She never looks back
― 彼女の想い 確認編:中 ―
「――てな感じで安く仕入れてきたってわけでさぁ」
「オイ、口調が戻ってるばかりか最後の締めが些か強引すぎやしねぇか」
「気のせい。きっと気のせい。かっこよく回想してもいいじゃない人間だもの」
「……お前がそれでいいなら構わねぇが」
「お願いだからボケ殺しはやめて辛い」
見るからに晴れ。どこをどう見渡しても雨雲ひとつない空の下。とリヴァイは訓練を途中で抜け、発注した食材が届く時間帯というわけで本部門前に待機をしていた。
暑さも些か厳しくなってきた今日この頃。雲間からふたりに降り注ぐ陽の光は容赦がない。しかしそれでも彼らは汗ひとつ滲ませることなく涼しい顔つきである。
壁外であろうともあまり汗をかかないふたりだ、日差し程度で揺らぐような微温い鍛錬は積み重ねてはおりますまい。なんつって。
「それにしても遅ぇな……予定時刻を30分も過ぎてやがる。大方クソでも――」
「ほら、言ったでしょ。天候に左右されるって」
「雨風もない、ましてや嵐でもねぇ天気で左右される店か……そりゃただ時間にルーズなだけだと思うが。客商売してる人間がそんな適当で大丈夫なのか?」
「大丈夫、問題ない、はず」
「信ぴょう性皆無だな」
「いやでもオヤッサンは時間に律儀だったはず……給料日は守らないけども。何度訴えても彼は人の話を聞かないからね」
「大丈夫とは思えん、問題しかねぇだろ」
腕を組み佇むふたり。これでは待ちぼうけであるからして何か行動を起こした方が手っ取り早いのでは、と思案するも会話が途切れる様子はなく。
腰に下げた鞘が退屈そうに刃とぶつかり金属音を響かせるのであった。
「ちくしょう。1割上乗せしたと言うのに恩を仇で返された気分だよ」
「回想を聞く限りプラマイゼロだった気がするが……お前らの信用問題とはなんだったのか」
「いやいや、お酒と燻製の追加分は別料金で結局のところ事実上2割引のお値段になった。手間賃なんて高が知れてるうえに当初の計画より大損であるからして……」
「わけのわからん関係だな。それはそうと打ち上げ費はどうなる? いつも任務時には経費を余らせて帰ってくる奴がギリギリのやりくりするなんて珍しいじゃねぇか」
「私を誰だとお思いか。発注した中に打ち上げ分はちゃんと含まれているよ。残った資金は言わずもがな――」
「明日の見出しは決まりだな。『調査兵団単独部隊長、まさかの横領疑惑』」
「やめて。オヤッサンに顔向け出来なくなる。余ったお金は打ち上げ二次会費にあてようかなと思っていたのです。いやマジで」
「ならよかった。お前が資金を懐に入れる姿を見なくて済むらしい」
「横領を疑われるなんて私たちの信用はいづこへ」
そうこうしている内に更に20分が経過した。盛り上がるでもなく淡々と雑談に興じていたふたりだったが、流石におかしいと思い始め動く。
取り敢えず厩舎から馬を調達し街路へと走らせ、そう遠くはない道中ルートを脳内で割り出しながらリヴァイを先導するが見たものとは。
「白昼堂々賊に襲われるとは……年貢の納め時はオヤッサンだったのかな」
「憲兵の目も届かねぇ森の中は恰好の狩場だ。呑気なことほざく暇があったらさっさと追うぞチビスケ」
「華麗なるブーメラン。チビって言ったほうがチビなんですーこのチビオヤジ」
「お前ブーメランに挟まれてるぞ。自分で自分を挟み撃ちにしてるぞ。むしろブーメランはお前を中心に回っている」
「いや、私の周りを旋回してるとなればいつまで経っても当たらないわけで」
「シュールだな」
「シュールだね」
横転する幌馬車、手傷を負い蹲る店の従業員たち。そこにオヤッサンの姿は無く駆け寄ったふたりは事のあらましを問う。
聞くところによれば数刻前に突如として現れた賊に襲われ、荷を奪われた挙句抵抗むなしく手酷い仕打ちを受けたらしい。
オヤッサンは最後まで戦ったが森に連れ込まれ行方は分からないとのこと。
どこで嗅ぎつけたのか酒と肉を根こそぎ盗られているところを見るに、計画的な犯行だった事は明らかだ。
このご時世、それらは荷の5分の1程度の量だが金額はその数倍にも及ぶ。仕入れ時にでも目をつけられたか。何はともあれ卑劣極まりない。
「貴重な食材……資金は民衆の血税で賄われているとはいえ命を賭して戦う調査兵にせめてもの労りをと量を増やし2割も値切ったにも関わらずそれを奪うたぁどういう了見だちくしょうめ……」
「何故だろうな、胸を張って言えることじゃねぇ気がしてきた」
