所のおっさん。そんな感じ。
悪ふざけで言っていた『お義父さん』が実は割と本気だったという衝撃の新事実。冗談は兎も角、エルヴィン団長の一人称やらを書き分けていたのですがお気づきになられておりましたでしょうか。
主人公の前では決して『俺』とか『お前』とは言わないエルヴィン団長。主人公もまた彼に対して敬語を使う頑なな態度。一線を超えてはいけないのです。飽くまでも敬愛し尊敬する団長ですので対等な友人とはまた違う立場ゆえに。
いつか『団長の顔』は剥がすのでしょう。おそらくきっとたぶん。でもやっぱり友人ではないと思います。親子のようなもの。ふたり(または3人)は冗談で言っていますが。似て非なるもの。どこが単純なのか甚だ疑問。それを言っちゃry