She never looks back
―早く起きた朝は―
日の出る時間も早まってきたとある日の早朝。昨日の昼頃まで5日間ほどハンジの研究に付き添っていたモブリットは、開放感から早めの就寝に勤しみつい今しがた起床した。
半日以上寝ていた事に驚くべきか、寝ずの5日間であったにも関わらずたったこれだけの睡眠時間でよく起きれたな、と感心するべきか考えあぐねるも直ぐさま振り払う。
随分と良好な睡眠がとれたらしい、目覚めはスッキリ爽快だ。些か肉体的な疲労感はあるものの覚醒した目を瞬かせ起き上がり、順調に回り始める脳内で本日の予定を思い浮かべる。
午前中は通常業務、そして午後からは再び研究室に篭るのだったか。やれやれ、分隊長は本当に研究の虫だと苦笑をもらし。
恐らく数日に渡って行われるのであろう、ならばとその前に些か鈍った体を鍛えるべく立ち上がり屋内のトレーニング施設に向かうことにするのであった。
「……は、えっ!?」
着いてみれば先客が居た様でこんな早朝から熱心なものだと自分を棚に上げ驚いたものだ。しかし、その先客とやらの正体を視認した瞬間、思わず間抜けな声が出てしまった。
「兵長と、さん……?」
そこには片腕立て伏せをするリヴァイの上に鉄亜鈴を持ち座るの姿が。ふたりはモブリットに気づいているのか敢えて気にしていないのか、真剣な面持ちで筋力トレーニングに精を出していた。
「リヴァイ、もう少しゆっくり。筋肉に負荷をかけないと意味がない」
「…………」
「それとここ、肩甲骨……腕だけではなくこの辺りも意識して」
「…………」
「48……49……50……次、左腕」
「…………」
の指導する様な口ぶりはまるでトレーナーである。そして只管無言で従うリヴァイ。部屋の奥に見えるその光景は言い知れぬ異様さが漂っており、声を掛ける事を躊躇させた。
とその時、リヴァイがついていた腕を交代している合間にが顔を上げ漸くモブリットに視線を向ける。
「おはよう、モブリット君。君も筋トレを?」
「おはよう」
「おはようございます、おふたり共……目が覚めてしまったので」
「そう。筋トレは朝にするのが一番。私たちの事は気にせず、どうぞ」
「まぁお前なら問題ないだろう」
「はぁ……」
なんだかよく分からないが気になることこれ請け合いであるからして正直やり辛いと言うもの。恐らくこのふたりはモブリットの様に気にしてしまう団員を考慮して、人の出入りが無い時間帯を選び行っているに違いない。
どうしたものか。例えモブリットがこのまま筋トレを始めたとしてもふたりの邪魔にはならないだろう。ただ彼自身が気まずさを感じてしまうだけで。
かと言って回れ右をしてしまえば失礼にあたる。そればかりか遠慮させてしまったと傷ついてしまうかもしれない。モブリットなら問題無いと言ってくれたこの優しいふたりは。
ならば、己はこのままお言葉に甘えて気まずさを押し殺し筋トレを始める他ない。腹を括れモブリット。声は聞こえてくるがふたりは筋トレをしているだけのその他大勢の兵士。仲間。そう思い込まねば。
「リヴァイ、また上の空になってる。左右対称にしなきゃ見た目が不格好になるよ」
「んなの誤差の、範疇だ」
「私が貴方の筋トレに付き合い始めてから例えほんの少しだとしても質が落ちるのは耐え難い屈辱。真面目にやって」
「チッ……お前がベタベタ触るからジャックナイフに意識が――」
「なら筋トレ中は取り外しておこうか」
「バカ言え、二度と取り付けられねぇだろうが」
そうか。ただふたりが同じ室内で筋トレをしていると言う気まずさだけではなく、交わされる会話を聞かされる気まずさも含めての配慮だったのか。きっとそうだ。そうに違いない。
バーベルの重さを調整していたモブリットは悟った。何が気にせずどうぞ、だ。申し訳ないが気になるに決まっている。いや、頼むから先ほどの様にリヴァイが口を噤んでいればまだ耐えられると言うもの。
やっぱりもう帰ろうかな。未だ下ネタトーク紛いを交わすふたりを見遣ってはため息がこぼれた。
「そう言えばモブリット君。昨日の昼から寝通しだったと聞いたけれど、朝ごはんは食べたの」