「憲兵の豪遊には足元にも及ぶまい……! 肉と言ってもひとりひと欠片な計算なわけで!?」
「それ以上はよせ、逆に虚しくなってくる。高級レストラン育ちのお前には分からん感覚だろうがな」
「会食だなんだといい物食べてる貴方も同罪だね。まぁ、貧困さでは貴方に勝てる気がしないけども」
「この話はやめだ。はい忘れた。俺たちは今この時をもって忘れたぞ」
笑えない冗談はさて置き、立体機動装置の操作装置を手に取るふたりは間を開けず引き金を絞り、道を外れた木々の生い茂る森林へと飛躍する。
もっと早く駆けつけていれば。何故オヤッサンの危機を察する事が出来なかったのか。
いつでもどこでも全ての事柄を自分の所為と変換してしまうマゾヒストはギリリと奥歯を噛み締めながら焦る気持ちを抑え、冷静に賊が通ったであろう痕跡を発見しては速度を早めるのであった。
――それから数分と経たず賊に追いつく事に成功する。と、言うより彼らの根城が予想外に近場にあったと言うべきか。
僅かに開けた場所にそれはあった。煙突から煙が上がる小屋、複数の荷台、繋がれた馬。
そこはかとなく漂う香ばしい匂い。疑う余地さえ与えぬ明瞭な証拠のオンパレードに拍子抜けもいいところである。
ふたりは地に降り立つと足音を忍ばせ遠巻きに辺りを伺った。
「正面突破と行きますか」
「こんなちいせぇもん……どこから突入しようがそう変わりがない気もするが」
「あれだよ、玄関からお邪魔しようと言いたかった」
「流石は高級レストラン育ち、行儀の良さは備わっているようだな」
「私の真髄はテーブルマナーにある」
「安心しろ、兵団内の誰よりもお前(の作法)は美しい」
「なに、私の美貌を今更褒めるなんて乱暴する気でしょう、青少年のバイブルのように」
「屋外プレイを所望するとはとんだ淫乱女だ。これをなんて言うか知ってるか? あ――」
「言わせないよ!? 最近は珍しく下ネタ言わないと思った矢先にこれだよこの変態チビオヤジ」
「言いだしっぺはお前だろうが……その上どさくさに紛れて混ぜるな。変態に身長は関係ないだろ。いや、女は低身長ほど性欲が旺盛と聞く……まさかお前……!」
「なにその衝撃の新事実に驚いちゃった、みたいな顔。全人類の低身長娘に謝れ。全力で謝れクソ野郎」
「すまない」
「やだ何この人いさぎよい」
木陰から場所を移し、窓を避けて小屋の壁に背をつければ立体機動装置がぶつかり音を立ててしまうので出入り口の前に立つ事にしたふたりは、尊大な面持ちで鞘から刃を抜いた。
御用改めである。互いに顔を合わせ頷くとリヴァイが扉を蹴り破った。
「な、なんだてめぇら――って、調査兵だと!?」
大層な破壊音に驚き出迎えた賊が手に持つ包丁を落としそうになるも、ふたりの正体を把握すると威嚇するかの如く構えなおす。
それを横目に室内を見渡してみれば数人の男が食卓に鎮座していた。
どうやら今からご馳走にありつこうとしていたらしい。簀巻きにされているオヤッサンは前菜とでも言うつもりなのか、まるで生贄よろしく彼らの目の前に寝転されていて。
「食べ物の恨みはそれはそれは恐ろしいと聞きます……覚悟は出来ていらっしゃると思いますのでサラッととっ捕まえさせていただきますよ」
剣を構えるでもなく飄々と宣うだが、醸し出す剣幕は殺意にも似た牽制だ。賊たちはのっぴきならない雰囲気にたじろぐも静観を貫くつもりらしい。
「“いただきます” とはどこまでも礼儀正しいじゃねぇか。丁度焼かれた頃合の肉もあるからと気張りすぎだ」
と、いうよりも次いで発せられたリヴァイの言葉に固まっている模様。茶番である。
「違う。断じて違う。食前に感謝を述べる意味で言ったわけじゃない。ただの敬語だったのに貴方の所為で格好つかない事になったじゃんどうしてくれるの」
「まぁ落ち着け。玄関と間違えて裏口から突入しちまった時点で格好ついてないからな」
「道理で調理場が隣にあるわけだよ。剰えエプロンして包丁持ってる賊さんに出迎えられているわけだよ。別に私たちは酒屋の配達員さんじゃないのにこんちくしょう」
オヤッサンよりも食い気を優先させるの気迫はしょうもないやり取りに霞む。これは由々しき事態である。
穏便に済ませたいという気持ちは微塵も無いが、後処理が面倒であるからにして云々。
の脳裏に証拠隠滅の四文字が過ぎるのであった。冗談である。
「久しぶりの食事だってのにクソッ……! 衣食住が約束されてるてめぇら兵士には分かんねぇだろうが俺たちはこんなご時世、働くことも生きていくこともままならねぇ貧困層なんだ!
