She never looks back
―神出鬼没の自由人―
「また、来てたのか……あんたも飽きないね」
ウォール・ローゼ最南端、トロスト区壁上。地平線の彼方が薄らと白み始める早朝に対峙するふたつの影。
方や駐屯兵団の紋章を背負う女兵士。方や調査兵団の紋章を背負う性別不詳の兵士。
駐屯兵は朝露のおりた足場に軌跡を残し、調査兵の傍らで沈黙に耳を傾けた。
「こればっかりはどうにも……ここに立つと、自分の原点を強く感じることが出来るからつい」
壁の縁に腰掛け足に肘をつく調査兵は、地平線を眺めたまま自嘲混じりに呼応する。軽く組む指を僅かに動かしながら居住まいを正した。
懐かしさを噛み締めるかのような呟きにも似た声音。今は昔の思い出。然れどそれは決して追憶に取り残されたものではないのだと駐屯兵は心得ている。
「座っている奴が何を……毎度のことながら懐古する程、あんたの記憶は薄らいでないだろうにさ。私には振り返ったって目新しいものがあるとは思えないよ」
的確な指摘に調査兵が声もなく笑う。目深にフードを被る横顔から覗く口元は、控えめに湾曲を描いていた。
それを横目に駐屯兵も口角を上げ笑声をこぼす。不真面目のような真面目さで。本気のようで冗談めいた挨拶がわりのやり取りは相変わらずだと呆れる他ない。
「お久しぶりリコさん。今度班長に昇格すると聞いた。口に合うかは分からないけれど受け取ってくれると嬉しい」
「あぁ久しぶり。情報が早いね。わざわざ祝う為に来てくれたっての?」
マントの下から取り出された紙袋を受け取り駐屯兵――リコは驚きに目を見開いた。
この調査兵とはそう長くはない付き合いだが、いつも神出鬼没で顔を合わす度に奇妙なやり取りを交わしてきた。
ただの世間話し相手。それがふたりの間柄と言うべきか、しかしまさかこのようなサプライズを携えてくるなぞ思いもよらぬ。
嬉しさの反面、そこはかとない悪寒が脳裏をよぎるリコである。
「えぇ、まぁ。たまたまトロスト区に用事があって――」
「私がここに来る情報をどこからともなく入手して待ち伏せしてたってわけね」
「……想像にお任せする」
初めて出会った時は、本当に偶然だった。壁外調査の日、作戦決行時刻よりも随分と早い時間に壁上に佇んでいたこの調査兵。
たまたまこのトロスト区の見張り番に配属されていたリコは一体何をしているのか問い詰めようと駆け寄ったものだ。
それがふたりの出会い。そして、時たま世間話をする仲までに発展したきっかけだった。
『……城壁都市の壁上は、自分の原点なのですよ。だから壁外に行く前はこうして精神統一をしているというわけです』
『なに、原点?』
『正確にはシガンシナ区の壁上なのですが……今やたどり着くことも出来ないだなんて切ないものです。叶うのならばもう一度……あの場所で外の世界を見たい。その為に……』
『あんたの意志は分かったよ。大層な志だね。だけど――許可もなく壁に登る事は禁止されている』
『黄昏てそれっぽい事を語っていれば注意が逸れると思っていたんですけど作戦失敗なう』
『馬鹿だろ、あんた』
『はい』
最初はただ、物珍しさ故の興味本位だと思っていた。訓練兵や常駐する駐屯兵でなければ壁に登る機会は少ない。
新兵にも見えるこの調査兵はまだ訓練兵気分が抜けきっていないガキんちょ、それが第一印象だ。
しかしそれは、壁外調査開始直前に改める事となる。
『援護班……? 新兵じゃなかったの?』
『一体いつから新兵だと錯覚していたのでしょうか……身長か。身長なのかこんちくしょう』
『もしかしてそのフードの下は皺だらけだって言うの?』
『残念ながら身長が縮んでしまったおばあちゃんじゃないです、歴とした若人です』
『それは失礼した……』
『いえ、お気になさらず。慣れたものです』
口元しか見えない外見、更には抑揚のない声音。飄々と冗談を宣うなんとも掴みどころのない人間だと思うも、腕は確かな様で巨人を殲滅する姿は勇猛果敢。もしかしたら数刻前に語っていたことは真実なのでは、と考え至るには十分で。
それからというものの毎度の事ながらフードを目深に被ったまま、リコが居る場所へ神出鬼没に現れては世間話をして帰っていく奇妙な調査兵に不思議に思いながら今もこうして相まみえている。
半年に1度会うかどうかという程度のものだが、もはやリコに警戒心の欠片も存在しない。それほどまでにこの調査兵は奇妙でありながら不審ではなかった。
強いて言うなれば、どこからともなくリコ個人の情報を入手しひとりの時を狙って現れる事が、些か不気味ではあるが。
『もしかして駐屯兵団に知り合いでも居るの?』
『まぁそんなところ』
問いかけてもはぐらかされる事に不満がないとは言い切れないが、ただの世間話相手のプライベートを詮索する趣味は無い。