油断していたら唐突に話を振られ思わず肩が跳ねるモブリット。まさかである。一体この質問にどういった意図があるというのか。
「いえ……まだですが……」
「それはいただけない、ご飯をちゃんと食べてからではないと筋トレは効率が悪くなる」
「申し訳、ございません……」
「余り物で悪いとは思うけれどここに茹でたササミと卵白のサンドがある。食べるといい」
どうやら怒っているわけではなく心配?をしてくれている様で。手渡されたサンドの乗る皿を見遣っては些か状況が飲み込めないモブリットである。
なんというかこういう時、という人間はつくづく真面目だと思うのだ。執務をしていたと思ったらハンジの元へサボ……熱心に巨人話を聞きに来たりするが、物事に集中し始めると完璧主義者よろしく集中力を発揮する。
突き詰めないと気が済まないタチなのだろう、やり遂げるまでの姿勢が真面目そのもので。そして何より先ほど言った『私が貴方の筋トレに付き合い始めてから云々』という台詞は責任感から来る言葉に他ならない。
筋トレの知識も態々勉強したのだろうか。食事のチョイス含め。この特殊な体をに仕上げなければならないらしいリヴァイの為に。どこまでも真面目だ。更にはモブリットにまでお零れであろうと気にかけてくれるなぞ。
「次は腹筋。仰向けになって。時間は限られている。今日はシットアップツイスト……上体を起こしながら捻る奴をやろう」
「早く足にその魅力的なケツを乗せろ」
「分かった鉄亜鈴をお望みなのだね。今置くから待ってて。ちなみに何メートル上から落とされたいのか希望を聞いてあげる」
「よせ、痛ぇだろうが。冗談だから早く乗れ」
あぁ男ならば誰しも羨むであろうその鍛え抜かれた体は素晴らしいと言うのに言動が一々酷い。モブリットは惜しげもなく曝け出されたリヴァイの上半身を見るも感動が薄まるのを感じた。
どうしてこうもを前にすると変態的な言動になるのだろうか。普段通りならば今より好感度も上がりやすくなる気がすると言うのに。いや、が特殊な人間だから合わせているのか。いやいや、彼はの前では素だと……もうやだ現実怖い。
モブリットは現実から目を背けるようにに視線を移した。彼女もノリの良いおかしな人間だが変態よりはマシである。
様子見も含め目を向けたその先にあったものは彼の肉体美に満更でも無い。誰もが羨むものだ、それは女性にも同じ事が言えよう。――しかし。何かが、違う。
「ここの外腹斜筋と腹直筋を意識して。ここだよ。そう、力を入れてもう一度。それでいい。力加減も最適」
触る。結構触る。遠慮なく触る。その手つきはそっと撫ぜる様に、決して不躾なものではなく控えめ且つ大胆に。余すことなく堪能するかの如く。
指示する部位に指を当て、そのまま割れ目を沿う摺動は割れ物を扱うかのように繊細だ。これ即ちまるで見てはいけないものを見てしまった様な気にさせる触り方だった、と。
いくらリヴァイの筋肉が素晴らしいからと言って不自然ではあるまいか。
「お前……狙ってやってんのか?」
そうとしか言い様がない。この時ばかりはリヴァイの言葉に同意せざるを得ないモブリットである。思わず食べていたサンドに噎せた。
「そんな事はない。これは飽くまでも貴方に意識させる場所を意識させているだけ」
「そうか。やりすぎると本当にジャックナイフも意識しちまうから程々に頼む」
納得してしまうのか。そうか。彼はハンジの言う通り鈍感なのかもしれない。ともあれまた通常通りの会話に戻っているわけだが。
「その時は切り取ってあげるから安心するといい」
「どう安心しろってんだ。取り外すよりエグイじゃねぇか」
「ほら、集中して。またここ、そう。ここが疎かになっている」
しかしやはりの手つきは相変わらずの、なんというかいやらしいもので。そればかりかリヴァイがトレーニングを再開させたかと思えば彼女の視線は只管腹筋へと注がれる。
――凝視だ。穴が空く程とは言うが実際に空いてしまいそうな勢いである。きっと筋肉の動きを観察しているだけに違いない。責任からくる真面目さゆえに。目視しながら監督責任を。そう思いたい。そう思わずにはいられまい。