それを、てめぇら兵士は……グスッ」
コント紛いのやり取りをしている合間にわらわらと裏口に集まってきた賊たちは、エプロン姿の男を筆頭に眉を曇らせ俯き始めた。これはどういう状況だ。
「…………」
「…………」
呆然と立ち尽くすふたり。前方に半円を描くように集う集団。響き渡るすすり泣く声。は思う。マッチョに囲まれてしまった、と。
それは兎も角お涙頂戴もびっくりな突然の流れにタジタジである。
どうやら立場が逆転したらしい。固まるふたりを余所に賊たちは尚も続けるのだ。
「もう……抵抗する気力も体力も残っちゃ居ねぇよ……とっ捕まえるなりなんなりしろや……例え焼かれようが煮られようが獄中で食事にありつけんならそれでいいかもな……」
「…………」
「…………」
「おいお前ら……店主を解放してやれ。別にとって食おうとしてたわけじゃねぇ、着いてきちまったからせめて飯食うまでは大人しくしてて欲しかっただけだからな……もちろん食後は逃がすつもりだった……」
「…………」
「…………」
シャツが筋肉でパツパツになってしまっている賊たちは俯く顔をそのままにオヤッサンの縄を解こうと動き出す。これはもうアレだ。なんだか悲しくなってきたふたりである。
「ねぇ、リヴァイ」
「皆まで言うな。お前の考えは手に取るように分かると言ったはずだ」
「捏造だめ、ぜったい。そんな事言われた覚えは無いのだけれども」
「些細な問題は偏に風の前の塵に同じ」
「お言葉を返すようで申し訳ないのですが私たちの関係は塵に等しいと、そういう事でありますか」
「バカ言え、塵は見えるだろうが。俺たちは目に見えない得体の知れねぇもんで繋がってる」
「言葉選びに悪意を感じた」
もはやオヤッサン救出も食料奪還もどうでもいい。興が削がれたと言うべきか、脱力してしまいリヴァイにいたっては戸口に寄りかかる始末。
やれやれだ。体格の割にはしょんもりとこうべを垂れさせる情けなさ漂う賊たちを眺めながら、は操作装置をそのままに剣を鞘に収め呟いた。
「……焼かれてしまったお肉は我慢するとしますか」
開け放たれたままの扉から風が吹き込む。それはリヴァイとの髪を泳がせると共に肉の焼ける香りを外へと逃がした。代わりに運ばれてきたのは男臭さ。
一瞬の事ではあったがにはお肉の香りの方が好みだと思った。
なぞと暢気な事を考えている場合ではなく、これはお情けなぞという偽善ではない。
腹を空かせた賊たちに大事な肉は焼かれ今まさに食べられようとしていたところに、どこか自分を重ね見てしまったのかもしれない。
は元々高級がつくほど立派なレストランの出身だ。しかし悪意ある思惑に翻弄され、身を削る3年を過ごした経験がある。
それ以前から虐待され飢えとはいつも隣り合わせだった。
(貧困層……弱肉強食……これだからマッチョは……お肉食べなくとも十分逞しいじゃないか……)
当時は壁内の陰の部分を散々見せつけられては己もその内のひとりであることに畏怖さえ感じた。
全てを諦めたかのような瞳で殺されていく人間、ご馳走を前に無念の死を遂げる者たち。怖かった。心の底から湧き上がる恐怖は体の震えを止める事を許さない。
だからこそ我武者羅に身を粉にして働き、己の存在を確かめようと足掻いた。
震えを押しとどめるように。忘れるように。悪意に満ち満ちた世界の中で淘汰されぬように。
――何をして何の為に生きるのか。
月日を重ねる毎に疲弊にのまれていく感覚。心に積もる虚無感。いくら崩そうとも崩れないそれはを蝕み。
――それでも私は、死にたくない。何もせず、何の為に生きているのかさえ分からないまま生を手放す事が何よりも、恐ろしいと思うのだから。
どんなに疲れ果てようとも、恐怖に押しつぶされそうになろうともは生き続けた。どんな手段を用いようとも、誰かを蹴落とそうとも。
ただ、そんな最中で決してやらなかった事がある。これだけはしてはならないのだと。してしまえば己は己でなくなると直感にも似た危惧。