知っていることといえば、正真正銘調査兵という事と冗談が好きな変人だということ。そして、内に秘めた意志は冗談でもなんでもない、確固たるものだということ。
それだけでいい。リコ自身、この密会もどきを楽しいと感じているのだから。
「正直、私が班長だなんて夢にも思ってなかったよ」
ふたりは深くもなく、かと言って浅いとは一概に言えない関係。不確定なそれ。だが明確な素性が知れない相手だからこそ、話せる事もある。リコは知っていた。そしてそれはこの調査兵にも言えることだろう。
限りある時間の中で話した内容は、本当にただの世間話と、親しい間柄だろうと口に出すことを躊躇う程の自身にとっての『弱み』。
お悩み相談、愚痴、エトセトラ。決して口外無用なそれは、他者に漏れたことなど一度も無く。
「そうだろうか。貴方のその合理的でいて現実主義な部分はとても素晴らしい。いい上官になる、絶対に」
だからこそ、真摯に向き合う。互いが互いの事を口外しないからこそ、なんでも言えた。
方や名も、顔までも知らない相手だというのに。方や名も顔も、果ては情報も有しているというのに。
そんな関係ではあるけれど、リコは不公平だと思ったことは一度もない。何故ならば一から説明する手間が省けるからだ。
ただ話したいことを喋る。それを円滑に受け答えをしてくれる。『友人』とは違うやはりただの世間話相手。
それがどんなに楽か――互いにその手軽さを知っていた。
「……私はあんたみたいな強い意志は持ってないんだけどね。でも、仲間の命を預かるからには腹をくくらないといけない。数年前みたいに、いつ壁が破壊されるかわからないからね」
「そのイキですよ、リコ『班長』。おみそれしました」
「下手なおだてはよしてよ。これでもいっぱいいっぱいなんだから」
「申し訳ない。つい、いつものノリで」
「あんたの周りは苦労してそうだね」
「生憎、ノリが良すぎる人間が居て助かってるよ。むしろツッコミで忙しい時もあって正直手に余る」
「へぇ……やっぱり調査兵団は変人の巣窟と言われるだけあるよ。まぁ団長と兵士長はそんな事ないんだろうけど」
「そそそそう、かもしれない」
そんなふたりだが、一応の暗黙の了解が存在する。それは『自身から兵団内部の情報を漏らさない』という事。
言わずもがな兵士として情報漏洩は御法度なのだ。調査兵の方はどこからともなく内部情報を入手してくるのだが、それも『機密』なものではない。今回の昇格の話も公表されているものであり特段隠すような内容でもなく。
駐屯兵に知人が存在するのならば、ふとした会話に出てくるような些細なもの。故に咎める道理はなく、情報を外部から入手する事は暗黙の了解に背く行為ではない。
「ねぇ……あんたは今だに巨人の驚異を目の当たりにしても尚、真の壁の外に行きたいと思えるの?」
初めて出会った日から続く世間話。その内容の主だったものは専ら彼女たち自身の事だった。
「実のところ今は……他の事で手一杯、なんだよねぇ」
「前に言ってた『守りたい人を守る』ってやつの事?」
故に、リコは調査兵の心の内を知っている。調査兵も包み隠さず口にする。そうでなければこの関係は成り立ってはいないだろう。
「そう。好奇心などは変わらずに存在し続けているけれどマリアの壁にでさえたどり着けない現状、不確かなものを追いかけるよりも目先のことを考えるようになった……これも昔から変わらない事だけど、今では好奇心よりも強く思う」
「私は好奇心に突き動かされているあんたも悪くないと思うけどね。たまに垣間見せるそれは興味のなかった人間をも奮起させるよ」
「よく言うでしょ。二兎を追う者は一兎をも得ずと。まずは一兎一兎追いかける事に切り替えたってだけだよ」
「知ってる? 兵士になったってことは公に心臓を捧げたって事だって。あんたの意志はちょっと異なる気がするのは私だけか?」
「……いやいや、心臓は捧げているよ。うん。これ以上掘り下げると脱兎のごとく逃げ出します」
「冗談だよ。兵士やってる理由なんて人それぞれ、それをどうこう言う権利もつもりも無いから安心して」
「なに、非現実的にもかかわらず否定しないの。どうしちゃったのリコさん、貴方らしくない」
リコの発言を聞き僅かながらに振り返った調査兵。相変わらず抑揚のない声音ではあるが、仕草は驚愕を体現していた。
失礼な奴だ。現実主義者であろうとも人の夢までも否定するような思考は持ち合わせていない。と悪態吐くリコである。
「壁の外を望むことも守りたい人を守るってことも、あんたが言うと嫌に現実的に聞こえてしまうんだ。
その希望論だって、蓋を開ければ様々な『想い』と『思考』が詰まってるときた……現に壁外へ行って疲弊しても尚、生き抜いて諦めずに死力を尽くしてる。そんなあんたを否定出来る方が無理な話だよ」
「最初は鼻で笑った癖によく言う……」
そう、否定はしない。けれども呆れていた事は認める。平和な世界で命を危険に晒してまで壁の外を望むこの調査兵を。