例え心なしか瞳に恍惚さが垣間見えようとも。て言うかいい加減に気付いてください兵長。貴方の筋肉に穴が空いてしまいます。モブリットは筋トレを開始しようと持ち上げたバーベルをそのまま元あった場所に戻した。
「捻り方が甘い。そんな調子じゃ貴方の戦い方に支障が出かねない。『監督する』私の為にもしっかりやって」
「チッ……、いちいちうるせぇ、な……」
「目指せ強靭な肉体。筋力増強」
「骨密度も、上げねぇと、意味ねぇだろう、がっ」
「それは別メニューを用意してあるから問題無い」
そう言えば腕立て伏せの時も背中(筋肉)を凝視していた気がする。そう意識し始めると見えてくるものはの意外な一面であるからして正直知りたくはなかった現実だ。モブリットの中でのイメージが色々な意味で変化したという。
「49……50……っと。ハァ……3セット終わったから今日はここまで。骨密度を鍛えるのは3日後……超回復大事」
暫くののち、リヴァイの筋トレは終了した。言わずもがな付き合っていた事による疲労感を醸し出しているだが、知ってしまったモブリットは残念そうにしていると分かってしまう。残念なのはこっちだと言いたい。
何が嬉しくて、タオルを渡し見納めだと言わんばかりにリヴァイの上半身を見つめては右腕を抑えているを見てしまわなければならないのか。あぁ、触りたいんだなこの人。こんな真実、知りたくはなかった。現実怖い。
「1時間はあっという間だった……貴方には物足りないかもしれないけど我慢して。過度なトレーニングは返って効率が悪い」
「あぁ」
「それと就業時間ギリギリまで汗を流さないように……筋トレした直後の入浴は厳禁。回復の妨げになる」
「あぁ」
もう本当にトレーナーと化しているに感服する他ない。これで垣間見える下心が無ければ完璧なのだが。
「1時間前からって……4時半から行っていたんですか?あの睡眠に貪欲なさんが……」
「何言ってるの。昨日は21時に寝た。睡眠した時間は十分と言うもの」
「……お前3時には起きてただろうが。たった6時間の睡眠でよく起きれたな」
「(6時間でも十分すぎます……いや、そこじゃない。そこじゃないんだ俺。この人が早起きをした事が問題なんだ)」
トレーニングのメニューを確認していたのか、はたまた。深くは掘り下げまい。これ以上という人間像を壊したくは無いのである。楽しみにし過ぎて起きてしまったなぞと、そんな。
リヴァイが着替えてくると言って更衣室に入って行くのを見計らい後片付けをし始めたにモブリットは疑問を投げかけた。無論、早起きの理由についてではない。
ただ、己が見たの本心が知りたいが為に。もしかしたら勘違いかもしれないのだ、彼女が筋肉好きという趣向を持ち合わせているゆえに変態的な行動を取っていたなぞと。決して私欲ではなく責任感からくる真面目さなのだと。
これは願望に近いかもしれない。是が非でも気のせいであって欲しいのである。
「凝視しておりましたがさんって実は……物凄く兵長の体がお好きなのでは……?」
「別にあの鍛え抜かれた逞しくも美しいリヴァイの筋肉の筋をひとつひとつ余すことなく舐め回したいなんて思ってない」
「……え?」
「……舐め回すように見てなんていない、と言いたかった」
「さ、ん……?」
かくしてトレーニング施設を後にするふたりの背を見送りながら、モブリットは快眠の清々しさが精神的な疲労に上塗りされた事を嘆いたと言う。
これから半日休暇を申請してもうひと眠りでもしようかな。もう疲れた。そんなつぶやきは誰も居なくなった室内に霧散した。
「――と、言う夢を見たんです」
「モブリット……それは本当に夢だったのかな?もしかしたら現実から逃避してるだけかもしれないよ?」
「……え?」
END.
ATOGAKI
『夢の中のあの人は例え胸ぐらを掴まれようともそのまま持ち上げられようとも剰え投げ飛ばされようとも蹴られようとも殴られようとも抱えられようとも首固めを決められようとも、
痛がりはするも怒らないのはあの鍛え上げられた逞しい筋肉から繰り出される攻撃ゆえに何だかんだ言いつつ嬉々としてそれはもうマゾヒストもびっくりな程喜んで受け入れているからなのではなかろうか。寝技然り。』(モブリットの手記より一部抜粋)