吐き気をもよおす程の嫌悪感。それは――『同情』と無様な『三文芝居』だ。
「……酒は持ち帰る気か。抜け目ねぇな」
「これでも譲歩したつもり。私は慈善事業家じゃない。団員と民間人なら団員をとる。それに――」
は僅かに目を眇め、目の前の光景に嫌悪した。
「――お酒の肴にもならない茶番は、好きくないもので」
ふたりの視界の先には縄を解か晴れて自由の身となった店主。しかし彼はそのまま賊に捕らえられ首元にナイフを突きつけられていた。
「悪いが食料は渡さねぇ、むざむざと捕まる気もねぇ。こいつを死なせたくなかったら巣に帰りな。巨人に喰われたがりの変人どもが」
室内は一瞬で緊迫した空気に支配された。動いたら殺す。武器を構えた賊たちに囲まれてしまったふたりは、指一本でさえ動かすことを許されない状況に陥ってしまう。
しかしながら口は封じられていないと言うわけで、のそれからは相変わらずの軽口が発せられるのだが。
「……こちらも人質を捕るとかどう」
「やめておけ。二番煎じはたとえ冗談だとしても、それこそ酒の肴にもならねぇ」
「そう。じゃあここはひとまず撤退する。オヤッサンを殺されてしまうのは本意じゃない」
「珍しい事もあったもんだな。お前が素直に従うとは……」
「はい、まずはお手を拝借。ハンズアップよろしく」
降参の意を示すように両手を上げるにリヴァイも倣い、ふたりは後ずさり外に出た。敷居を越えた先に見える光景は戸口を堺にどこか他人事のように映るも、ふたりは正真正銘当事者であるからして呑気なことを思っている場合ではない。
「オヤッサン……達者でな。成仏しろぃ」
剰え賊の手から逃れようと藻掻く店主に向かって言い放った言葉は薄情のひと言に尽きた。
「な……!? 兵士さんそりゃないぜ!?」
「人質とられちゃ文字通り手も足も出ないもんで潔く諦めてくだせぇ」
「仕事しろや、この税金泥棒が!!」
助けに来たかと思えば早々に撤退していくなぞ一体全体何をしに来たのだろうかと首をかしげる他ない。
無情にもハンズアップされた右手が左右に振られ、いよいよ別れの時がやってきたと言うわけで。
「あばよオヤッサン」
そしてついに、裏口の扉は閉じられた。
「…………」
「こりゃ傑作だ。装備は万全の癖に人質とったら早々に見切りつけて帰って行きやがったぜ。これじゃ税金泥棒と言われても仕方がねぇな」
窓の外を見遣れば背中の自由の翼が木立に消えていくところだった。賊たちは息を吐き食卓へ戻る。
その様子を横目に、脱力し抵抗する気も起きなくなった店主は手のひらを握り締め――
「どうしてこうなっちまったんだ……」
――私の勤務先をよろしく。ではまた後日。
「……チビスケェ、今度はいつになったら会えるんだろうなぁ……」
店主が己の死期を悟るや否や、脳裏を過るのはあの無表情でいて揺るぎない瞳を持つかつての仲間。視界が滲む。頃合の肉を食卓に並べ始めた賊たちの笑声が心底耳障りだった。
「おめぇの『大きくなった姿』を……ひと目だけでも見てみたかったのによぉ……バカ野郎……」
そう言えばさっきの小さい兵士も終始無表情ではなかったか。口から出てくるのもふざけた物言い。終いには。
――オヤッサン、達者でな。成仏しろぃ。
昔は、否、つい先日。耳にしたばかりの声と口調。店主は涙が枯れるほど瞠目し、はたと気付くのだ。
(人質をとられた状況下でも平然とするあの態度。何食わぬ顔で冗談めいた発言をする肝の据わり方……そうか。そういうことだったのか)
ゴクリと唾を飲み下す。今ならまだ間に合うだろうか。本当に見捨てられたのでなければ、あいつはきっと。蘇る記憶。敵を欺き味方さえも欺く手法はの常套手段だ。
本心をひた隠し、脳内で組み立てた作戦を仲間にさえ口外せず商談相手と渡り合うやり口。
そして最後には終わりよければ全て良しと言わんばかりに涼しい顔で契約を取ってくる、そんな人間だった。
ならば。