「これでも一生懸命納得しようと努力したんだ、褒めてもらいたいぐらいだね」
希望論を真摯に語る調査兵。その為に命を賭ける姿。実力の伴うこの調査兵の言葉は何故だか現実的に聞こえた。
もしかしたら実現させてしまうのではないかとさえ思った。それほどまでにこの調査兵の言葉に強い意志を感じたと言うべきか。
納得するまでに時間を有したが、幸いにもこの調査兵と再び相まみえるまで猶予は大いにあった。
その期間を経てリコは再び問う。初めて出会ったこの壁上で。
『あんたのその夢は、冗談でもなんでもないっての?』
『……夢、ではないですよ。これは自分の意志です。命を賭していった仲間から引き継いだものだけではない、自分自身がこの壁上で決めた事。だから私はなんとしてでも生き続けるのです』
壁外調査を繰り返す想像を絶する過酷な日々。調査兵は守りたい人を守りたいと言った。しかし壁外から帰還すれば必ず数が減少している隊列。あの調査兵は今頃どのような顔をしているのだろうか、と何度思ったことか。
心身共に疲弊するその中で生き抜き、再び悲劇を見続けるあの調査兵は意志を曲げることは無いのだろうか。
『それに巨人を滅する事が出来れば、安心でしょう? 私的には守りたい人も守れる上に、好奇心も満たされる。一石何鳥にもなります』
あぁ、この調査兵は呆れるほどに――強い人間だ。
『……参ったよ。私の負けだ』
こんな確固たる意志を見せつけられて納得しない道理がない。リコは僅か3度目の密会もどきにて、この調査兵を心の底から認めたのである。
「そう……それでこそ世間話相手だね。気兼ねなく何でも話せる」
「その言葉は過去に3度も聞いたよ。馬鹿の一つ覚えも大概にして」
「貴方はいい意味で堅物だからね。私のしょーもない本音を言う度に怒られるんじゃないかってヒヤヒヤする……なんつって」
「流石にあんたの奇っ怪さも冗談も慣れたよ」
「はて、今回で世間話は何度目だったか……」
「私もうろ覚えだけどね、確か5度目だったと思う」
「結構少ないんだねぇ。その倍はあるかと思っていた」
「なんでだろうね。あんたとの時間は濃厚すぎて感覚が狂うな」
「頻繁に会えない分、それを補うように話し込んじゃうんだろうね」
「あぁ、お陰で視察の時間が過ぎた。まったくどうしてくれるんだ……」
「申し訳ない。私も早く帰らなきゃ業務に間に合わないからお相子って事で何卒」
「分かってたけどね」
「同じく」
いつの間にか陽は随分と昇り、冷えた体を照らしている。遠くに他の駐屯兵もチラホラと見受けられ潮時を知らせた。
調査兵は徐に立ち上がり体をほぐすように伸びをひとつ。やはり、フードの下は見えなかった。
「今度はいつ現れる気なの?」
「さぁ……ここにはおいそれと来れないからねぇ。それにリコ班長もお忙しい身であらせられる……また機を見て立ち寄る事にするよ」
「今日から私の予定は機密だからね」
「そんなに会いたくないなら素直に言ってよリコさーん」
「冗談だよ」
ふたりの間に一陣の風が吹く。はためくマントに乗じ調査兵はこの壁上から降りた。足下で立体機動装置が唸り、それを聞き届けリコもその場を後にする。
「まったく……無闇矢鱈に壁に穴を開けるな、馬鹿者」
自然と口角が上がった。その実、無理をいって取り付けた壁上視察。正式な昇格を目前にして内に蟠る弱音を吐きたいが為に、まるで調査兵を誘き寄せるかのようにひとりになる機会を設けた。
目論見通り現れた調査兵に笑いと、安堵がこみ上げたのは記憶に新しい。思い返してもその事実がとても、嬉しくて。
「あんたはどこまで分かってて来るんだろうね……ありがとう」
リコは右手で揺れる紙袋を見遣り、笑みを深めるのであった。
+++
それは偶然か、必然か。
「あ、あんた――」
いつもの壁上。だが状況は全く異なる戦火の中。
「お初にお目にかかります、リコ・ブレツェンスカ班長。私は調査兵団『元』単独部隊隊長の・と申します」
来たる運命の日。この壁上で再び相まみえた調査兵の名を、知る。
END.
ATOGAKI
リコさんと知人にしようか悩んだ挙句、名前も顔も知らない間柄という妙な関係にしてしまいました。主人公の方はリコさんの情報を持っていますが。最後の場面は昇格祝いから数回の密会もどきを経てからのものです。
これ時間軸適当だから。振り返らないシリーズ自体時間軸適当だから敢えて明確にしない戦法。これはずるい。知ってた。だってリコさんの経歴不明なんだもの。しゃーない。言い訳。
脳内で前々から組み立てているプロットの中の原作沿いちょい見せ。考えが変わったらどうしようとか予定変更したらどうしようとか思いながら。でも1年間妄想して変わらないのだからきっと大丈夫なはず。
『元』の真相は乞うご期待。なんつって。いつ原作沿いに突入できるのか気の遠くなるような話だぜ。