店主は賊たちが目の前のご馳走に気を取られている間に立ち上がり、駆け出した。玄関へと。小屋の外へと。背後から慌てて追いかけてくる気配がするも、構うことなく駆け抜ける。
扉を開け敷居を跨ぎ、荷台を避け。自由の翼が消えた場所を目指し、そこで見た光景は。
「……なんでぃ、オヤッサン。あんたが出てきちまったら作戦が台無しでさぁ」
小屋の壁際に山積みにされた薪の束へ放火しているの姿であった。
「おめぇチビスケ! 山火事にする気か!?」
「どいつもこいつも同じこと言いやがって……ここは山じゃねぇやい」
更には事もあろうにどこから出してきたきたのか分からない筒竹を口から離し、意味の分からない事を宣う。
背後で腕を組み佇んでいるリヴァイが他人のフリを決め込んでいるが無駄な足掻きな事はいわずもがな。
店主は今一度瞠目しては呆れ膝をつきたくなりそうになったという。だが賊が追いつく事によって緊張を走らせた。
「うおっ!? てめっ何してやがる!?」
「……炙り出し?」
「肉か!? 俺たちが肉に見えたのか!?」
「安心してください、焦げないように火加減は調整するつもりでした。こう見ても料理には自信があるのですよ」
「そういう問題じゃないよな!?」
の足元でモクモクとあがる煙。そろそろ炎が見えてきそうな勢いである。火事になるのも時間の問題かと思われたがリヴァイの蹴りによって鎮火され事なきを得た、という余談をば。
硬直する店主と憤りを顕にする賊たちの間に身を滑らせるふたり。これで人質をとられる心配は無くなった。真正面から対峙する一同に木枯らしが吹き抜ける。
状況は相変わらずの多勢に無勢、気が大きくなるのもわけない賊たちはニタリと笑うと武器を構え。
「憲兵でも呼んでくると思っていたが、暢気に焚き火か? 俺たちをとっ捕まえるにしてもたったふたりで放火以外に何が出来るってんだ?」
「お肉を上手に焼く事ができます」
「、そのくだりはもう十分だ」
冗談に付き合ってられるか。賊たちは一斉に身構えると襲いかかってきた。相手はふたりだ、店主もろともあの世に送ってやる。
まずは一番弱そうなに狙いを定め一歩出るのだ、がしかし。
「リヴァイ、オヤッサンは任せて。後は頼んだ」
迫り来る賊たちを目前に後方へ退き、すたこらさっさと森へ向かう。店主は腕を捕まれ引きずられるように後に続く。これはどういう状況だ。その場の誰にも分かるまい。
「やはり作戦を聞いておくべきだったか……」
もしやアドリブなのだろうか。それにしても仲間を置き去りにして逃げるとは非人道的なのでは。
気を取り直して賊たちは取り残されてしまったリヴァイへ襲いかかるも、攻撃が当たらずもどかしさを募らせる結果となった。
立体機動装置という枷にもなりうる重い装備をものともしない動き。さも身軽そうに攻撃を避けては鋭い一撃を繰り出す。そんなリヴァイに賊たちは次第に恐れ動きが鈍くなっていく。
そして、剣を抜いたリヴァイは更なる恐怖を煽るのだ。賊たちが躊躇する様子を見逃さず合間を詰めながら刃の背面を振るい――その場にひとり立つ。
「クソみてぇな芝居を打つのは勝手だが、あいつの前ではやめておけ……単独だったらケツ毛まで毟り取られてたかもな」
己も腹を据えかねて居るとは口にせず、遅すぎる忠告を今ここに。
―― 一方、森の中へと退散すると店主はある程度進むと足を止めた。追っ手の気配はない。一気に従業員のところへ戻っても良いが息を切らす店主が辛そうだ。
は彼を木の根に座らせ幹に寄りかかった。
「まさかおめぇが調査兵になってたなんてよ……人生どう転ぶか分かったもんじゃねぇな」
森林の清浄なる空気。穏やかな風が木漏れ日を揺らすそんな中、無言のを見兼ね呼吸を整えた店主が口を開く。
乾いた笑いの混じるそれは気遣いというよりも真偽の程を見極めているように聞こえた。
「騙すつもりはあった。反省はしていない」
「……理由を聞いてもいいか? 何故兵士に、あろうことか死にたがりの変人集団に入っちまったのか」
冗談を返したつもりが華麗にスルーされてしまうもにしてみれば慣れたものである。更には性懲りもなく冗談を重ねる始末で。
「何言ってんでぃ、ぼかぁ元から変人でさぁ」
「その口調も演技だったってわけか。おめぇにはホント驚かされてばっかりだ。悪気ねぇのが救いか……おめぇなりの処世術ってやつなんだろうな。一体どんな育ち方すりゃそうなれんだ?」
「……本当は本部の門前で出迎えてタネ明かしサプライズを仕掛けるつもりだったんですけどねぇ。全部台無しにしてくれちゃってまぁ……」
「おめぇがなんとしてでも話をはぐらかそうとしている事は分かった。人間誰しも言えねぇ事なんざ山ほどあるしな、聞かねぇでおいてやんよ」
会話が噛み合わない事に苛立つ店主ではない。なりの遠まわしな拒絶だと知っている。それゆえに今度こそ正真正銘の気遣いを提示するのだ。
冗談で茶を濁す性格は相変わらずだと懐かしさを抱きながら。弄れた性格も瞳で本心を語る癖に、それさえも悟らせぬよう芝居を打つ狡猾さも。
一体どれが本当のなのか、こればかりは一生かかっても解明できないのだろうと再確認させられた瞬間である。
「私は大切な人たちを、守りたいだけです」
不意に紡がれた言葉。まさか心の内を教えてくれるとは思ってもみなかった店主は思わずを見上げた。
明後日の方に顔を向けている彼女は視線を感じているであろうとも目を合わそうとはしない。
嘘か、誠か。昔のを鑑みれば冗談のひと言で一蹴できただろう。しかし店主は笑うのだ。
「全く以て嘘くせぇな。へそで茶が沸かせるぐれぇ甚だ馬鹿げた冗談だ!」
腹の底から湧き上がる衝動。それを止めることなく身を委ね肩を震わせる。あの無表情で金勘定に即物的だったチビスケが、誰かの為に戦うなぞ。
慈悲も慈愛も持ち合わせていないような、それでいてどこか危なっかしさを感じさせていた人間が、一体何を。
利己的で勝負事にも手心加えることなく人を欺き技術を盗む。この界隈の人間の間ではちょっとした有名人であると同時に心底敵には回したくはないと思ったものだ。
目的のためには手段を選ばない冷酷無慈悲な小童。濁る瞳で何かを求めるように、されど何かを捨てるように生き、一匹狼よろしく居場所を転々とする根無し草。
そんな人間は珍しくもない。この壁の中の世界には吐いて捨てるほど存在する。地下街にはもっと卑劣で悲惨な人生を歩む者も居る。
はまだ良い方だ。地上に住み職や生活に不自由した事は無いのだから。しかしそれは彼女が身を削る思いで身につけた処世術があったからこそ。
何故そんなに生き続ける事に執着するのかは知らない。何故そうまでして生きる術を学んだのかも。見え隠れする影の正体も何もかも。
知らないことばかりだ。だが、培ってきた関係は冗談であろうとも信用に足るものだと身に沁みている。
「ご存知の通り、私は冗談が大好きなのですよ。まぁ……勝手に守らせてくださいよ、オヤッサン」
まるで全てを拒絶しているような、何もかも諦めたかのような虚無を写す瞳。昔と変わったというのならそれは今、一体どのような感情を宿しているのだろうか。
「バカ野郎、おめぇに守ってもらわなくともこちとら汗水流して勝手に生を謳歌してんよ」
「流すのは涙でしょう。さっきも涙目だった癖に強がっちゃって」
「るせぇ、忘れてくれや」
あれから行方をくらませて幾星霜。はどのような物を見、どのような苦難を強いられてきたのだろうか。店主には彼女が歩んできた道のりを知ることは出来ない。
剰え心の内を計り知ることなぞ、到底無理な話で。
「おめぇはどんなに貧困層の悲惨な光景を見ようが、間接的にでも他人を蹴落とすことになると分かっていようが眉ひとつ動かしたことはなかったな。だが――」
これだけは知っていた。表情が崩れなかろうが、眉を動かさなかろうが唯一揺れ動く瞳の存在を。全てを拒絶しているようでいてその実誰よりも――恐怖に震えていた事を。
どんなに芝居を打っていたとしても、垣間見えた本心は詰めが甘いと言わざるを得ない。否、それが当然なのだ。何故なら。
「当時のおめぇはどんな生き方をしてきた人間であろうとも達観した考えを持っていようとも、10代そこらのガキだったんだ。今ではもうガキだなんだと言ってる場合じゃねぇ時代になっちまったが……良く生き抜いたよ。大した奴だ」
地上で生きてきたと言っても、が身を置いていた環境は『普通』ではなかった。
けれど、それでも彼女は泥まみれになろうとも手を汚そうとも、死に物狂いでただひとり生き抜いてきたのだ。
それが事実に他ならない。何の後ろ盾もなく、自身の力で店主を含め様々な『関係』を築き上げ処世術を学び。
「何を仰るのです? 私が育ってきた環境は――恵まれていましたよ」
そんな人間が今では調査兵になっているときた。更には利己的ではなく、利他的に物事を考えられるようになっているなぞと一体何が彼女を変えたのか。
いつか教えてくれる時が来るだろうか。なんて、待つだけ無駄かもしれないが。
「そりゃそうだ! なんてったってこの俺に出会うことが出来たんだ、恵まれてなかったなんぞ言わせねぇよ!」
「……違いない、ですねぇ」
しかしそれでも良かった。目の前には昔より人間味に溢れ、立派に成長した姿がある。それだけで。
「知ってっか? お前が真面目な顔して見てた新聞……ありゃ何週間も前のものなんよ。俺のお気に入りでなぁ、珍しく調査兵の事が良く書かれてる記事だった」
「……死にたがりの変人集団じゃなかったのです?」
「否定はしねぇが肯定もしねぇ。俺は調査兵団の隠れファンやって長い。なぁ、おめぇの本名は『』で良いんだろ? いつか新聞に載ることを期待してるぜ」
「おいそれと悪さ出来なくなりますねぇ。困ったものです」
「ちなみに肩書きは何だ? 兵士長様と一緒に行動するぐらいだ、それなりの地位には就いてるんだろうよ?」
「本名と共に口外しないと約束してくださるのならお教えしましょう」
「言ったろ、俺は調査兵団の隠れファンだって。話の合う人間は周囲に存在しやしねぇ」
「裏を返せば周りは調査兵団を良く思わない人間しかいないと。悲しきかな」
「ファンがひとりでも居るだけマシだと思えや。悔しかったら戦果を挙げろバカ野郎」
「何も言い返せないのが辛い」
こいつはどこに行っても身分を明かせないような仕事をし続けているのか、と切なくなりながら店主はの正体を知る。一匹狼、根無し草。そんな人間には不気味なほど似合いの肩書きを。
だが、正直に教えてくれた彼女の顔が心なしかこの上なく嬉しそうで。もうひとりではないのだと安堵する。
いつかきっと。否、必ず。は孤独の肩書きから脱却出来るはずだ。店主は来たる未来を切望しては立ち上がり彼女の頭を小突く。
今、この時だけは。大好きな冗談を仕舞い心の底から掲げたいと思う信用を――絆を示すように。
「おめぇの好きにしろや。昔も今も変わらず、そしてこれからも……俺は『ここ』で汗水たらして生を謳歌してやんよ」
「言われなくとも、勝手に守らせていただいてますよ……べそっかきのオヤッサン」
「だから泣いてねぇよ、チビスケ」
鼻をすする店主は袖で顔を擦ると顔を上げる。歳をとると涙腺が緩んでしょうがねぇ。そう言って笑った。
間もなくして裏口から追跡してきたのだろう、賊の一部から襲撃に合うも立体機動装置を装備しているに敵うはずもなく。
「何があろうとも、有言実行してみせます」
賊たちは瞬く間に撃退されたという。漸く一件落着といったところか、一同は兵団本部へと向かうのであった。
――チビだって高く飛べば大きく見えるんですよ、オヤッサン。
「飛んでたら更に小さく見えんじゃねぇかよ、」
道中、必要以上の収穫に気を良くすると共に馬の背に乗るを見上げては、堪らず笑声をもらす店主が居たとか、なんとか。
To be continued.
おまけという名のカットシーン(概要だけ)
■あらすじ:締め出されたふたりは一旦場所を変え、さほど離れていないところに位置する木陰で作戦会議と洒落込むことにした。
幹に寄りかかるリヴァイ、木の根に座り込む。途方に暮れている(ように見える)光景がそこにはあった。
「作戦開始まであと1時間強……これ以上こんな茶番に付き合ってたら懇親会に間に合わなくなっちゃうねぇ」
「ならさっさと救助してきたらどうだ」
「敵だけなら兎も角、あのような狭い場所でドンパチ始めたらオヤッサンに怪我を負わせちゃうかもしれないじゃん?」
「だからといって長引かせちまうのは得策とは思えん。ここは多少なりとも強引に行くべきだ」
「貴方は長い得物を振り回して室内の模様替えでもしろと言うの。赤色は食欲を増進させ頃合の肉を平らげてしまいます。無論私が」
「……血生臭ぇ所で食欲が沸くなら好きにしろ。俺は遠慮しておくがな」
「冗談は置いといて、それとも対人格闘を強いているの。私の苦手科目を。それをご存知である貴方が」
「なにも得物は剣だけじゃねぇだろうが」
「残念ながらアレは今現在聖域で眠ってる。何の変哲もない日常化で持ち歩くほど警戒心の塊じゃないからねぇ」
「なぁ、よ。普段あのナイフは聖域のどこに隠してやがる? 今度没収するから教えろ」
「ごめん、冗談だから。本当は常日頃持ち歩いているよ。まったく貴方も人質をとるような人間だったとは……正直見損なった」
「一体何の話をしてやがんだお前は……」
■あらすじ:作戦を(の脳内だけで)練った結果。なんちゃって見方さえも欺く手法のそれ。
「まずはこのマッチで火を点けます」
「護身用ナイフは使わず使いどころが分からんマッチを使うとはこれ如何に」
「そして……薪の山に放り投げる。するとびっくり、ボヤ騒ぎの完成である」
「肉が焼けるな。調理する手間も省けて一石二鳥か」
「さっき見た限りじゃ残りの肉はまだ荷台に積んであるかと。小屋内にある頃合のお肉は全員出てきた事を確認した後に私が回収する手筈になってるから安心するといい」
「“手筈” だと? オイ、今すぐ脳内で考えてる作戦を全て吐け。聞かずに任せていたら大惨事になりそうだ」
「そういうことは火を点ける前に言った方が良かったのでは……」
「……山火事には気をつけろよ」
「山じゃないのだけれども」
■余談
チリチリともどかしく燃え始める小屋の傍に置かれた薪。どこからともなく取り出された筒竹で息を吹きかけるの姿には既視感を覚えるリヴァイ。
「小枝投入。あ、この丁度良く持ってたなんだか良く分からない書類も投下」
「食材リストじゃねぇか。いいのか燃やしちまって」
「構うことはない。情報は全て私の頭に入っている」
「帰路の道中書き出しておけ。調理担当が困るからな」
その後、勢いよく小屋を出てきた店主にびっくりするふたりであった。まだ煙もそんな出てないのにもう気づかれたのか、と思ったらしい。
おわり
ATOGAKI
前回のATOGAKIで書いた『一匹狼根無し草』ってのはこっちで出てきた言葉だったなう。やっちまった。羞恥プレイ大好きなのでそのままにしておきます。
冗談は扠措き混乱を招いてしまった事をお詫び申し上げます。
兵長と仕事をするとふざけたくなっちゃう主人公。それに乗りながら一応窘めたりする兵長。為すべきことは弁えてる人間だと信頼しているので基本的に好きにやらせてる感。
ひとり敵地に置いてけぼりにされようが計画を聞かされてなかろうが意図を汲み取り許容してしまえる彼に脱帽。
自分ひとりでも問題ない戦局だと見極めての置き去りだったと。でもやっぱり作戦を一欠片だけでもいいから教えろ。フォローする此方の身にもなれと言いたいこれ切実。そんな感じ。
おまけはカットしたシーン。お蔵入りにするには勿体無いと思ってしまったので載せておきました。カットした理由は長くなるからだと思います。ひとごと。
「どいつもこいつも同じ事を言いやがって」=山火事云々。